変わり続ける世界
生みの親から捨てられて、私利私欲のままに幽閉され、長い時を独りで過ごしていた。
それなのに、いつの間にか蔵馬が傍に居て、仲間が居て…暁斗が居て。
石の牢獄から自由な魔界、そして人間界。
場所も、状況も―――常に変化する世界に、ついていくことがやっとだった。
おめでとうございます、女の子ですよ。
清潔な白衣に身を包んだ看護師の腕に抱かれ、対面した二人目の子供は娘だった。
何となく―――母親の勘と言う奴で、そうじゃないかと感じていた、と告げると、蔵馬は笑みを浮かべる。
「紅に似てる…かな?…うーん…まだわからないか」
退院して住み慣れた我が家に帰ってくると、蔵馬は娘を抱き上げながらそんな風に首を傾げていた。
女の子だと言われても、身体を見なければわからないような見た目だ。
こんな状態で似ている、と言われても、自分でも納得できない。
「どっちに似ていても美人に育つから大丈夫よ」
ベビーベッドを整えながらそう言うと、近付いてきた蔵馬に紅?と頬を摘まれる。
風が掠めるような優しい摘み方だったけれど、どうやら美人に、と言うところが気に入らなかったらしい。
素敵な笑顔も慣れたもので、彼の手を逃げた紅はさっさと昼食の準備に取り掛かる。
追求するつもりはないのか、蔵馬も彼女の後に続いた。
「俺が作るよ」
「大丈夫。今まで暁斗の分も…大変だったでしょう?」
「大変じゃなかったよ。母さんも来てくれてたし」
首の据わらない娘を両腕で抱く蔵馬の姿は、思ったよりも様になっている。
暁斗の時にはあまり抱かなかったけれど、抱き方はちゃんと覚えていたらしい。
「ところで…暁斗は?」
「部屋じゃないかな。呼ぼうか?」
「お昼が出来てからで構わないわよ」
「じゃあ、手伝ってもらえば良いよ。暁斗、母さんに教えてもらってたみたいだから」
思いついたようにそう言った蔵馬は、紅の言葉を待たずにリビングから顔を覗かせた。
暁斗ー、と名前を呼べば、軽やかな足音と共に暁斗がリビングへと入ってくる。
「何?」
「紅が昼食を作ってくれるって。手伝えるだろ?」
「あー…っと…うん。まぁ、いっか。手伝うよ」
周囲にあわせて成長していくように変化している暁斗は、既に中学生の姿になっていた。
少し悩む素振りを見せた理由はわからないけれど、手伝いの為に手を洗いに行く彼を見送る。
「じゃあ、よろしく。無理だったら声をかけて」
「はいはい。落とさないように大事に抱いていてね、お父さん」
「そこは大丈夫」
リビングに戻った蔵馬がソファーに座った所で、暁斗がキッチンへとやってきた。
何するの?と首を傾げた彼に、昼のメニューを告げる。
じゃあこれをするよ、と自分から作業を名乗り出てくれる当たり、本当に教えてもらっていたようだ。
「ねぇ、暁斗」
「うん?あ、こっちは切れたよ。湯も沸いた」
「ありがとう。パスタを茹でましょうか。さっきは何を悩んでいたの?」
手伝いが嫌いと言うわけではない様子の彼に、そう尋ねてみる。
すると、パスタの袋を開けた暁斗が動きを止めて視線を彷徨わせた。
「………まだ、決まらなくて…さ」
何が?と質問を重ねようとしたところで、それに思い当たった。
このタイミングで彼が悩み、かつまだ決まっていないものと言えば―――生まれたばかりの妹の名前だ。
彼女の名前は、自分が、と名乗りを上げた暁斗に任せてある。
「そう。悩むのはいい事だけど…出来るだけ早く決めてあげてね。名前が無いのは寂しいから」
「うん。わかってる。わかってるんだけど、何かこう…二つが、決まらなくて」
