「旅の始まり…?」
ストローを銜えながらコウがそう繰り返した。
向かいに座るエドも似たような行動を取りながら彼女の言葉に頷く。
先程まで最寄の図書館で調べ物をしていた一行。
しかし、昼食時も過ぎた事に気づいたアルが二人を食事へと向かわせた。
気になる本を見つけたから、と彼はその場に残って。
アルに付き合うと言ったメラノスと彼を残し、コウとエドはランチタイム終了ギリギリに食堂へと滑り込んだのだ。
コウはうーん、と考えるように腕を組み、背もたれに体重を移す。
「物心がついた頃にはすでに旅の中だったよ」
「そんなガキの頃から?」
「うん。私の父さんって結構有名な楽師でさ。国のあちこち…だけじゃなくて、他の国にも知り合いが居たわ」
「へー…凄ぇな」
「自慢の父さんだよ」
そう言って彼女は微笑む。
コウは少し顔を動かしたと同時に頬に掛かった髪を背中へと払った。
そんな彼女の動きをぼんやりと眺めていたエドが口を開く。
「父親と旅してたのか?」
「父さんと、歳の離れた兄さんと。母親は…私を産み落としたと同時に息を引き取ったらしいわ」
「…ごめん」
コウの言葉を聞くなり表情を暗くしてそう言ったエドに、彼女は首を振った。
その表情に悲しみの色はない。
「大丈夫。確かに私は多くのものを失ったけど、得たものも…ちゃんとあるから」
「や、でも思い出したくないだろ?」
「いいえ?寧ろ、私は彼らの娘で在れる事を誇りに思う」
絶えず食事や飲み物を運ぶウエイトレスの声をBGMに、彼らは話す。
店の賑わいも気にならなかった。
「…コウは強いんだな。俺なんか…父さんが居るってのにこんなんで…」
「強いって言うのは人それぞれじゃないかしら。私は…エドは強いと思うよ」
そう言ってストローをくるりと回せば、この季節には若干不似合いなカランと言う音が耳に届く。
透明のグラスの中で泳いだそれに視線を落とした。
「私ね?父さんにずっと謝りたいと思ってたの」
「謝る?」
「父さんの…最愛の人を奪ったのは、他でもない私だったから」
「!で、でもそれは…」
驚くように少し声を荒らげたエドに、コウは少しだけ眉を下げて言う。
「私の所為じゃない。だけど、幼い私にはそれが理解できなかったの」
だから、たった一度だけ。
心から父親に向かって謝ってしまった事があった。
「父さんに怒られたのは…アレが一番初めだったんじゃないかしら」
その時の父の表情を言葉で表すのは難しい。
何より一番前に出ていたのは哀しみだったと思うけれど。
「その時に言われたわ『いつか、愛する者が出来ればお前にもわかるよ』って。ごめんね、辛気臭い話で」
二人の周りの空気が暗くなってしまったことに気づいたコウは苦笑を浮かべながらそう言った。
そんな事はないと首を振るエドだが、彼女は納得していなかったようだ。
それからすぐに運ばれてきた料理を喉に通しながら、コウは錬金術の話へと話題を変える。
食事を終えた頃、アルの元を離れたメラノスが彼らに合流する。
こじんまりとした食堂を後にして二人と一匹は図書館への道を進んでいた。
「コウが自分の家族の話をするなんて珍しいね。特にシュウ」
「“シュウ”?」
聞きなれない名前にエドが首を傾げた。
メラノスは藍の目で彼を見上げ、そしてその尾を揺らしながらまた歩き出す。
「本名は…シューリミットだっけ?コウの兄の名前だよ。聞いたんだろ?」
「あぁ、名前までは聞いてなかったな」
「そう言えば私も名前を言うのは忘れてたわね…」
今思い出した、とコウは乾いた笑い声を上げた。
そんな彼女に肩を竦めるメラノス。
「何で本名と別に名前があるんだ?」
「長すぎるって。名乗る時には全部シュウって言ってたの」
勝手でしょう?とコウは言う。
