左の薬指できらりと光る美しいフォルムの指輪。
給料3ヶ月分はまだ無理だけど、なんて冗談交じりに紡ぎながら、これを指に嵌めてくれた表情は忘れないだろう。
男避けに、と嵌めたばかりのそれに唇を落とす様は、さながら中世の騎士。
彼の部屋で、尚且つ普段着の自分達のシチュエーションを考えれば、そんな考えは儚く消え去ったけれど。

真っ直ぐに背中を伸ばして大学のキャンパスを歩いていく。
亜麻色の髪を揺らして進んでいくその姿に自然と目を奪われ、隣の彼女に耳を抓られる男子学生は少なくはない。
そんな彼らに見向きもせず、すでに用はないとばかりに真っ直ぐに出口へと向かう。
そうしていた紅の耳に、女子学生の黄色い声が届いた。

「ねぇ、正門の所に格好良い男の人が居るんだけど!長髪なんだけど、すっごく格好良いの!!」
「ホント!?誰かを待ってるのかな?」
「そんなに格好良いなら、きっと彼女を待ってるんだって!」

そんな会話が耳に入ると、紅は視線だけをそちらに向ける。
いつか…そう、あれは高校の時だっただろうか。
あの時にも、何度か聞いたような会話だ。
決まって、自分のよく知る人物がその原因となっていた。
ふぅ、と息を吐き出してから、女性らに向けていた意識を前へと戻す。
恐らく、自分の予想通りの人物が正門の所にいて、女子学生を騒がせているのだろう。
「彼」がここに来る理由は十分にある。

「家で待っていても構わないって言ったのに…」

そう呟きながら、溜め息を零す。
だが、その口元が穏やかな笑みを描いている事は、その雰囲気からも明らかだ。













正門のところには人だかりが出来ている。
それなりに大きな大学だから、門がその人々で塞がれると言う事態にはならなかったようだ。
そのことに対してほっと安堵の息を零すと同時に、紅は人だかりの中に見えた姿に笑みを零す。

「蔵馬」

その名を呼ぶ声は小さい。
恐らく、紅の隣に居たとしても、一般人ならば「何か言ったような…」程度にしか聞こえない。
けれど、彼にはちゃんと届く。
周囲の女性には興味がないとばかりに目を閉ざして門にもたれていた彼。
その名を紡ぐ紅の声に応える様に、その目を開いてこちらを向いた。
迷いなく紅の声のした方へと向くその視線に、偶然に向けられたものではない事は明らか。
自分の声に反応してくれた、と俄かに色めき立つ女性らには見向きもせず、彼は薄く笑う。
周囲に黄色い声が飛んだ。
彼が門から背を離して歩き出せば、その進行方向の人だかりはまるで十戒の如く左右に割れる。
彼を動かした者は誰?そんな視線が彼の背中を追って、羨ましい幸福を得たその人物を探す。
ゆっくりと焦る事無く歩いていく彼に視線が集った。
まるで、その構内で動いている者は彼だけであるような…そんな、不思議な空気だ。

「紅」

明らかに質の違う笑みと、優しげな声。
紡ぎ出された名前に目を見開く事となったのは、女性だけではなかった。

「待っててって言った筈だけど…?」
「大事な紅を一人で帰らせるわけには行かないだろ?」

そう言って、すぐ前に来ていた蔵馬は紅の左手を絡め取った。
その薬指に光る指輪の存在に小さく微笑み、お礼と言わんばかりに頬に唇を寄せる。
悲鳴にも似た声が聞こえた―――ような気がする。

「…向こうで女子生徒が卒倒しているわ」
「残念。俺は紅しか見えないんだ」
「楽しまないで頂戴」

そう言ってやんわりと彼との距離を開く。
と言っても、手は繋がれたままなのだからそう遠くなるわけではない。
まるで有名人でも見るかのような視線の山に、蔵馬は人知れず苦笑した。
同時に、悔しそうに唇を噛む男子生徒の存在を見ながら、己の行動が正しかったのだと悟る。

「ところで…」

蔵馬は彼らから視線を逸らすと、改めて紅を見下ろした。
声色が変わったからだろうか。
彼女は当然のように「何?」と見上げて首を傾げる。

「暁斗と逸れたんだ」
「……………この広い構内で?」
「あぁ」
「門で待っていたのに、何で逸れるの?」
「暁斗が紅を迎えに行くと言って聞かなかったんだ」

それで結果として逸れてしまっていては意味がないだろう。
そんな視線を向ければ、彼は申し訳ないとばかりに苦笑した。
彼自身は、暁斗ならば匂いで紅を探す事は出来ると踏んで、大丈夫だと送り出したのだが…。
紅だけが先に来てしまうなんて、予定外だ。

「…仕方ないわね…」
「放送でもしてもらうのか?」
「これ以上目立つのは嫌よ。その内に出てくるでしょう」

待ちましょ、と告げて、蔵馬に手を絡められたまま歩き出す。
当然ながら彼もそれを追うように歩き出し、舐めるように絡んできていた視線の山も一緒に動いてくる。
そうして再び門のところまで来た時に、二人が同時に足を止めた。
振り返る仕草は向きこそ違えど、速度やタイミングは全く同じ。
ただ、目に見えて違っていたのは―――振り向いた先に、自身に向けて飛び込んでくる影があるかないか、だ。
軽い衝撃を受け止めながら、紅はその飛びついてきた影を見下ろした。

