知らない土地。知らない人。
知るはずのない、現実。
全てがどうしようもなく不安で、時折一人きりで泣きたくなった。
「コウさん知らない?」
そう言ってリナリーがラビの部屋を訪れてきたのは夕暮れ頃。
この内容での彼女の訪問は、今日だけでも二度目だった。
「まだ見つかってねぇの?」
「うん。神田にも聞いたら呆れながら探しに行ってくれたんだけど…」
「マジ?」
神田が自ら進んで探しに動いたと言う事にラビは驚く。
他人に無関心と言うか、冷たい彼が誰かの為に動くと言うのも俄かに信じがたい。
リナリーがそうだと言うのだから事実なのだろうが。
「んじゃ、俺も探すか…ユウだけに任せとくとコウが怒鳴られるだろうし」
動く事は動くが、その後苦笑だけで済ませられるような彼ではない。
怒声が本部を震わせる前に彼女を見つけた方がいいだろうと、ラビもベッドから起き上がった。
ありがとう、と言うリナリーの言葉に頷き、彼は自室として割り当てられている部屋を後にする。
一方、彼らが探しているコウはと言うと…。
一人屋根の上に座り込んで、遥か彼方に沈み行く夕日を眺めていた。
赤く染まるそれが彼女を真正面から照らし、頬に残る跡を光らせる。
「4時間…か。そろそろ戻らないとまずいかな…」
手の上に銀時計を開き、コウは呟く。
先程から数十分置きにそう言いながらも、彼女はその腰を上げようとはしなかった。
沈み行く夕日の赤は温かさを感じさせる物であると言うのに、身体を包む空気は冷たい。
そんな矛盾に吐き出した息を白く濁らせ、コウはパチンッと銀時計を閉じた。
―――この想いも全て銀時計の中に閉じ込めてしまうことが出来ればいい。
そうすれば、このように一人で屋根の上に逃げたりしなかったのに。
脳内を過ぎった“逃げる”と言う単語に、コウは自嘲の笑みを零す。
無意識に考えてしまう辺り、自分でも自覚があるのだなぁと。
そんな時、屋根の縁からぴょこんとアズが顔を出した。
「おかえり。どうだった?」
そう言って首を傾げて彼を迎えると、彼は報告へと移る。
伝えられた内容はリナリーを初めとして、今では神田とラビまでコウ探しに参加していると言う事。
そして…。
「伸ーんっと。はい、到着」
突然視界に入り込んできたラビはにこりと笑う。
彼は慣れた様子でイノセンスである槌の柄となる部分に手をかけていた。
建物に沿って伸びてきたらしく、ややそれに絡まりつくような格好になっている。
「コウ発見。やっぱ屋根の上だったみたいだな」
「ここなら誰にも会わずに済むと思ってたのに…」
いつもの柔らかく迎える彼女ではなく、どこか突き放すような声だった。
そんな彼女の反応に疑問を抱きつつも、ラビは軽く反動をつけて屋根へと移る。
軽やかにその場に立った彼に、コウはわからないように溜め息を吐き出す。
一人になりたいと思っていた彼女にとってはお節介に近い行動に思えた。
不意に、膝の上のアズがコウの肩に手を乗せるようにして伸び上がる。
「ラビ…悪いけど、今は一人にして欲しい」
「リナリーが探してっけど?これから冷えるし…別に屋根の上じゃなくてもいいじゃん」
部屋で十分、と彼は槌を仕舞いこんだ手を差し出した。
しかし、コウは首を振る。
「…リナリーにも…ユウにも。同じ事を伝えて。風邪引くような馬鹿はしないから…」
放っておいて、と言葉は続く。
彼女の様子にラビはやれやれと髪を掻き揚げ、そして彼女の向こうへと目をやった。
「…だってさ、ユウ。どーする?」
「!」
ラビの言葉にコウはビクリと肩を震わせた後、自分の背後を振り向く。
そう言えば先程アズが後ろを見るように身体を伸ばしたな、と今更ながらに思った。
教えてくれなかったのは、彼も少なからずコウには戻って欲しいと願っているからだろうか。
「ふざけんなよ。リナリーにどんだけ邪魔されたと思ってんだ」
「…巻き込んだ事は、悪いと思ってる」
いつもの覇気がない彼女に怒鳴れるほど神田も人が悪いわけではない。
毒気を抜かれたように舌打ちすると、彼はズカズカと屋根を進んでコウの前に立った。
「昨日の任務、金髪のガキだったらしいな」
