其処に心があるからこそ
80万Hit感謝企画
醜くて情けないくらいに弱い部分。
それすらも受け入れてくれる。
だからこそ、誰よりも愛おしいんだ。
「明後日?」
ソファーで寛いでいた紅が成樹を見上げた。
彼女は彼特製のコーヒーを片手に雑誌に視線を落としていたままの姿勢で、彼を見つめ返す。
彼の淹れるコーヒーが最近のお気に入りらしく、ここに来る度に所望するほどだ。
そんな彼女に、成樹は声を掛けた。
「そう。明後日は丁度練習も休みやし…久々に出掛けるのもええと思わん?」
先程の言葉に更にその理由と言うか目的を付け足し、彼は再度「どない?」と問いかける。
同じチームに所属する以上、紅の休みは自分と同じだ。
むしろ、違うはずがない。
元々出掛ける事が好きな彼女の事だから、今回も頷いてくれる。
そう思っていた。
「んー…悪い。その日、無理だわ」
部屋の中の壁に掛けてあるカレンダーを見ながら彼女が首を振った。
「…へ?」
「だから、その日無理」
「何で?」
普段ならばそこまで踏み込んだ質問はしないのだが、今日に限っては別だった。
最近は何かと練習で忙しかったからこそ、久々の休みは二人で出掛けようと思ったのに。
そんな感情が顔に出ていたのだろう。
紅は成樹の顔を見るなり、クスクスと笑い出した。
「そんな情けない顔するなよなー。男前が台無しだぜ?」
女として帰国してから数ヶ月経った今でも、紅の口調はあまり変わらなかった。
出る所に出ればきちんとした言葉遣いが出来るのだから問題はないだろう。
何より、成樹にとっては彼女が心を許していると言う証にも思えていた。
まるで子供を宥めるように、ボール一つ分と少し高い位置にある頭をよしよしと撫でる紅。
成樹は一瞬不満げな表情を浮かべ、しかしその心地よさに図らずも表情を和らげてしまう。
彼の表情の変化に笑い出したいのを必死に堪える紅だった。
「お、もうこんな時間か」
ふと見上げた先にあった時計の針の位置を確認した紅がそう漏らした。
ひょいと脇においてあった鞄を持ち上げ、ソファーから立ち上がる。
成樹は何の未練もなく剥がされた手に不満を抱くも、今度は表情に出さない事に成功した。
玄関まで歩いていく紅の背中を追いながら口を開く。
「別に泊まってってもええのに…」
「今日は父さんが遠征から帰ってるんだよ。それにジュニアのメシ用意してきてないから」
車のキーを手の中で遊ばせながら紅はそう答える。
その間、迷いなど一切ない。
「…さよか。雅晃さんに負けるんはわかるけど…犬にまで負けるっちゅーんも切ないもんやな」
後半部分は殆ど呟くような状態だった。
しかしながらそれを聞き取った紅は、はぁと短い溜め息を零して肩を竦める。
鞄を片手で押さえると、空いた手で彼の胸元を引いた。
反動で体勢を崩した成樹の頬を紅の唇が掠める。
「犬にまで嫉妬されんのは嬉しくねぇよ?」
ニッと口角を持ち上げ、紅はそう言った。
そして彼が何かを言う前に玄関のドアに手を掛ける。
「んじゃ、また明日な」
ヒラヒラと手を振って、彼女は部屋を出て行く。
冷たくあしらうかと思えば、今のように不意打ちの愛情を見せる。
気紛れの自分をここまで翻弄する彼女に、残された彼は苦笑を浮かべた。
紅が成樹のマンションを訪れてから二日後。
彼らの休日がやってきていた。
久しぶりの休みとあればしたい事は色々とありそうなものだが、生憎そんな気力はない。
意外と疲れが溜まっていたんだな、と思う。
しかしながら、買出しくらいは必要だろうと思い、成樹はパーカーを羽織って玄関の鍵を閉めた。
少しだけ肌寒く感じる風が彼の身体をすり抜けていく。
「結局何の用事やったんか聞かれへんかったなぁ」
久々に歩くのもいいだろうと、彼はポケットに手を突っ込んで普段は車で通り抜ける大通りに足を向けた。
ふと、何気なく視線を向けた先にあったのは、通りを挟んだ向こう側の店。
そこに、見慣れた銀髪を発見する。
まるでショーウィンドーを覗くように腰を折っている後姿。
「紅!」
丁度土曜と重なった休みの所為で人は多い。
道行く人が不思議そうに自分を見てくるが、成樹にはどうでもいいことだった。
ただ、彼女に声が届けばと。
その願いは叶った。
何かに気づいたように肩を揺らし、その後左右に視線を彷徨わせた紅。
成樹は人の合間を縫って彼女の元へ駆け寄ろうとした。
だが、踏み出した足はピタリと止まる。
彼の視線の先には…紅と、そして長身の男性の姿があった。
「紅?どうかしたのか?」
「んー…何か呼ばれた気がしたんだけど」
声を掛けられた紅は、隣に立つ彼を振り向いた。
気のせいかな、と自分に納得させるように呟く。
「まぁ、いいけどな。決まったか?」
「うん。これにするよ」
ガラス越しのそれを指さして紅は答えた。
彼は指の先にあるそれに目を向け「中々のセンスじゃねぇか」と彼女の髪を掻き混ぜる。