「暁斗」
「どこ行ってたの!?三階のピアノの部屋まで探しに行ったんだよ!?」
「ピアノって…東棟の一番端の部屋じゃない。そんな所まで行っていたの?」

ご苦労様ね、と彼の頭を撫でる。
同じ亜麻色の髪をしていて、可愛らしい尾や耳は姿を潜めている。
蔵馬と共に紅を迎えに来る時点で、彼はちゃんと人間の姿を取っていたようだ。

「何か途中でお菓子あげるとか言って呼び止められるし、バーコードのオヤジには追いかけられるし」

踏んだり蹴ったりだよ、と口を尖らせる。
バーコードのオヤジ…口元だけでそう鸚鵡返ししながら肩を震わせる紅。
どうやら、その人物に覚えがあるようだ。

「よく捕まらなかったわね」
「あんなドン亀に捕まるわけないじゃん!」

当然と胸を張る彼に、紅は苦笑いを浮かべた。
良かったのか悪かったのか分からないけれど、一応頭を撫でておく。

「暁斗が捕まっていたら、私も怒られたのかしら?」
「それはないんじゃないか?」

二人の様子を見守っていた蔵馬がそう声を上げる。
すっと腕を差し出してきた彼に、心得ていると腕に抱いた暁斗を渡す。
彼も嫌がる素振りも見せずに蔵馬の腕へと移り、あまり間をおかずに地面へと降りた。

「紅はもうこの大学には無関係だろ?元学生なんだからな」
「…まぁ、そうだけれど…」

残念ながら、まだ構内を出ていないわ。
そう紡いだ彼女に、蔵馬は自身の位置を確認するように足元を見た。
確かに、ギリギリの所で正門を抜けていない。

「どっちでも構わないよ。暁斗は捕まらなかったわけだしね」
「…そうね」
「それより、そろそろ帰ろう。日が暮れれば身体に障る」

そう言ってごく自然に彼女の肩を抱くと、蔵馬はもう片方で暁斗の手を引く。
一瞬紅の方を見た彼だが、すぐに蔵馬の手を握り返した。

「あの…雪耶先輩!」

そう呼び止められれば、それを無視するわけにはいかない。
振り向く紅の視界には、何度か言葉を交わした覚えのあるサークルの後輩が何人か息を切らせていた。

「元学生って…」
「今日、退学してきたの」
「退学!?そんなの初耳です!」
「ごめんなさいね。あんまり急だったから…」

寂しいです、止めないでくださいよ、そんな声が後輩の口から次々に紡がれる。
一つ一つに苦笑を浮かべながら応える紅に、その場の空気で距離を取らざるを得なかった二人が肩を竦める。

「どこに居ても人気だね、母さん」
「こら」

こつんと自身のコメカミを指先で弾く蔵馬に、暁斗は「あ」と自分の失態に気付く。
誰の耳があるかわからないこの場所で、自分が彼女の息子であると悟らせてはならない。
蔵馬はそう言いたかったのだろう。

「それにしても…凄いな。紅が押し負けそうだ」
「母さんは元々優しいんだから、泣きつかれれば負けそうにもなるよ。微妙に逃げ腰だし」
「…相手の気迫も鬼気迫るものがあるな。よほど、止めて欲しくないらしい」

退学届けを提出し、受理されてしまった今ではどうしようもないのだけれど。
数分後、紅は漸く彼女らを説得する事に成功したようだ。
まだ苦笑いを浮かべながら、それでも友好的にことを終えることに成功したらしい。
送り出される直前に、彼女は最後とばかりにこんな質問を投げられた。

「何でやめちゃったんですか?」

その言葉に、紅は蔵馬を振り向く。
どうしようか、と指示を仰ぐようなその眼差しに、彼は仕方ないな…と助け船を出す。

「それくらいにしてもらっていいかな?」

そう言って、紅の腕を引いて彼女を輪の中から引き出す。
傾いてくる彼女を難なく受け止め、後輩に向けて笑顔を向けた。

「もう、一人の身体じゃないからね。無理は厳禁なんだ」

だから返してもらうよ。
そうして、それ以上何かを言われる前にさっさと紅の手を引いて歩いていく。
正門を出て、道を歩いて―――その頃になって、割れんばかりの声が三人の耳に届いた。
漸く、蔵馬の言葉の意味を理解したらしい。
どちらかと言えば野太い叫びが多いことに、蔵馬はやや勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
それを見たのは暁斗だけだ。





繋いだ手の先、君の笑顔



「もう少し通えたと思うけど…」
「駄目だよ。毎日電車に揺られるのはストレスだって言ってただろ?」
「だから、車…」
「それも駄目。シートベルトは圧迫するからね」
「…まだ二ヶ月目よ?」
「諦めなよ、母さん。父さんの心配性は今に始まったことじゃないでしょ」



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07.05.31