「え、何それ?何でユウだけ知ってんの」
ラビの声に「リナリーから聞いた」と短く答える。
コウは神田の言葉でそれを思い出したのか、ギュッとアズを抱く腕に力を篭めた。
彼女の反応や神田の言葉で、ラビにも今回の彼女の行動の理由がわかったらしい。
「…また、思い出したんか?」
何を、と問う必要などない。
そうして、彼女が握り締めたままの銀時計に視線を向ける二人。
息を呑む彼女の全てがそれを肯定していた。
「………忘れろとは言わない。でも、それをお前が引き摺っていてもしょうがねぇだろうが」
「わかってるけど…」
「わかってねぇんだよ、結局。いい加減前の世界は諦めたらどうだ。そんな事してるといつか死ぬぞ」
「…ユウに何がわかるの!?そんな簡単に諦められる世界だったら…こんな哀しい想いなんてしない!!」
荒らげた声と共に零れ落ちたのは涙。
一度堰を切ったそれは留まる事なくその頬を流れ落ちた。
想いを吐き出した所為か、コウはそれを拭うようにして俯く。
そんな彼女の頭にラビの手が乗った。
「涙、出るんじゃん」
その言葉に弾かれたように顔を上げるコウ。
目に溜まった涙がまた零れたのを見下ろしていたのは、優しい瞳だった。
「…泣きたいの我慢するのはよくねぇよ。寂しい時くらい、誰かに縋ってもいいんだからさ」
「………うー…っ」
その言葉が欲しかったのかもしれない。
一人で泣くよりも、本当は縋りつける誰かに傍にいて欲しかった。
でも、自分はこの世界の者ではないからと言う遠慮がそれを拒んでいたのだ。
ボロボロと溢れ出す涙を隠すように、コウはラビの腕に額をつけ、その手でコートの袖を掴む。
そして、まるで子供のように声を上げて泣いた。
ラビは彼女が落ち着くのを待つようにその背を撫でる。
「…我慢すんなよ、馬鹿野郎が…」
優しい声と共に頭に落ちてきたのは、きっと神田の手だったのだろう。
顔を上げることが出来なかったから憶測ではあるが、コウにはそう確信が持てた。
意地を張り続けた自分を泣かせる為に敢えてその本音を吐き出させた神田。
そして、流した涙に対して優しく微笑んだラビ。
どちらの存在も大切で、どれだけ感謝しても足りないくらいに嬉しかった。
アズの冷たく調節された息でハンカチを冷やし、コウはそれを瞼に当てていた。
椅子の背に座ったまま目の上にそれを乗せ、背もたれに頼り捲くった状態で四肢を投げ出す。
「あんな大泣きしたのって何年ぶりだろー…」
「すっきりした?」
「今度は頭が痛いけどね」
先程とは明らかに違う声色から、彼女の心が晴れたことなど聞くまでもない。
ラビの言葉にコウは苦笑に似せた笑みを口元に刻んだ。
少し離れた所に椅子を置き、その上で六幻の手入れをしていた神田が口を開く。
「もう二度と探さねぇからな」
「うん。今度はどっちかを連れて行くことにするから大丈夫」
「………………………………………こっちの都合も考えろよ」
ぶっきら棒に彼はそう言った。
ふと人肌の移ったハンカチを退け、彼らを見やる。
視線を逸らしたままこちらに戻す素振りすらない神田と、彼の言葉と行動に笑い声を上げるラビ。
神田の言葉は即ち「それさえ考えれば連れて来られてやる」と言う意味なのだろう。
わかりにくい優しさに、コウはクスクスと笑った。
何とも優しい光景だと思う。
「…ごめんね、二人とも…。何か…巻き込んだみたいだね」
そう言って本当の意味での苦笑を浮かべれば、彼らは一瞬その動きを止める。
そして、片方は心底呆れたと言う風に溜め息を、もう片方は彼女の額にデコピンをかました。
「コウが巻き込んだんじゃなくて、俺達自分から巻き込まれたの」
額を押さえて彼らを交互に見つめるコウ。
「大体何度も謝るな。いい加減にイライラしてくる」
「ユウもこう言ってる事だし…こういう時は「ごめん」じゃねぇだろ?」
彼らの言葉にコウは綺麗に笑みを浮かべた。
そして、彼らの望む言葉をその唇に乗せる。
一度の「ごめん」と、いっぱいの「ありがとう」
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06.01.10