今は想像するしか出来ないけれど、いつかこの世界が平和になった時。
あの哀しい兵器が全て破壊され、生み出されなくなった時。
エクソシストとしての役目を失った自分達は、一体どのような運命を進むのだろうか。
それを考えると、ふと寂しさだけが心の中に残った。
「室長」
廊下を歩いていたコムイは、背中から掛けられた声に振り向く。
そこに居たのは半年ほど前に教団に飛び入りしたエクソシスト―――コウだった。
相変わらず彼女の肩では、白いドラゴンが暢気に欠伸をしている。
「コウちゃん。珍しいね、君がこんな所にいるなんて」
こんな所、と言うのは司令室前の廊下を指す。
確かに、彼女がここを通る回数といえばリナリーほどに多くはない。
任務を受ける時以外には通らないから、寧ろ少ないといえるだろう。
恐らくその回数は神田と並ぶほどだと思われる。
「何か質問でも?」
「……………一つだけ、いいですか?」
「うん、いいよ」
そう答えて帽子の位置を整える彼を前に、コウは何度か口ごもる。
それから、何かを決心したように彼を見上げて唇を開いた。
「もし、アクマが全て破壊されたら、黒の教団は…―――――」
重く開かれた唇は、それ以降の言葉を躊躇わせた。
自然と閉じてしまったそれが開く事はなく、続きを促すコムイの視線に応えることも出来ない。
眉を寄せて彼から視線を外すと、彼女はゆるく首を振った。
「ごめんなさい。やっぱり、忘れてください」
それだけを言うと、彼女はペコリと頭を下げて踵を返してしまう。
引き止める暇すら与えないその行動に、コムイは声もなくその背中を見送ってしまった。
ふぅ、と溜め息を零した彼に、今度は別方向からの足音が届く。
「あれ、コウじゃん?」
暢気ともいえる明るい声に、コムイは振り向いた。
そこに居たのはバンダナに眼帯の青年、ラビだ。
眉辺りにひさしを作るようにしている彼は、すでに小さくなっているコウの背中を見てそう告げた。
「コウ、どうしたんさ?」
「いや…途中まで質問して、忘れて欲しいって帰っていったよ」
「…ふぅん…」
興味なさそうな声色でそう答えているが、その視線が追う先を見れば、そんな事はないのだと言う事は明らかだ。
「最近、コウ…ちょっと変らしい」
「変?」
「何て言うか…元気がない?みたいな事をユウが言ってたんさ」
「…神田君も、コウちゃんの事になると弱いね」
彼が誰かを気にする事など、ありえないのだと思っていた。
だが、現実に彼は彼女を案じ、更には無茶をしないように止める事だってある。
初めこそ教団の皆で目を疑ったものだが、今となってはそれも慣れた事だ。
「さっき、アクマが破壊されたら…そう、話を切りだそうとしていたよ」
コムイの言葉に「そっか」と短く答えると、ラビはコウの去った方へとその場を後にした。
「ユウ!」
スタスタと前を歩く神田の存在に気付くなり、ラビが大きく声を上げる。
絶対に聞こえていない筈はないけれど、彼は止まらなかった。
寧ろ早くなったような足の動きに苦笑しつつも、ラビは彼の真正面へと回りこむ。
「…邪魔するな」
「邪魔じゃないって。コウのことさ」
ぎろりと睨みつけていた目が、一瞬和らいだ。
その次に浮かべられた鋭い目は、どこかその一瞬を取り繕ったもののように見える。
「気になるんだろ?」
ユウも、と言う言葉は無かったけれど、言葉の外には隠されていた。
その隠した意思が確かに伝わったのを感じ、ラビは目を細める。
神田の沈黙は肯定だ。
昇ってくる朝日を見るのは嫌いではない。
夜にふと目が覚めて眠れなくなった時は、こうして屋根の上で朝日を待つ。
今コウを照らしているのは、生まれたばかりの太陽ではなく、赤く染まりつつ落ち行くそれ。
嫌いではないけれど、好きでもなかった。
この夕日の先に、果たして今日と同じ明日はあるのだろうか。
そう思うと、前進を照らす赤が寂しい。
「コウ発見~」
そんな間延びした声が聞こえて、コウは夕日に向けていた顔をそちらへと動かす。
どこから伸びてきたのかは知らないが、居る筈のないところに居る筈のない人物。
何度かこの光景を目にしているから、それに対して驚いたりはしない。
ただ…彼の後ろで眉間にしっかりと皺を刻みつつもそこに居る神田には、正直、少しだけ驚いた。
「ラビ、ユウ…どうしたの?」
危ないよ、と言いながら、コウは膝の上に乗っていたアズに目配せする。
すると彼は即座に発動して、巨大な身体を二人の方へと寄せていった。
槌に掴まる形で不安定だった彼らは、天の助けと言うのは少し大げさだけれど、とにかくアズの背に乗りこむ。
それから、彼がゆっくりと二人を屋根の上へと運んだ。
因みにこの屋根、コウが何度も来る事を予想して、彼女自身の錬金術で少し座り易くしてある。
その事を知っているのは、何度も来ている彼女と、それにつられて来るラビや神田くらいだ。
「コムイさんから聞いてきたの?」
三人で並んで夕日が沈むのを見つめていたが、不意にコウがそう口を開いた。
ビクリと肩を揺らせば、それが肯定であると教えているようなものだ。
苦笑いを浮かべた彼女は彼らに視線を向ける事無く、まるで消えそうな表情で沈み行くそれを見た。
「ラビやユウは…アクマを全部破壊して、千年伯爵を倒したら…どうするの?」
