明らかな予兆に紅は少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
身に覚えがないわけでもなければ、在り得ないわけでもない。
そっとそこに手を滑らせ、内に潜む命を想う。
初めての出来事に、募ったのは嬉しさといくらかの不安。





己を案じるように声をかける悠希に微笑みかけ、彼女は水道を閉める。
勢いよく流れ出していた水が細くなっていき、そしてピチャンと言う音と共に最後の一滴。

「蔵馬様はご存知なのですか?」
「私も今日気づいたんだから…知らないでしょうね」

苦笑へと表情を変えて紅は答える。

「早いうちに話した方がよろしいと思います」
「そうね…彼にも知る権利はあるわよね」
「佐倉様、そう言う事ではありません」

トンッと地面を蹴って戸棚の上に乗り、そこから紅へと視線を向けてくる悠希。
そんな悠希の眼差しを受け止めながら彼女は続きを待った。

「蔵馬様ならば大丈夫です。ですから、抱え込む前に話してしまった方が…」

その時、悠希の声を遮るように足音が近づいてきた。
紅と悠希は廊下の向こうに揺れた影へと視線を向ける。

「紅?」

銀の髪をサラリと揺らし、彼は姿を見せた。
ここに居る事が意外だったのか、不思議そうな表情を浮かべている。
確かにここは盗賊団本拠地の裏の水道。
普段ならば決して使われないような所だ。

「蔵馬…」
「………顔色が悪い。どこか調子でも崩しているのか?」

すぐ前までやってきた彼は紅の頬に手を伸ばしながら言う。
その言葉を聞き、彼女は顔を逸らして悠希を見た。

「時間が経てば余計に話し辛くなります」

そんな言葉だけを残し、彼はその場から去っていった。
何て無責任な言葉を残してくれるんだ…と思うが、背中を押して言ってくれたことは素直に嬉しい。
悠希を見送る蔵馬の横顔に視線を向けていれば、不意に彼の眼が紅を映す。

「どうかしたのか?」
「…部屋で話すわ」

どこか歯切れの悪い彼女のそれに心中で首を傾げつつ、蔵馬は歩き出した紅の隣に並ぶ。
何かを思いつめている様子の彼女の横顔を横目で捉えながらも彼はそれを問う事はしなかった。











部屋に入るなり、紅はボスンとベッドに腰を降ろす。
スプリングが軋む音と共に、彼女の金糸が揺れた。
高い位置で結い上げたとしてもまだ腰の辺りまでの長さを保つ髪が白いシーツの上に流れる。

「話が、あるの」

いくら言葉を選んだ所で、結局伝えなければならない事は同じ。
少しばかり躊躇った物の紅は割と早くに口を開いた。
部屋の隅に設置された机の上にあった本を持ち上げたまま蔵馬の手が止まる。
その視線に自身が映ったのを確認するでもなく、紅は顔を俯けた。
勢いで話してしまえばよかったのに、妙な沈黙を取ってしまった所為で話し出すきっかけが難しい。
そんな風に脳内で止め処なく流れる思考を落ち着かせるように、紅の頭に彼の手が下りてくる。
撫でられた所から優しさが伝わってくるような動きだった。

「ゆっくりと話せばいい。今日は何の予定もないからな」

その言葉に弾かれたように、紅は前に立つ蔵馬の着衣を握る。
彼は紅の頭を撫でる手を止めず、彼女の隣へと腰を降ろした。
その胸元に顔を埋めたまま、紅はゆっくりと唇を動かす。

「子供が出来たみたい」

頭を撫でていた手が一瞬止まる。
だが、すぐにその動きは再開された。
ついでに、もう片方の手を背中に回すと言う行動つきで。

「いつ気づいた?」
「…ついさっき」

蔵馬の行動に少しばかり驚きながらも、大人しくその腕に抱きしめられたまま紅は答える。
彼女の答えに蔵馬は「そうか」と短く返した。
その声と共に背中を抱く腕の力が少しばかり、けれども苦しくない程度に強まったのを感じる。

「盗賊業は全て休め。動くなとは言わないが、勝手に本拠地から出歩く事は許さない。わかったか?」

見上げる彼女を手伝うように緩められる腕の力。
その腕に抱かれたまま彼を見上げれば、その表情を金の眼に映す事ができる。
眼差しから彼の心全てが悟れるようだった。
何を言うでもなく彼の胸に抱きつけば、同じように優しい抱擁が返って来る。

「何か必要な物はあるのか?」

初めての事だからよくわからない、と言う蔵馬に紅はクスクスと笑った。
いつでも冷静沈着に物事を進める彼でも、こうして戸惑う事はあるのだなと思う。
自分だけが悩む必要などなかったのだと。

「何もいらない。傍に居てくれればいいから」
「そうか。一度きちんと調べた方がいいだろうな。後で医療の奴らを呼んでおく」

あまりにも自然に話が進みすぎて、逆に不安が増幅されそうなくらいだった。
しかしそうはならないのは、この腕の中にあるからだと言う事を紅はわかっている。
その答えに行き着いた彼女はクスリと笑みを深め、彼の胸元に擦り寄った。
流れた金髪を掬う指が心地よい。

