二人で待つ明日
布団の上に横たわる紅を見下ろす高杉。
その隻眼は、見る者が竦み上がるほどに暗く冷たい。
触れれば切れてしまう、と思わせるほどの鋭さを携えた眼差しは、目を閉じた彼女へと向けられている。
しかし、それを向けられているはずの彼女は、彼の視線に気付くこともなく浅い呼吸を繰り返した。
着物の襟から覗く包帯は、彼女の胴も包んでいるはずだ。
その下に隠された傷を思い浮かべ、高杉はチッと舌を打った。
「馬鹿野郎が…」
そう言って、彼の手が紅の首へと伸びる。
細く白い首にその手がかかり、手の平から彼女の体温が伝わる。
それなりの量を失血したからだろう、その体温は、いつもよりも低いと感じた。
このまま手に力を込めてしまえば、この細い身体は一瞬で生を失うだろう。
いっそ、そうしてしまえば―――
高杉の目が怪しい光を宿した所で、足音と共に襖がスラッと開かれた。
「失礼しまー…って、晋助様!?」
何やってんですか!?と洗い桶と手拭いを持って部屋に入ってきた来島が、驚いたような声を上げる。
高杉が怪我人の首に手をかけていれば、驚くのも無理はあるまい。
彼の場合は冗談ではすまないから恐ろしい。
慌てる来島を他所に、高杉は無言で彼女の首から手を離す。
触れていた、と言っても間違いではないほどに力を込めていなかったそこは、少しの跡も残してはいない。
「…?熱でも測ってたんスか?」
あー、びっくりした。
そうだと納得したらしい彼女は、ふぅ、と額を拭う素振りを見せてから、二人の元へと近付く。
「とりあえず、替えの手拭いと、水と…」
「あぁ。その辺に置いとけ」
「了解ッス。あと、熱が出そうなら、この薬を飲ませるようにって」
薬は懐に入れていたらしく、取り出したそれを畳んだ手拭いの上に置く。
他に用はないだろうかと室内を見回した彼女は、最後に高杉を見たところでぎくりと身体を強張らせた。
「あ、あの…晋助様、姐さんは…」
「下がれ」
「………わかりました。何かあったら呼んでください」
言葉数の少ない圧力に負け、肩を落として部屋を去る。
襖を閉ざした所で、思い切り息を吐き出した。
漸く満足のいく呼吸が出来たような気がする。
「晋助様…めちゃくちゃ不機嫌だなぁ…」
姐さんの怪我が酷くならないといいけど…などと物騒なことを心配してしまう。
きっと、どんなに不機嫌でも彼女の命に関わるような事はしない。
そう信じている来島は、それ以上の心配は不要だとばかりに廊下を歩き出した。
まだ眠るんだ、と訴えてくる重い瞼を持ち上げる。
目に映った見慣れた天井に、あぁ、またかと思った。
覚えのある痛みや身体の気だるさは、怪我を負った時のものだ。
と言う事は―――そう思いながら視線を動かした先に、居た。
「晋―――っ」
彼が何かを言う前に、と思ったのだが、それよりも早く、彼の手が喉を押さえる。
親指がグッと喉の骨を押しているのがわかり、思わず息を呑んだ。
―――怒っている。
迸るような彼の感情を読めないほど、浅い付き合いはしていない。
「…よォ…目が覚めたみてェだな?」
苦しくなる一歩手前で止められた指は、紅の命を握っている。
本気になれば一瞬だな、と思いながら、彼女は高杉を見上げた。
「何で庇った」
「―――…何で…か」
声を出そうと思うと少し苦しい。
それに気付いたのか、指先がほんの少しだけ動いて、喉の圧迫感が消える。
「庇った…つもりはなかった。ただ、斬れると思った敵が斬れなかった…だけ」
高杉に迫る刀と彼の間に滑り込んだのは事実で、その刀を受けたのも事実。
しかし、それは彼を庇ったからではなく―――己の力を過信していた、自分自身の責任だ。
はっきりとそう告げる彼女に、彼は不愉快そうに口の端を下げる。
「体力がねェんだよ、てめーは」
「常人よりは、ある」
「肝心な時に使えねェなら無意味だろーが」
そう言って、彼の手が離れていく。
そして、その手はそのまま彼女の肩に触れた。
むき出しにされたそこに、胴ほどではないが、別口で控えめに巻かれた包帯が見える。
高杉の手がその包帯の上を滑った。
この傷を作ったのは敵の刀ではなく、高杉の刀だ。
「てめーが滑り込まなくても、俺が斬ってた」
「…そう。ごめん」
振り下ろされた刀を受けた紅。
既に斬る動作に入っていた高杉は、滑り込んだ彼女の背に向かう自身の刀に目を見開いた。
自分自身では既にどうしようも出来ない位置まで来ていて、彼に出来る事はほんの少し軌道を返る程度。
ギリギリの所で刃を返したそれは、紅の肩を掠めて空を斬った。
肩の傷を見下ろしてチッと舌を打つ高杉。
そんな彼の表情を見ていた紅は、まさか、と思う。
「晋助…自分の刀で斬ったことを、後悔してる…?」
戸惑いを含ませた声に、彼は無言で手を引いた。
そして、そのまま窓の外へと視線を向ける。
紅には、彼の行動が彼女の予想を肯定しているように思えた。
何の躊躇いも無く敵を斬り続けた高杉が、たった一度、自分に残した傷を後悔していると言うのか。
邪魔になれば殺す―――そう言っていた彼が、ただ一つの傷で。
信じられないと思う。
けれど、彼はそれを否定しない。
「邪魔すんな」
「―――ごめん」
「てめーを斬る時は、真正面から斬る。事故なんかで斬るのはごめんだ」
「うん」
こみ上げるものに邪魔されて、短い答えしか返せない。
余計な事は何も言わないのに、どうしてこんなにも胸がつまされるのだろう。
彼は後悔し、そして紅を心配してくれた。
どうしようもなかった傷痕を見て、いっそ殺してしまえたらと言う衝動に駆られるほどに。
それだけで、十分だった。
「幕府を倒すんだろ」
「そう、ね」
「付いてくるなら、最後まで見届けろ」
「…うん」
ごめん、ともう一度謝罪の言葉を口にした彼女。
外へと向けられていた高杉の視線が彼女へと戻ってきた。
先ほどの、狂気を含んだ眼光は消え、いつもの彼の獣のような目が紅を見下ろす。
そして、何も言わずに彼女の頬を撫でた。
失血の為か、再び眠りに落ちた紅の傍らで外の風景を見る。
口寂しさを感じて懐へと手を伸ばし、指先で煙管を抜き取った。
口に銜え、火の準備をしようとしたところで、ふと眠る紅が目に入る。
「―――…」
煙管と紅と、そして包帯を順に見た彼は、無言で煙管を唇から抜いた。
少し強めに握れば、煙管はバキッと言う音と共に物言わぬ残骸と化す。
それを畳みの上へと放り出した彼は、また外へと視線を向けた。
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09.02.15