君を待つ時間
遅い、心の中でそう呟く。
ポケットに押し込んでいた携帯を開き、時間を確認して溜め息を吐き出す。
そんな行動を、何度繰り返しただろうか。
つい5秒ほど前も、またその行動を起してしまった翼は、深く息を吐き出した。
立春が過ぎたとは言え、世界はまだ冬の様相を呈している。
吐き出された二酸化炭素が薄く濁ったのを見届けるまでもなく、数メートル先を歩く人の流れを見つめた。
「ったく。何やってんだか…」
自分を待たせるとはいい度胸だ、と思いながらも、来ぬ人を待つ。
放って帰るという選択肢は彼の中には存在しない。
何故ならば、待ち合わせの時間は今現在から10分後なのだ。
咎められるとすれば、早くに着き過ぎた翼自身であろう。
「翼!」
フロアに設置されたソファーに座っていた翼の耳に、聞きなれた声が届いた。
顔をそちらへと向ければ、今まさに自動ドアを潜り抜けたばかりの紅がこちらへと近付いてきている。
その様子は少しだけ焦っているようで、待たせてしまった、と思っている事は明らかだ。
「ごめん。まさか、もう来てるとは思わなかったわ」
彼のすぐ前まで辿り着いた彼女は、少しだけ弾んだ息を整える。
「まぁ、時間には遅れてないんだし…いいんじゃない?」
眠気覚ましにと購入した、翼には甘すぎた缶コーヒーを彼女に差し出す。
走ってきた彼女はお礼と共にそれを受け取り、二口ほど飲んで喉を潤した。
落ち着いてきた様子の彼女を見上げ、それより、と口を開く翼。
「何で、突然ここで待ち合わせる事になったの?昨日は何も言ってなかったのに」
暮らしている家が隣なのだから、デートとは言え現地集合にする必要性はない。
だが、今朝になって彼女から、映画館で待ち合わせにしよう、と言うメールが入ったのだ。
こんな事は初めてで、翼はその理由を理解できぬまま、とりあえず言われた通りにここに来たというわけである。
翼の質問に対し、紅は少しだけ戸惑った様子を見せた。
「え?えっと…ちょっと、寄りたい場所があったから」
駄目だった?と首を傾げる彼女。
そう言う事情があったならば、まぁ仕方がないだろうと納得も出来る所もある。
もちろん、納得できないのは…先ほど彼女が見せた、少し戸惑った表情だ。
隠し事がある事は明らかで、けれどそれを翼には知られたくないらしい。
隠されていると思うと腑に落ちないところはあるけれど、全てを話せと言うのも酷な話。
「別に構わないよ。紅のことだから、てっきり「新鮮でしょ?」なんて答えるかと思ったけど」
「――――」
外れたみたいだね、と呟く翼の前で、目に見えて動きを止める彼女。
その反応を見て、翼はニッと口角を持ち上げた。
「当たらずとも遠からず…だね」
「…もう。翼のそう言うところ―――」
「嫌い?」
「…じゃないけど、困る」
そう答えて、照れるように頬を染める。
どうやら、彼女は待ち合わせデートと言うシチュエーションを望んでいたらしい。
確かに、彼女の性格を考えれば、直接それを告げるのは恥ずかしいだろう。
「さて、と。何を買う?」
「オレンジジュース」
「ん。じゃあ、買ってくるから、待ってなよ」
そう言って紅が止めるまもなく歩いていく翼を見送り、彼が座っていたすぐ隣に腰を下ろす。
そして、鞄の中を覗き込んだ。
チャックの付いていないそれは、真上から見れば暗いながらも中身が見える。
そこに、綺麗に包装されたものが見え、隠すように口の部分に手を当てた。
「まさか、今日出来上がるとは思わなかったんだけどなー…」
予定外だわ、と呟く。
彼女が今朝になって急に予定を変更したのは、これも理由の一つだった。
