望んだのは、小さな窓から見上げた空。
そして何者に縛られるでもなく雄大な空へと翼を広げる鳥のような自由だった。






「雪耶さん」

今回は中々の当たりくじだったと思う。
窓側、後ろから三番目と言う嬉しい席に座り、紅は授業の合間の休憩時間を過ごしていた。
机の上に乗せた次の授業の用意を脇へと押しのけ、あいたスペースに肘をつく。
手に顎を乗せて楽な姿勢を取ると、彼女は窓の外へと視線を向けていた。
そんな紅に、クラスメイトからの声が掛かる。
肘を机から離して彼女を振り向けば、ドアの方を指さして「呼んでるよ」と一言。
指差す方向に視線を向ければ、その茶褐色の瞳がドアの所に凭れる彼を捉えた。
自分の方を向く紅に気づいた彼が来い来いと手招きをする。

「ありがとう」

声を掛けてくれたクラスメイトに礼を述べ、紅は机の中に入れてあった読みかけの本を片手に椅子を引く。
授業始まるよ、と言う彼女の声に曖昧な笑みを返し、彼女はドアの方へと歩き出した。

「屋上?」
「そうだな。今日は天気もいいし」

ドアから背中を離した彼、蔵馬は微笑と共に紅を迎えた。
背中に女子からの羨望の眼差しが刺さるのを感じつつ、紅は彼に向かって口を開く。
短い言葉の遣り取りの後、彼らは連れ立って教室を離れて行った。











屋上は本来立ち入り禁止となっている所為か、そこへ繋がる階段の電灯は切れたまま放置されている。
扉の磨硝子から差し込んだ陽の光だけを頼りに少し汚れた階段を一段ずつ進む。
何度も彼に連れられてやってきたそこではあるけれど、未だに少しだけ緊張してしまう。
それを知っているからだろうか。
蔵馬は何を言うでもなく彼女の手を包み、彼女が遅れを取らない程度の速度で歩く。
慣れた様子で曲がったヘアピンを鍵穴に差込まれ、数秒も経たないうちにカチャリと言う開錠音。
ギィ…と立て付けの悪い扉が悲鳴を上げた。
階段と外との明るさのギャップに軽い眩暈すら覚え、二人はその目を細める。

「今日は突然だったわね」

眼が慣れるまではさほど時間は掛からなかった。
頬を撫でていく風を感じつつ、紅は口を開く。

「次の授業が自習だったからね」
「…私は普通に授業だったんだけど…」

そう言って少しばかり恨めしい視線を向ければ、彼は笑って「紅も自習だよ」と答える。
その悪戯めいた笑みにきょとんと目を見開いた。

「数学の先生はさっきの授業の途中で早退したんだ。家族が倒れたらしいよ」
「あぁ、だから騒がしかったのね」

納得、と紅は首を頷かせる。
先程の授業中に、途中から隣のクラスが騒がしくなったのを覚えている。
その時間は数学だと蔵馬から聞いていただけに、あの真面目な先生が騒がせるなど珍しいなと思ったのだ。
先生が居なかったのならばそれも頷けると言うものだ。

「…何だか蔵馬が計ったみたいね」
「まさか。ただの偶然だよ」

蔵馬はそう笑ったけれど、実際に運がいい事は確かだ、と紅は思う。
壁に背中を凭れさせるようにしてコンクリートの上に並んで腰を降ろす二人。
紅は教室で窓硝子越しに見ていた空を、自身の目に映す。
そんな彼女を横目に見て蔵馬はクスクスと笑った。

「空を見上げるのが好きだね。あの頃と変わらない」

彼が指すあの頃とは彼女がまだ佐倉と名乗っていた頃の事。
妖狐蔵馬と言う鍵を以ってその鎖を解き放ち自由になった彼女は毎日のように空を見上げた。
自分とは正反対であると感じながらも焦がれたものが傍にあると言う事実。
それを目に焼き付けるかのように、紅は毎日空を仰いだ。
そんな彼女の癖は未だに抜ける事なく残っているらしい。
姿形やその考えは若干変わったものの、不変のものもあるのだと言う事に蔵馬は素直に喜んだ。
隣にある彼女の髪に指を通し、その一筋すらも愛おしいと言う眼差しを向ける。

「何者にも縛られない、その事実だけが欲しかった」

コトンと蔵馬の肩に頭を乗せ、紅はそう言った。
そしてその視界を閉ざす。
五感の一つが消えた所為で、感覚はより研ぎ澄まされた。
髪を擽っていく風の温度すらも感じられる。

