「どわっ!!」
ボスンッと鈍い音がして、同時に奇怪な声が漏れる。
突然背後から届いてきたそれに、成樹は驚いた様子もなく振り向いた。
声の主は銀ともグレイとも呼べる髪や顔、あまつさえ服にすらも白い綿の様な雪を散らして座り込んでいる。
「ちくしょう!こんな所に木の根があるなんて詐欺だ!」
「いやいや。ちゃんと下見て歩かんかったからやろ?傍に木があるんやから根があって当たり前や」
パンパンと肩についた雪を払う紅に、彼は呆れた様な苦笑を浮かべてその手を差し出す。
その手を取ると、紅はよっと反動をつけて立ち上がった。
そして今度は膝などに残った雪を払う。
「もう宿舎に帰るか?風邪引いてもあかんし」
濡れ鼠と言うほどではないにしろ、全身で雪の上へとダイブした紅。
彼女を案じた成樹はそう問いかける。
彼女の答えにある程度の予想はついていたが。
「いんや。まだ歩く。帰りたかったら帰ってくれていいよ。一人で散歩ってのも悪くないしね」
「…俺が紅を放って帰れるわけあらへんやん」
成樹はそう言って肩を竦め、すでに足取り軽く歩き出している彼女の足跡の隣を進む。
同じようなペースで歩いていてもコンパスの差からか成樹は簡単に彼女に追いついた。
ふと前を向いていた視線を彼へと投げかけ、彼女はまたすぐにそれを戻してしまう。
そうして言葉を交わすわけでもなく、二人はただ遊歩道と呼べる道を並んで歩いた。
暫し寒空の下の散歩を楽しんだ紅と成樹。
宿舎に帰ってきた彼らを迎えたのは、フィールドから聞こえる賑わいだった。
今日は雪の所為で使わない予定のそこから聞こえる声に、二人が顔を見合わせる。
「行ってみる?」
「…せやな」
宿舎の中で冷えた身体を温めようと思っていたことも忘れ、二人はフィールドへと足を運んだ。
予想通りにフィールドは一面真っ白。
足首よりも上まで積もった雪の所為で昨日見たよりも少し高くなっているように感じる。
そんな中を、数人の少年…と呼ぶには成長しすぎた青年らが駆け回っていた。
「犬が居る」
「は?何言うてんの?」
「ほら、歌があるじゃん。犬は喜び庭駆け回り、って。まさしくアレだね」
そのフレーズのみを口ずさみ、紅は彼らを指さした。
中には本当に珍しいことに、我らが元桜上水サッカー部のキャプテンまでいる。
同じように走り回る姿を見れば、彼も歳相応に見えると言うものだ。
「たつぼんもいい顔してるねー。是非ともカメラに収めておかないと」
そう言って紅はポケットから携帯電話を取り出す。
カシャッと言う音と共に、屈託のない笑顔の瞬間が画面に残った。
それをいそいそと保存してメールボックスを立ち上げる。
「中々ええ顔やん。俺にも送ってや」
「今送信中。ちょっと待ったってや」
「………中々関西弁上手なったなぁ、自分」
感心したような成樹の声に、紅はにっと口角を持ち上げる。
「そりゃ、何年も一緒に居れば嫌でも覚えますとも」
彼女がそういい終わった頃、丁度成樹の携帯がメロディを奏でる。
「届いた?」
「みたいやな。おー…綺麗に撮れとるやん。おおきに」
「どういたしまして。所でさ…あいつら………」
言葉が終わらぬうちに、視界の端に白を見止める紅。
しかし、反応するにはあまりに時間が少なすぎた。
バスッと耳元で音がしたかと思えば、小さな衝撃と共に頬やら首筋やらに冷たさを感じる。
原因など考えるまでもなかった。
「冷てぇ!耳まで入ったっつーの!誰だ今投げた奴は!!!」
肩やら耳やらから雪玉の残骸を取り払いながら彼女はフィールドに目を向ける。
ケタケタと腹を抱えて笑う二名、そして彼らと紅を交互に見ながら苦笑を浮かべる数名。
誰が加害者かなど、考えるまでもない。
「いい度胸じゃん?藤代くんに鳴海くん?」
身の毛立つような低い声と、笑っているのに笑っていないと言う矛盾した笑顔。
今更ながらにターゲットが悪かったと言う事に気づいた二人が逃げる。
「逃がすか!!成樹!手伝え!!」
「しゃーないなぁ…」
脱兎の如く逃げる彼らに向かって走り出す紅。
成樹に言葉を残すと、彼女はフィールド内で苦笑していた数名に声をかけた。
見事な統率力を以ってして二人を追い詰める。
さすが、ゲームメイクに於いては同世代一といわれるだけの事はある。
何だかんだ言っても、彼女は司令塔を果たせるだけの素質があるのだ。
一応参加した成樹の手助けなど殆ど必要もなく、10分と経たずに彼らは二人仲良く雪に沈んでいた。
もちろん、雪玉の格好の的となった事は言うまでもない。
「こらー!一体何時間遊ぶつもり!?」
不意に聞こえてきた声にその場に居た全員が肩を揺らす。
驚いて振り向けば、宿舎の玄関から出てきたばかりと思しき玲がそこに立っていた。
その後ろに、今回の雪合戦…と呼べるのかわからないが、とにかくそれに参加していなかった渋沢が続いている。
彼の表情は苦笑と言うのが最も的確だろう。
「あなた達風邪でも引いたらどうするの!