「何をそんなに気にして居たんだ?」
「…初めてだったから。蔵馬がどう思うかもわからなかったし…」
「生んだ後は捨てろとでも言うと思ったのか…」

馬鹿馬鹿しい、と蔵馬は溜め息を吐き出す。
そして紅の耳元に唇を寄せて囁いた。

「一滴でもお前の血の通う者を手放すはずがないだろう」

呆れた様な苦笑と共に紡がれた言葉。
この言葉が嬉しくない女が居るのだろうかと思う。
少なくとも、自分には十分すぎる言葉だった。

「…半分はあなたの血だから、ね」
「あぁ、そうだな。女なら紅のように美人に育つだろう。男なら…」
「間違いなく男前ね、蔵馬に似て。魔界の女性が放っておかないでしょうね」

すっとごく自然に紅の手が己の腹部を撫でる。
それに気づいたのか、蔵馬は彼女を抱き上げて自分の膝の上に乗せた。
座る彼の足を跨いで膝立ちのような姿勢になった彼女の腰を支え、少し高くなった彼女の目を見つめる。

「純粋な妖狐か…鍛えるのが楽しみだな」
「三ヶ月経たないと生まれても来ないわよ。鍛えられるようになるまでは早くても半年はかかるんじゃない?」

妖狐は外見年齢7~8歳まで成長するのに掛かる時間が約半年と、異常なまでに成長が早い。
これは自身の生を長引かせる為の血の進化だと悠希から教えられていた。
それ以降は極端に成長が遅くなり、紅や蔵馬くらいに成長するまでは200年ほどの月日を要する。

「…随分先だな」

半年と言う言葉に紅は声を上げて笑った。
そして人間ならば更に二年ほどは掛かると教えてやる。
その時の蔵馬の驚いた表情は忘れられないだろうと紅は思った。

「どっちがいい?」
「?」
「男か、女か」
「…紅に似ていればどちらでも可愛がるだろうな」

少しだけ考えてから蔵馬はそう答える。
そしてついでに「男の方が教える事は多そうだ」と口元を持ち上げた。
今頃から楽しみにしていてどうするのだろうと思ったが、それよりも喜んでくれているのだと言う気持ちが前に出る。
喜ばれていることが、ただ純粋に嬉しかった。

「私は蔵馬に似ていて欲しいわ」

期待を言う名の想いを馳せる。
そう遠くない未来に出逢えるであろう我が子に。

「まぁ、元気に生まれさえすればそれでいい」

待つ事は苦ではないと彼は言った。
そして、腰にまわした腕を引き寄せてその身体を抱きしめる。
新たな命が息づくそこに、深い藍の着衣の上から唇を落とした。












「あー!やっぱり父さんが母さんを独り占めしてる!!」

本拠地内にそんな声が上がるのもすでに日常。
声の主はもちろん、父親からその髪と知性、母親から顔立ちと一部の能力を受け継いだ彼。
そんな声を聞きながらも和やかに談笑する盗賊集団と言うのは何とも面白い光景だが、慣れれば大した事はない。

「ね、母さん!今日は結界の張り方を教えてくれるんだよね?約束したよね?」
「はいはい。ちゃんと覚えているから、自分の部屋で少し待ってなさい」

グイグイと腕を引いていきそうな暁斗に紅は微笑みを浮かべながらそう言った。
背中に不機嫌なオーラを痛いほど感じる。
それに気づいていながら無視する暁斗の性格は中々蔵馬に似ていると感じた。
早くね!と自室に掛けていく彼に手を振ると、紅はクルリと身体を反転させる。

「何を教えるよりもまず紅が俺のものだと教える必要があるな…」
「………あのね…。子供相手に本気で妬かれても困るんだけど…」
「いや、これは教えておかなければならないことだ」

真剣に言う蔵馬に紅は苦笑を浮かべる。
そして、彼の頬に手を伸ばすと己から唇を重ね合わせた。

「少し教えたら戻ってくるから。そうしたら暁斗の訓練に付き合ってあげてね」
「…俺も一緒に行こう」
「そう?あの子は嫌がると思うけど…それでも?」

何だかんだ言っても、尊敬する父親に努力中のところを見られるのは嫌らしい。
以前そんな事を言っていた事を紅は思い出した。

「………わかった。なら明日の確認でもしておくか。終わったら呼びに来てくれ」
「ええ。出来るだけ早く終わらせるわ」

蔵馬が頬に落としたキスを受け、紅は頷きを返すとそのまま部屋を出て行った。

しっかり彼の性格を受け継いでしまった暁斗と蔵馬の争いは絶えない。
それでも、愛する者に大切にされ、その彼との間に生まれた我が子にもこれ以上ない程に愛されている。
ただ幸せな日々だった。




君がくれた、沢山のもの


Thank you 1,000,000 hit!!

06.01.16