「小さな窓から見上げる空じゃない事を、確認してるのかもしれないわ」
「…あの頃に戻るような事はさせないよ。好きなだけ広い空を見上げればいい」

本を手放した事で自由になった紅の手を持ち上げ、その指の根元に唇を落す。
神聖な誓いにも似た彼の行動に、彼女はふっと微笑んだ。
言葉や行動と共に、彼は過去を繰り返さない事を己に誓っているのだろう。
手放しに護られる事は嬉しくはないが、大切にされる事は素直に喜べる。

「ん?そう言えばチャイム鳴った?」

思い出したように紅がキョロキョロと視線を彷徨わせる。
探していたのは時計らしく、校舎の壁にかかった大きな時計に視線を固定した。

「階段の途中でね」
「…全然聞いてなかったわ」
「最近階段のところの放送機が壊れたんだよ。俺は廊下の向こうのチャイムを聞いてたから」

屋上に繋がる道と言うのは、何においても一番後回しにされるらしい。
電灯と言い、放送機の故障と言い…。
本来は必要ないからと言ってそれでいいのだろうかと紅は苦笑する。

「次の生徒会で予算でも立てておくわ」
「そうだね。あぁ、でも…必要ないとか言って却下されるんじゃないか?」

蔵馬の言葉にそうかもしれないね、と頷く。
必要性のない出費を防ぐのは当然の事だ。
使っていると言えばこの二人くらい。
今まで開けられたと言う情報はないから、中々開錠が難しい作りの鍵らしい。
それをいとも簡単に開けてしまう辺り、さすが蔵馬と言えるだろう。
また一つ笑みを零し、紅は蔵馬から視線を外して空へと戻す。











「…紅。そろそろ起きた方がいいよ」

ふと閉ざしていた視界を開けば、その中で揺れる彼の手が目に入った。
いつの間に眠っていたのだろうと動きの悪い頭を無理やりに回転させる。

「寝てたのは15分くらい…だな。そろそろ昼休みに入るから起こした方がいいかと思って」

髪を引いて寝ていた所為か、頬にその跡が残っていたらしい。
蔵馬は紅の頬に親指を這わせて微笑んだ。
肩を借りていた間彼は動けなかったはずなのに、そんな事を責める気は全くないらしい。
ただ純粋な笑みを浮かべて自分を見下ろす優しい双眸に、紅ははにかむように笑んだ。

「蔵馬の隣は安心してしまって…駄目ね」
「寝てないの?」
「…少し、忙しいの」

霊界探偵の代わりをしていた紅だから、幽助が現れたと言ってもすぐにその仕事がなくなるわけではない。
週に二度ほどコエンマの持ち込む仕事をこなし、彼女は高校生ながらに生計を立てていた。
昨日の夜偶々その仕事が舞い込んで来ていた所為で睡眠時間が大幅に削られたのだ。
まだ少し見え難い目を擦り、彼女は腕を真上に伸ばす。

「…夢を見たわ。蔵馬も居たの」
「へぇ、それは光栄」

驚いた風でもなく彼は答える。
口元の笑みが深まった事に気づけるのは彼女くらいのものだろう。

「初めはただ安らぎが欲しかっただけなの」

雁字搦めと言える程に自身を捕らえる鎖を解いてほしかった。
小さな窓から見上げた空を飛ぶ鳥のような自由と、そして心の安らぐ場所が欲しかった…それだけ。
けれど、出逢った彼は望んだもの以上を紅に与えた。

「蔵馬。私はあなたに逢えてよかった」

愛し愛される喜びを教えてくれたのは他でもない彼。
あの小さな窓から見上げた風景の夢を見た所為か、隣の蔵馬の存在にただ安心した。
目覚める直前に手を差し伸べてきたのは銀髪の彼だったと思う。
見覚えのある双眸が自分を見下ろしていたから。

「俺も紅に逢えてよかったよ。この運命にすら感謝できる」

妖狐の力の戻らない身体を悔やんだ事もあった。
それでも、再び彼女と出逢えたことを思えばそれすらも安い物だと。
信じても居ない神に感謝したのはまだ数ヶ月前の事。
蔵馬は紅の髪を一筋掬い、それに己の唇を落す。
お返しのように彼女は蔵馬の頬に唇を寄せた。
そして唇同士が触れ合うほどの距離で、微笑み合う。
一時間の終わりを告げるチャイムの音と共に、それが重なり合った。





望んだ安らぎと手に入れた愛しさ


Thank you 1,000,000 hit!!

06.01.13