少しくらいならと思って大目に見ていたけど、まさか会議が終わってもまだ遊んでるなんて…!」
彼女が参加していた会議と言うのは思わぬ積雪による今後の練習をどうするかと言うもの。
因みに会議は優に二時間は行われていた。
その間彼らは飽きる事なくこの寒空の下で少年のように駆け回り、雪を浴びていたようだ。
大人であれば心配してもおかしくはない。
「紅まで何してるの!」
「いやー…何か、成り行きで巻き込まれたと言うか、反撃していたと言うか…」
玲は持って来ていたタオルを紅の頭に被せると、彼女が騒ぐのを無視してガシガシと髪をかき回す。
男性陣から「監督ー。俺達はー?」と言う声が上がる。
「紅が風邪引いたら、あなた達練習どころじゃなくなるでしょう?」
だから彼女優先、と玲は答える。
その間も紅は頭を掻き混ぜられており、会話は聞こえていない。
「玲さん!痛いって!」
「監督さん、そろそろ放したってや。紅の髪が絡まってまうわ」
「あら、ごめんなさいね」
声を上げる紅に見かねた成樹が、玲にそう声をかける。
そうすると玲は思い出したようにそのタオルから彼女を解放した。
ぼさぼさになってしまった銀に指を通し、紅は恨めしそうに彼女を見る。
「ほら!さっさと中に入って暖まる!!急いで!」
紅の視線を無視して手をパンパンと鳴らしてそう言った玲に、一部から不満の声が上がった。
そんな彼らに玲が一言。
「練習に参加できなくてもよろしくて?」
まさに鶴の一声だった。
「まだ絡まってる…」
背中を中ほどまで覆ってしまう髪を前へと持ってきて、それに一生懸命櫛を通す紅。
タオルで絡まった髪が強情らしく、傷めないように解くのは中々骨の折れる作業だった。
「ほら、貸してみ」
そう言って彼女の背後から伸びてきた手に櫛を奪われる。
振り向こうとした頭を前に向くよう固定され、紅は大人しく窓の向こうに見える雪景色に目を向けた。
他人に髪を梳かれると言うのは何とも心地の良いものだ。
優しい手つきで一筋掬われては、念入りに櫛に通されていく。
「出来たで」
全く痛い思いをさせることなく事を終えた成樹に、紅が感嘆の息を漏らした。
渡された櫛をポーチに仕舞いこみながら彼女はありがとうとお礼を述べる。
成樹はそれに笑みを返して、先程彼女が眺めていた風景に視線をやった。
「また改めて雪が降ったみたいやな。足跡が消えとる」
「ホント!?」
パッと嬉しそうに表情を輝かせた紅に、その心中を悟った成樹はクスクスと笑う。
「しっかり着込んでや?風邪引いたら俺が怒られてまうわ」
「了解!」
元々雪の少ない地方に住んでいるからだろう。
紅は新雪に足跡を残すのが好きだった。
コートやらマフラーやらを装着した彼女は今しも部屋を出て行きそうだ。
成樹はそんな彼女をやんわりと宥め、自分も防寒具を身に付けると彼女を追う。
普段からは考えられない程に子供のようにはしゃぐ彼女を見るのは新鮮な気持ちだった。
「監督さんに怒られるんやろなぁ…」
しかし、嬉しそうに緩められた彼女の表情一つで、説教される価値は十分…寧ろ、お釣りがくるくらいだ。
すでに玄関からそっと表に出ていた彼女の隣に並ぶ。
そして、手袋を忘れたらしい白い手を拾い上げた。
驚いたように此方を見てくる彼女に微笑む。
「あんな立派な大転倒は一回で十分や」
「…失礼な!」
そうは言いながらも、絡められた指を解く事はない。
遅れないように、早過ぎないように。
お互いに速度をあわせている所為か、残っていく足跡が綺麗に揃う。
降り積もった雪は、陽気に溶けるその時まで、彼らの並んで続く足跡を残していた。
歩幅を合わせて、指を絡めて
Thank you 1,000,000 hit!!
06.01.08