いや、どちらかと言うとこちらがメインで、翼に気付かれた部分は後から付いてきた結果でしかない。
「まったく…明日から旅行に行くから今日中に取りに来いだなんて…無茶を言ってくれるわ、本当に」
紅は、来る2月の14日に向けて、ささやかながらも翼に贈り物を用意していた。
いつもはチョコ系のお菓子と、軽い何かなのだが…今回は少しばかり奮発している。
理由は、特にない。
高校に入って一度目のバレンタインだからかもしれないし、この間、選抜の課題をクリア出来たからかもしれない。
要は、理由など何でも良かったのだ。
雑誌を見ていた翼の目が止まったことに気付いて、彼が何を見ているのかを知って。
丁度、似たようなシルバーアクセサリーを作っている親戚が居たから頼んだ。
「独り言?」
戻ってきたらしい翼に声をかけられ、紅は我に返ったように顔を上げた。
彼の差し出すジュースを受け取ってお礼を言う。
「何でもないの」
「ふぅん。まぁ、いいけどね。…そろそろ入ろうか」
行くよ、と声をかけられ、紅も立ち上がる。
今から見ようとしている映画は、二人が半年も前から期待していた作品だ。
「それにしても…毎回映画デートだと、代わり映えしないね」
「同感。でも、これが一番しっくりくる」
「右に同じく。ま、お互いに好きなんだし…遊園地よりは安いし近い」
「そう言うこと」
夕日が差す帰り道。
並んで歩いていた紅は、ねぇ、と声をかけた。
「私を待っていて、どうだった?」
「どうって?」
「つまらなかったとか、色々あるじゃない」
そう言われたら嫌だけど、と言う彼女は、翼がそう言うとは思っていないのだろう。
ニコニコと笑う彼女に、翼は朝のことを思い出す。
「まぁ…新鮮ではあるよね」
「それだけ?」
前に回って翼の顔を覗きこむ紅。
明らかに、本心で話していないだろう、と訴えてくる彼女の目に折れた翼は、肩を竦めながら口を開く。
「…待たされるのって、面倒だと思ったよ。………心配、するし」
「んー…そっか。ごめんね。遅れてくるかと思った?」
「紅が遅れてくるとは思わないから、そこは心配してないけど。
…待ち合わせ場所までに変なのに絡まれてないか、とか…色々あるじゃん」
ふいっと視線を逃がす翼に、紅は思わず足を止めた。
まさか、彼がそんな風に考えてくれるとは。
驚いて言葉もない彼女に、少し頬を赤くする翼。
だから言いたくなかったんだ―――そんな彼の呟きは、彼女には届かない。
「やっぱり、家から一緒に出る方が…落ち着く」
「…そ、か…。うん。…ありがとう」
微笑む彼女はどこか嬉しそうで、自分がとんでもなく恥ずかしいことを言っている気分にさせられた。
視線を合わせられない翼の横顔を見つめていた紅は、思い出したように鞄に手を差し込む。
そして、そこから例のプレゼントを取り出し、彼に差し出した。
「少し早いけど…ハッピーバレンタイン、ってことで」
「……あ、りがと。………まさか、こっちが理由?」
「…察しの良すぎる男は嫌われるよ」
「嫌わないってわかってるからだよ。…ふぅん…そっか」
受け取ったそれをしげしげと見ていた翼は、開けるよ、と声をかけて包装紙に手をかけた。
中々作りの良い箱の中に収められていたのは、見覚えのあるチョーカーだ。
ブランド品だったから、違うだろうが…よく似ている。
―――いや、どちらかと言うと、少し違っていて…だが、こちらの方が翼の好みに合っていた。
「相変わらず趣味は悪くないで」
「お褒め預かり光栄です、ってね」
赤い夕日に照らされた道で、二人で顔を見合わせて笑いあった。
Thank you 3,000,000 hit!!
09.02.11