「千年伯爵を倒したら、俺は…」
答えようとして、ラビの言葉は不自然に消え失せる。
きっと、ブックマンとして生きる、その道を進むのだろう。
だが、何故か口に出すのは躊躇われた。
「知らねぇよ、そんな事」
そう吐き捨てつつも、神田の声にはいつもの切れがない。
少なからず、思うところがあるのだ。
「今は目の前にある目標が大きすぎて、未来を見ることが出来ない。
でも、それが消えた時…私達は何を見て生きていけばいいんだろうね」
アクマが消えれば、エクソシストは必要なくなる。
神の使徒として己の命を懸けて戦う日々に終止符が打たれる。
それは、同時に己の存在理由を奪われるような気がした。
「黒の教団はどうなるんだろう」
必要のない物を、いつまでも残しておくのだろうか。
それとも、軍のように世界の治安の為の組織となるのだろうか。
少しだけ、違うような気がした。
「未来を…考えなきゃ駄目なんだよ。だって、私達は千年伯爵を倒すためだけに生きているんじゃない」
その生き方を余儀なくされているのはエクソシストとしてのコウ・スフィリアであって、コウ自身ではない。
未来を考えて、望みを抱かなければ…霧の中で道を見失うような、そんな気がするのだ。
コウの言葉に、二人は沈黙する。
当たり前のようにエクソシストとして生きてきた自分達には、彼女のような考えは浮かばなかった。
アクマを倒す、千年伯爵を倒す―――それがあまりに大きすぎて、自分の存在理由になっていたのかもしれない。
けれど、彼女に言われて、気付く。
「そう言えば…それからなんて、考えたこともねぇさ」
あれがしたい、これがしたい。
10代の若者として当然の欲求すら知らずに過ごしてきたからこそ、考えるべきなのかもしれない。
「コウはどうなんだ?」
「私は…もう一度でいい。ヒューズさんに会いに行きたい。それから…人を救う仕事をしたい…かな」
会いに行くと言っても、彼を追うわけではない。
ただ、彼の眠る墓所を訪ね、心を通わせたいのだ。
突然に見知らぬ世界に飛ばされたからこそ、余計にそうしたいと思う。
「お前らしいお人好しな夢だな。今も大きく見れば他の奴のために戦ってんのに、また人の為に働くのかよ」
「…いいんじゃない?自分らしくて」
そう言って笑う彼女に、神田は肩を竦めるだけで何も言わなかった。
二人の遣り取りを見ながら、ラビは彼女の言う事を考える。
同時に、コムイが話していた彼女の質問の意味を悟った。
彼女はこの事について、悩み、そして教団の行く末を尋ねようとしたのだろう。
「俺は…千年伯爵を倒すって事で、頭がいっぱいでそれより先はわかんねぇ」
ポツリと零れ落ちたのはそんな言葉だった。
ラビのそれにコウは神田から視線を外して彼を見つめる。
それから、安心させるように微笑んだ。
「皆そうだと思うよ。だから、考えるの。これから見つけるんだよ」
急ぐ必要はない。
そう言って、彼女は先ほどまでのどこか哀しげな笑みを取り下げ、明るく笑う。
話を伝えられただけで満足と言うわけではないにせよ、彼らが前向きである事が嬉しく思えた。
「ねぇ、ラビ、ユウ。千年伯爵を倒したらね?」
不意に、コウは自身の中に思い浮かんだ事を口にする。
彼らの目が自分に向いたのを確認する事もなく、彼女は続けた。
「元の世界に戻る、研究をしたいと思う」
先ほど告げた夢も夢ではあるけれど、これは現実的な想い。
息を呑むのが聞こえ、あぁ、そういう意味じゃないんだと告げる代わりに、安心させるように微笑んだ。
「決して、平和とは言えないけど…。軍が必要な、そんな世界だけど…二人にも見てほしいなって」
その時には、ついて来てくれますか。
言葉にはならなかったけれど、彼女の目がそう言っていた。
自分達を連れて行くという事は、彼女は恐らく向こうの世界に止まる事無くこちらに戻るつもりがあるのだろう。
少なくとも、計画性無しに他人を未知の世界に放り込むような人間ではない。
「…ま、面白そうだよな。錬金術師ってのも見てみたいし」
頭の後ろで腕を組んで、ラビはそう笑った。
それから、何か言いたげに神田に向かって目配せする。
「………強い奴が居るなら考えても良い」
別に我武者羅に頂点を目指しているわけではないけれど、頭からラビのように受け入れるのは自分らしくない。
何とも天邪鬼な返事をしてしまったと思ったけれど、彼女はそれでも嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、まずはそれが目標だね」
そう言って、コウは自身の拳を前に出した。
その意図を察したラビが口元に笑みを浮かべながら、彼女に倣う。
「ほら、ユウも」
「…ったく…」
面倒そうにしながらも、神田もまた、自身の腕を持ち上げた。
三方向から伸びた拳が、その中心でコツリと当たる。
約束―――言葉として、それを紡いだわけではないけれど、三人の中で確かにそれが結ばれた。
やがて、闇から逃げるように太陽が沈み、星が空を支配する。
その先には、変わらず昇る太陽がある。
さぁ、一緒に踏み出そう。
向かう明日への一歩目を
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07.05.30