セットが乱れる!などと文句を言いながらも彼女は楽しそうだった。
そして、二人は揃って店の中へと入っていく。
二人の背中を見つめている者が居る事にも気づかずに。
「さっき店の前に居た二人ってカップルかな?」
「美男美女だったよね。凄く仲良さそうだったし」
脇を通っていくOLらしき女性二人組みの声が成樹の耳を通りぬけた。
彼女を追って訳を聞くことも出来ず、かといってこの場に立ち止まっている事も出来ない。
成樹は静かにその場から立ち去った。
『今から行くから』
そんなメールが入ってきたのは今から10分ほど前の事。
彼女の家からの距離を考えれば、そろそろ到着する頃だろうか。
ベッドに大の字に横たわった成樹は携帯の時計で時間を確認する。
目を閉じれば浮かんでくるのはさっきの風景。
楽しげに笑う紅の笑顔が瞼に焼き付いているようだった。
何をするでもなく、成樹はただ時計の音を聞き流す。
インターホンが音を奏でた。
それに続くように、鍵を開錠する音が届く。
成樹はそう言えば合鍵を渡してあったか、と働かない頭で考えていた。
もしかすると、それも今日限りで必要のないモノになるかもしれないけれど。
「お邪魔します」
丁寧にも紅はそう言って部屋の中へと進んでくる。
リビングに居ない事に気づいたのか、衣擦れの音の後に寝室へと近づいてくる足音。
上着を脱いだ状態の紅が顔を出すまでほんの数秒の事だった。
「…どうした?体調でも悪いのか?」
こちらに視線も向けようとせず寝転がったままの彼を見て、紅はベッドの脇まで近づいてきた。
成樹は熱がないかどうかを確かめるように伸ばされた腕を掴む。
そして、寝転がったままの姿勢で紅を見つめた。
「どっちが遊び?」
「…は?」
ふざけているのかと思えば彼はいたって真剣な眼をこちらに向けている。
紅は訳がわからないながらも、起き上がった彼の隣に座った。
「で?何の事かよくわかんないんだけど?」
「今日、どこ行っとった?」
「どこって…出掛けてた」
それが何?と続きそうな言葉。
そんな返事に成樹は深い溜め息を吐き出した。
遠まわしに言っても時間の無駄、と判断した彼は覚悟を決めて口を開く。
「一緒におった男、誰?」
酷く冷たい視線になってしまっていると思う。
自分でもわかるほどなのだから、彼女が気づかないわけはないだろう。
「誰って…父さんだけど…?」
「………………………雅晃さん?」
たっぷりと沈黙をとったあと、成樹はまるで零すように彼の名前を呟いた。
うん、と頷く紅。
「何度も会ってる…よな?」
確認するように首を傾げる彼女に対して、成樹はポカンと口を開いた状態で静止していた。
彼の脳裏には昼間の男性の姿が浮かぶ。
「え?せやかて…めちゃくちゃ若かったやん!!」
「あぁ、三ヶ月の遠征の間にヒゲ止めたんだってさ。髪形も変えたから、雰囲気大分違ったしな」
「いやいやいやいや!そんなレベルの若さちゃうし!どう見てもアレは20代前半やって!!」
「それ、父さんに言えばめちゃくちゃ喜ぶぞ。永遠の20代とか馬鹿言ってるから」
「………嘘やん…」
ありえへん…と彼は髪を掻きまわす。
誰がどう見ても後一年もすれば成人する娘を持つ父親には見えなかった。
確かにかなり距離はあったし、人ごみの合間から盗み見ただけだったが…。
それにしても、彼は変わりすぎていた。
「あれはすでに化け物の域だよな…。母さんも似たようなもんだけど」
ははは…と乾いた笑いを零しながら紅は持ってきていた荷物をベッドの上に引っ張り上げる。
「俺の心配を返してくれや…雅晃さん…」
「何を心配してるんだかねー、この人は」
クスクスと笑い、紅は荷物を漁る。
そして目当ての物を見つけると、今度は成樹の手を取った。
軽く開かれた手の上にちょこんとそれを乗せる。
「何や?」
「Present for you.」
流麗な英語が彼女の唇から零れ落ちた。
開けてみろ、と目で訴えてくる彼女に答えるべく、綺麗にラッピングされたそれを解く。
中から出てきたのは男物の腕時計だった。
「これ…」
「レギュラー入りの祝いな、それ。男物を選ぶのって結構大変だからな」
「あ、せやから雅晃さんと…」
「そう言う事。半日父さんを振り回したんだから…感謝しろよな」
ペシッと鼻の頭を弾き、紅は笑う。
「………ホンマ、すまん」
「さぁてね。何の事だかさっぱり」
ニッと口の端を持ち上げて紅はそう答えた。
情けない自分すらもまとめて受け入れてくれる彼女。
思わず手を伸ばし、その身体を抱きしめた。
逃げる事なく腕の中に納まった彼女の耳元で唇に言葉を乗せる。
囁かれた言葉に僅かに頬に朱を走らせるが、紅は微笑んで「いいよ」と答えた。
明日の朝一番に雅晃さんにお礼言わんとな。
そんな事を片隅で考え、成樹は彼女の唇にキスを落とした。
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05.10.20