本人の意見が聞けたら良いのになー…と呟きつつ、握ったままだったパスタを鍋に投入する。
一人っ子だった彼は、既に兄の顔をしていた。
そんな彼を見て、微笑ましげに笑う紅。
「その二つ…聞いてもいいかしら?」
「えっと…朱音と、音羽」
「音がいい名前ね。…どんな字を書くの?」
暁斗は手で空に文字を書く。
目に見える妖気でその字を固定させる彼に、随分と扱いも上達したなと思った。
「蔵馬、どう思う?」
背中を向けていても、彼の意識がどこにあるのかはわかっていた。
蔵馬に問いかけると、彼は首だけを振り向かせて空に浮かんだ文字を読む。
「…うん。いいんじゃないか?あとは…決めるのは暁斗の仕事だな」
「それが出来ないから困ってるんだけど」
はぁ、と溜め息を吐き出して、鍋の中でパスタを躍らせる。
「ねぇ、どうして音なの?」
名前を聞いた時点で気になっていた。
紅の質問に、暁斗は少しだけ考えるように手を止める。
「…生まれた時…音が、聞こえたんだ。何かはわからないけど」
でも、確かに聞こえた。
そのことがずっと頭に残っていて、音のつく名前にする事に決めたのだと言う。
暁斗の言葉を聞いた紅は、軽く目を見開いて蔵馬を見た。
彼も、同じ考えに行き着いているらしいと言う事は、その表情からわかる。
「じゃあ、本人に聞いてみたらどうかしら。案外答えてくれるかもしれないわよ」
「口も聞けないのに?」
「物は試しと言うでしょう?」
そう言うと、紅は彼の手から菜箸を受け取る。
そして、柔らかくその背中を押してリビングの妹の元へと向かわせようとする。
躊躇いつつも、足を動かしてソファーの所までやってきた暁斗。
蔵馬は、笑みを浮かべながら娘を差し出した。
「首が据わってないから気をつけて」
「ん」
受け取った暁斗が安定した様子で妹を抱き上げているのを見届け、キッチンへと歩いていく。
そこにいた紅は、堪えきれない笑顔をその顔に浮かべていた。
「暁斗が一番みたいね」
「そうらしいな」
覚えのある状況は、二人の子供ならば当然と言えば当然のこと。
暁斗が聞いた音は、きっと―――
そう思いながら彼の方を見る二人。
言葉を理解していないはずの生まれたばかりの妹に向かって話しかけるのは、中々難しいことらしい。
少し照れたように話しかける暁斗と、腕に抱かれた赤ん坊。
どこまでも微笑ましい光景だった。
何を言っているのかはわからないけれど、彼が妹に話しかけて、そして―――ピョコン、と耳が現れた。
「か、母さん!!」
驚きのあまりに変化が解けてしまったらしい。
本来ならば咎めるべき所だが、まぁ、家の中だし、こんな状況だから…と思う。
どうしたの?と問いかける必要はなさそうだ。
「答えた!!」
「やっぱりね」
興奮冷めやらぬ様子で駆け寄ってくる暁斗だが、腕に抱いた妹を揺らさないよう細心の注意を払っている。
そんな立派な兄の姿に、紅は嬉しそうに微笑んだ。
「暁斗も、同じくらいの頃から念信を使ってくれたわ。お蔭で、子育ては随分と楽をさせてもらったの」
「じゃあ、俺が聞いた音って…」
「この子が、あなたに話しかけていたのね」
一番に、と付け足してあげれば、暁斗は嬉しそうに破顔する。
そして、幼すぎる妹の頭を撫でて話しかけた。
「よろしくな、朱音」
太陽のような笑顔に、蔵馬と紅は顔を見合わせて笑う。
―――ありがとう、お兄ちゃん。
そんな声が聞こえたと思ったのは、きっと気のせいではないだろう。
Thank you 3,000,000 hit!!
09.02.16