それまでの私の世界は白と黒。
そんな、モノクロの世界を…変えたのは間違いなくあなたでした。
「情報屋になる」
仕事を終わらせるなり、コウはふとそう告げた。
この屋敷の中に生きているのは彼女とイルミのみ。
一定時間連絡が途絶えれば屋敷の警備会社に直接通報が入るシステムらしいが、それは今から三時間後だ。
決して気を使う必要もなければ焦る必要もない。
イルミは驚くでも無しに彼女を振り向いた。
「また、急だね」
「ずっと考えてたんだけど…言う機会がなくて」
その場が仕事後だと言う事を忘れれば、実に綺麗な表情だった。
身体を伏せて二度と動かないターゲットの傍らでそう微笑む彼女は慣れない者から見れば恐ろしい光景だろう。
尤もこの場に居るのはそれに慣れているイルミだけなのだが。
「まぁ、別にコウが決めたなら止めるつもりはないよ。それより、先にここを出ない?」
「そうだね。帰り道でも話は出来るしね」
そう言ってコウは部屋の一番大きなドアを両側に開いた。
酷く凝った装飾の施された廊下を通り、これまた素晴らしい装飾の玄関を潜って。
彼らはまだ日の明るく照らす、屋敷からの一本道である林道の中を進む。
珍しく昼間の仕事だった所為か、酷く太陽が眩しく感じた。
万人に差別なく降り注ぐそれではなく、月の見下ろす闇のほうが自分に合っていると感じているからだろうか。
「さっきの話だけど…」
イルミがシルバへの報告の通信を終えたところで、コウは言葉を始める。
耳から通信機を取り外し、それをポケットに押し込みながらイルミは彼女の方を向く。
「ゾルディックの仕事、やめるわけじゃないから」
「…それなら父さんたちも大歓迎だと思うよ。うちの中に情報屋が一人居れば仕事が色々と楽だしね」
途中のトラップと呼べるのかどうかも怪しいような障害を簡単に避け、彼らは町へと向かっていた。
歩を進めながら、ポツリポツリと彼らは言葉を交わす。
元々口数の多くはない二人が揃っているのだからそれも無理はないことだろう。
「縮こまっていても仕方がないんだって事、教えてくれたのはイルミだったよね」
コウはふと思い出すように視線を空へと向けて紡ぐ。
イルミは彼女を一瞥すると、そうだったか?と僅かに首を傾けた。
自分にとってはさほど大きな出来事ではなかったのだが…彼女にとっては違ったらしい。
「きっかけを作ってくれたのは別の人だったけど、背中を押してくれたのは間違いなくイルミだよ」
「押した覚えはないよ。ただ…」
「“後悔するくらいなら今動いた方がいい”でしょう?」
悪戯めいた笑みを浮かべ、彼女はイルミの言葉を代弁する。
間抜けに開かれた口をゆっくりと閉じ、彼は肩を竦めてみせた。
「何年も前の話をよく覚えてるね…」
呆れた、と言いつつイルミは溜め息を落す。
今自分と同じ事を紡ごうとしていたイルミも同じだろうとは思いつつも、コウはそれを口にする事はなかった。
ごろんとベッドに横たわり、コウは濡れた髪の下にあるタオルで髪を拭う。
ある程度水気が取れたところで、その髪がシーツの上に散らないようにと緩く纏めてタオルに乗せた。
程なくしてガチャリと開いたドア。
そこから現れた人物は珍しくも目を見開いて動きを止めていた。
「や、お邪魔してます」
「…枕持参で何」
「久々に雑談でも楽しもうかと」
さっきの話が途中だったし、とコウは自分の枕を腕に抱いて腹筋のみの力で起き上がる。
ベッドの上に胡坐をかいた状態で座り、彼女は片腕を枕から放してポンポンと隣を叩いた。
ここに座れと言う意思表示に深い溜め息を落とし、イルミは大人しく彼女に従う。
「一応聞くけど、ここ俺の部屋だってわかってるよね?」
「もちろん。イルミの部屋じゃなかったら来ないわよ」
「で、男の部屋だってわかってる?」
イルミがそう問えば、コウはにこりと微笑んだ。
「大丈夫よ」