エドは自分の名前と似たようなものだろうか、と考えていた。
「…言っておくけど、それは一種の照れ隠しだよ。本当はコウの為だからね」
「え?何それ」
メラノスの言葉にコウが怪訝な表情を浮かべる。
彼女自身には覚えがないことのようだ。
「メラノス、どう言う事なんだ?」
「幼い妹の口では『シューリミット』って名前は呼び難かったんだよ」
「シー…?」
「シューリミット。ほら、言ってみ?」
「……シュー…」
「…シューリミットだってば。何でそこで止まっちまうんだ?」
「……シュー…シュー……シュウ!」
「…………………よし。コウがそう呼ぶなら俺はこれからシュウって名乗ってやる!」
「って感じだったね」
「そ、そんな事があったんだ…」
知らなかった…とコウは頬だけでなく耳まで染めて紡ぐ。
自分の覚えのない幼少期の話と言うのは聞いていて恥ずかしいものだ。
「へぇー…いい奴なんだな。その…コウの兄貴」
照れた様子の彼女は珍しいな、と思いながらもそれをからかうわけでもなくエドは言う。
からかえば更に面白い反応をしてくれたのだろうが…さすがにそれは可哀相だと思ったのだ。
「もちろん。錬金術の師であり、この機械鎧を作ってくれた人だもの。シュウ兄さんも私の自慢の兄よ」
懐かしむように、愛おしむように己の左腕を撫でる。
その表情は穏やかだった。
「…自分の家族を自慢の、って言えるてさ…なんか、いいよな」
「あら、エドは言えないの?」
「もちろん言える!アルは俺の自慢の弟だからな!」
アル以外の人物を口に出さないエド。
しかし、コウはそれを問い詰める事はしなかった。
彼の満足げな表情に自身も微笑みを浮かべて頷く。
足元から見上げてきたメラノスを抱き上げながらコウは口を開いた。
「私ね。父さんの言っていた言葉を理解できる日が来るのか、不安だったの」
その漆黒の毛を撫でながら彼女は言う。
一瞬、メラノスに言っているのかと思ったが、その内容に自分への言葉なのだと気づくエド。
「家族以外に愛おしいと思う人が出来るとは思わなかった。誰かと関わる事に…臆病になっていたから」
失う事が多すぎて、大切な者を作らないようにしていた。
常に自身を壁の中に置く事で自分を護ってきたのだ。
そんな壁は、彼らの前には無意味なものだったけれど。
「自分が生まれた事にどこか罪悪感を覚えていたの」
哀しげに微笑んだコウの頬を舐めるメラノス。
しかし、彼はその声を以ってして彼女の邪魔をするようなことはなかった。
「ありがとう、エドワード。あなた達に…あなたに逢えたから、私は自分を誇れるようになった」
誰かを愛おしいと思えたからこそ、愛情の中に生まれたのだと。
母は、自分を産んで幸せだったのだと信じることが出来た。
それを確認する術はないけれど…それは確かなものだと思う。
「…俺は何もしてねぇよ。ただ、自分の為に動いただけだ」
「それが嬉しかったよ。誘ってくれたこととか、一緒に居てくれる事………全部」
だから、ありがとう。
そう言ったコウに、エドは自身の頬を掻きながら頷いた。
照れ隠しのように顔を逸らして答える。
「何か、お礼ばっかり言われると別れみたいだよな」
「でも…」
「そう言うときは「これからもよろしく!」って言っとけばいいんだよ」
僅かながらに頬を染め、彼はニッと口角を持ち上げる。
彼の言葉に頷き、コウはその言葉をしっかりと紡いだ。
初めての感情に戸惑う事も少なくはないけれど。
くすぐったくて…どうしようもなく温かい心。
まだ暫くなれる事は無理だろうけれど、大切にしたいと思うの。
あなたの傍にいられる間は、成長し続ける感情だから。
知らない感情をくれたあなた
Thank you 1,000,000 hit!!
06.01.12