緋色の記憶
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全てが上手く行き過ぎて。
どこか不安に駆られた時…惑わすように吹いた風に誘われて、紅は本拠地から姿を消した。
彼女の部下が住人無き部屋に気づくのは、それから凡そ三時間後のことである。






「お頭!紅さんがいません!!」
「…どうせまた中庭の木の上だろう。放っておけばいい」

ぺらりと本をめくり、蔵馬は淡々と答えた。
数日に一度、こうして彼女直属の部下が自分に泣きついてくるのだ。
回数を積めば誰でも慣れてしまうだろう。

「でも…」
「今日は特に盗みにここを出る予定も無い」
「あの…中庭の木の上にも居ませんよ…?暁斗の姿を見た者も居ませんし…」

控えめに告げられた内容を聞くなり、蔵馬の耳がピクリと動く。
二ヶ月前の頭に歩けるようになった我が子は紅に付きっ切りだった。
どこに行くのもその金の髪を流した背中を追って、頼りない足取りで歩く。
そんな光景を見ていないというのは何とも奇妙な話だ。

「……いつからだ?」
「三時間ほど前からです」
「………少し空ける」

溜め息と共に本を閉じると、それを寝床の上に放り投げて彼は立ち上がる。
その拍子に頬にかかった銀糸を鬱陶しそうに背中へと払い、彼は部屋を出て行った。
報告に来た紅の部下の事などお構い無しである。

「…お気をつけて」

彼の背中にかかった声に含まれていたのは苦笑。
主をなくした部屋を一瞥すると、彼女の部下は部屋の扉を閉じて自身の持ち場へと戻った。


















「か、あさん!」

息を乱しつつ呼ぶ声に、紅はゆっくりと頭を振り向かせた。
必死についてくる姿を認めるとやれやれと溜め息を漏らす。

「付いてきてしまったの?蔵馬が心配するわよ」
「だって、母さんがどっかに出て行くから…」
「仕方の無い子ね」

子供の足にはさぞかし辛い道のりだっただろう。
紅の膝ほどの高さの石があちらこちらに転がっているような所を進んでいたのだ。
漸く追いついた、もう離すまい。
とでも言うかのように、暁斗は紅の着衣の裾を握り締める。

「今から帰りなさいって言うのも危ないわね…」

そう言って苦笑を浮かべると、紅はまだ小さい暁斗の身体を抱き上げる。
それをいい事に擦り寄る姿はまるで猫のようだ。

「どこに行くの?」
「…懐かしい匂いがするの。それを確かめに、ね」

元来た道に背中を向け、新たな道を進む。
進行方向に見えるのは岩山のみで、その先に何があるのか暁斗にはわからなかった。
鼻や耳をぴくぴくと動かす彼に気づいたのか、紅はふっと笑ってその頭を撫でる。

「多分暁斗は初めて見るわ」
「何なの?」
「…着いてからのお楽しみ」

軽い足取りでトントンと岩を登っていく紅。
腕に抱いた暁斗の重さなどすでに慣れてしまったもので、特に苦と感じる事もなかった。
暁斗は自身の身長の小ささを恨めしく思いつつ、初めて見るものとやらにわくわくと気を躍らせる。
定期的にパタパタと揺れる尾がそれを示していた。
















背中の方から吹く風に乗ってきた匂いに、紅は口元に笑みを浮かべる。
自分が思っていたよりも距離があった所為か、心配させてしまったのだろう。
驚くべき速さで近づいてきている存在を悟り、足を止めた。

「母さん?」
「もう少し警戒心を強めなさいね、暁斗。ここまで近づかれて気づかないようでは致命傷を受けるわよ」
「?」

暁斗が紅を見上げて首を傾げると同時に、木々の葉を散らすような強い風が吹く。
思わず閉じた目を開いた時には、目の前に自分達以外の姿があった。

「父さん!?」
「やはり暁斗も一緒だったのか」

蔵馬は驚いた様子で自分を見つめる暁斗を、紅の腕からひょいと受け取る。
そして彼女の方を見れば、苦笑と共に自分を見つめ返す金の双眸とかち合った。

「心配させた…?」
「いや、大方こんな事だろうと思っていた」
「…帰らないと駄目?」

そう問いかける紅は、断る事を憚られる様な表情で彼を見上げる。
蔵馬は確信犯だな、と思いつつも首を横に振った。
結局の所自分は彼女には甘いのだ。

「暁斗に見せたいんだろう。急がないと日が暮れる」

片腕で暁斗を抱き上げると蔵馬は紅の前を歩き出す。
少し遅れを取るものの、紅はすぐに彼の隣に並んだ。

「何のことかわかってるのね」
「覚えのある匂いだからな」

すでに岩の道は終わり、足元には顔を出したばかりの草木が青々と茂っている。
徐々に木が多くなってくる風景に、暁斗は目を奪われていた。
本拠地の傍が森とは言え、決して安全とはいえないような場所。
ここまで遠出するのは一人では到底無理な事なのだ。
興味を根こそぎ持っていくような様々な物を、暁斗は蔵馬の腕に抱かれながら目に焼き付けていた。