答えになっていないと思うが、ベッドの脇に伏せていたルシアが僅かに首を擡げたのでその言葉を飲み込む。
確かに優秀なボディガードが居る事だし、問題はないのだ。
そう無理やり納得して、彼はコウの隣に腰を降ろす。
「んー…どこまで話したんだっけ…」
「何が?」
「情報屋の話」
長い髪を挟むだけの髪留めで軽く結い上げ、コウは頭を捻る。
意外とすぐに思い出したのか、彼女はボスンッと枕に手を埋めて表情をパッと変化させた。
「そうそう。情報屋の方を慣らさなきゃいけないから…暫くこっちの仕事が手付かずになるかもしれないの」
「別にいいと思うよ。コウに任せてた仕事が俺の所に戻ってくるだけだから」
「ごめんね。その代わり、ちゃんと事前に情報を集めるから」
「情報がなくても問題はないから焦る必要はないよ」
そう言ってイルミは首にかけてあったタオルで髪を拭き始める。
水気の所為で纏まっている髪を拭っていると、コウがそれに手を伸ばした。
彼の背後に回って彼の手からタオルを受け取り…奪い取り、彼女はその黒髪をタオルに包む。
慣れた様子の彼女に、イルミはされるがまま行き場のなくなった己の手を下ろした。
「…ありがとうね」
背後でコウがそう言った。
イルミは彼女の方を振り向く事なくその続きを待つ。
「背中を押してくれてありがとう」
そのつもりはないと彼は言うけれど、自分からすれば間違いなく彼は背中を押してくれた人。
あの人から貰ったきっかけを、生かすようにと動かしてくれた人だ。
「親の仕事なんかどうでもいいんじゃない?」
「…そうもいかないよ。私は…あいつらを許さないから。自分も同じだなんて…認めない」
憎悪すら浮かべた彼女の眼にイルミは人知れず溜め息を零す。
そうして憎む事で彼女は自身を生かしてきたのだ。
その半身を失った時点で、彼女は己の生に関して酷く無頓着になっていたから。
「篭るのは勝手だけど…一歩外に出てみれば、見方が変わるものもあるよ」
「篭ってなんか…ないよ」
「コウがどれだけ憎んでるとかはわからないけど…。所詮親は親、コウはコウだろ?」
「…………………」
「後悔するくらいなら今動いた方がいい。憎んで、その能力を活かさなくらいなら…超えればいい」
その言葉に気づかされたのだと言う事を…きっと、彼は知らないのだろう。
憎むべき対象は、越えるべき存在になった。
「越えられそう?」
「わかんない」
トンッとイルミの背中に凭れるコウ。
甘えていると言うよりは拠り所を求めている彼女に、イルミがその行動を咎める事はない。
ただ無言で背中を貸してくれる存在は嬉しくもあり、同時に酷く頼もしかった。
「でも、絶対に越える。そして、彼らを越えた時…」
それが、彼らとの完全な決別。
縛られている鎖を自ら断ち切る瞬間だろう。
「引っ張り出してくれてありがとう」
「どういたしまして」
「一歩外に出れば見えてくる世界があるって…本当だね」
憎むよりも、越えようとする力の方が強いのだと言う事を知ったから。
「まだ、暫くは色んな人に迷惑をかけるんだろうけど」
「殻に篭ってるよりも随分いいんじゃない?」
「…そう、ね」
それから一年でゾルディック家には優秀な情報屋が居ると言う噂が流れる。
それから更に数ヶ月で表裏共に情報屋『ルシア』の存在が浮き彫りになってきた。
情報、と言う世界を牛耳っていたスフィリアの名は消え、『ルシア』の名が隅々にまで轟く。
その日は決して遠い未来ではなかった。
闇のように深い黒と、未だ残っていた僅かな白とが混濁した世界。
ただ身を潜めていた自分に向かって伸びてきたものは、一筋の光。
慣れないそれに躊躇った私の手を引いてくれて、ありがとう。
その手があったから…私はこうして生きていけるの。
モノクロの世界が色づいた瞬間だった。
差し出された手の向こうに見えた世界
Thank you 1,000,000 hit!!
06.01.11