父譲りの銀髪を風が撫でていく。
薄く閉じた視界に、ふわりと何かが入り込んできた。
咄嗟に受けるように手を差し出すと、それは音も無く小さな掌に舞い降りる。

「緋色の…花びら?」
「あぁ。もう近いな」

指でつまみあげたそれを見た蔵馬が頷きながら答える。
しげしげとそれを見つめる暁斗を見て、紅はクスクスと笑った。
生まれて一年と経たない彼にとっては初めての季節だ。
丁度草木が枯れる時期に生まれた所為もあって、こうして芽吹く姿は興味深いものがあるのだろう。

「暁斗。そんな手元に目を奪われていると勿体無いわよ」

そう言って彼女は前方を指差す。
眼前に小さく見えたのは、生い茂る青の変わりにその身を緋に染める大樹。
暁斗の目が輝いた。

「父さん!降りる!!」
「わかった。……わかったから、暴れるんじゃない」

まだ短い手足を盛大に動かす暁斗を窘め、蔵馬はその足が地面に着くよう身体を下ろした。
途端に駆け出すその背中を見つめつつも風に乗って届く緋色の花びらを手で受け止める。

「蔵馬には話したかしら…私の生まれが、あの木の多い場所だったって」
「いや…。好きな事は知っていたが、そこまでは聞いていないな」
「そっか。……小さい頃から見てきた所為かな…凄く懐かしく感じる」

穏やかな笑みと共に紅は木の傍らに駆け寄っている暁斗の方へと足を向ける。
途中、まるで誘うかのように自身の周りを舞う花びらに向かって両手を差し出した。
ふわりと風の抵抗を消して音も無く降り立ったそれに、何とも言えない懐古の念を抱く。

「母さん!緋色の絨毯みたい」
「綺麗でしょう?」
「うん!!」

すでに花びらも2割ほどがそれを地面へと落としている。
ここからは花びらを無くす一方なのだという事実に、どこか寂しさを感じた。
遅れて追いついた蔵馬も下からその大樹を見上げる。

「綺麗、だな」
「ええ」

そっと幹に触れる紅の手に蔵馬のそれが重なる。
背中から抱きしめるように彼女をその腕の中に閉じ込め、蔵馬はその髪に唇を落とした。
そして、金糸の上に乗っていた緋色を唇で挟んで取り除く。

「…ありがとう」
「どういたしまして」

一度手の上に乗せたそれを吐息で風へと乗せてやると、蔵馬は彼女に微笑む。
はしゃいでいて蔵馬の様子を見ていなかった暁斗が、今更になってその状況に気づいた。

「父さんずるい!」

そう言いながらポスンと紅の足に抱きつく彼。
紅と蔵馬は顔を見合わせて笑う。
言葉を交わす事無く蔵馬が大人しく紅を解放し、彼女は暁斗を抱き上げた。

「帰ろうか。そろそろ日も傾き始める」
「えー…」
「夜は魔族の力が強まるから危ないわ。それでも残るって言うなら止めないけれど…」

どうする?と紅は問いかける。
危険から身を守れるほど、自分に力は無いという事を理解している暁斗は頷くしかない。
やや不服そうに、彼はこくりと頷いて紅の首に自分の腕を回した。
褒めるようにその背をぽんぽんと叩くと、彼女は足を動かして大樹の下から出てくる。
そして未だ留まったままだった蔵馬を振り向いた。

「蔵馬?」
「あぁ、すぐ行く」

その言葉に満足したのか、紅はくるりと背を向けて歩き出す。
彼女を見つめていた蔵馬だが、ふと緋色の花をつける大樹の枝へと手を伸ばした。

「すまないな」

小さく謝罪の言葉を紡ぎ、枝の一つを手折る。
枝を懐に忍ばせると、彼は少しばかり足を急がせて二人を追った。
















「…うわぁッ!!!」

そんな声と共に本拠地の朝は始まった。
唯一の子供の声に、建物の中の者に緊張が走る。
だが、そんな彼の両親はというと至って冷静だった。

「何事?」

すでに人の集まっていた室内へと身体を滑らせ、窓に張り付く暁斗に声を掛ける。
その時点ですでに原因はわかっていたのだが。

「母さん!これ…!!」
「あー………綺麗ね」

窓に入ってくる風に乗って部屋の中へと緋色を躍らせるそれ。
昨日までは無かった大樹の存在に、紅は口元を緩めた。
とは言え、素直に喜べないのは、あまりにもその存在が唐突に現れたからだろう。
やれやれと部下が徐々に立ち去っていく中、それに逆らうようにして部屋に入ってきたのは言うまでも無く蔵馬。

「…本当に突然ね?」
「暁斗は木登りが好きだから丁度いいだろう。俺達の部屋の外のはまだ暁斗くらいだな」

恐らく、前に「成長を見ていくのが楽しい」と言った事を覚えていたのだろう。
小さな優しさに紅は微笑を浮かべて彼の肩に頭を預けた。

「………ありがとう」

喜びを笑顔で表現しつつ窓を飛び出していく暁斗を見ながら、紅は小さく呟いた。




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06.04.08