小さな喜びにキスをして
40万Hit感謝企画

「………は?」

コウは耳を疑った。
しかし、何度聞いた所で彼から伝えられる言葉は同じもの。







「よぉ、コウ。さっきまでどこ行ってたんだよ?探したんだぜ」

甲板で風に当たっていたコウの背後から声がかかった。
その声に頬を乱れる髪を押さえながら振り向く。
そこには、予想通りの赤髪が存在していた。
その髪の主が笑う。
コウも綺麗に微笑み返すと、再び水平線へと視線を戻した。
風が吹くたびに、ブルーグレーの髪が靡く。
彼女の横に並んだシャンクスは静かにコウの横顔を見つめていたが、やがてその口を開いた。

「何かあったのか?」
「…どうして?」
「や…いつもと違うだろ、お前。なんつーか…凹んでる…?」
「そんな事ないわよ」

自分でもよくわからないのか、疑問系でそう言ったシャンクスにコウはクスクスと笑う。
だが、その笑顔もいつもとはどこか違って元気がないように見えた。













甲板を行き交う者の視線は、自然と二人に集まっていた。
大きな樽を運びながら横目に彼らを映す者。
帆の調節をしながら彼らの様子を伺う者…。
それぞれにコウの様子が変なことに気づいていたのか、自然と思考は彼らの元へ。
そんな時、コウが口を開いた。

「シャン…話があるんだけどさ…」
「ん?」

コウは船の縁に両腕を乗せたまま水平線に視線を固定している。
その隣で、シャンクスはそれに背を向けて腕を縁に乗せて顔だけを彼女に向けていた。
少し間を置いて、彼女自身も今日聞いたばかりのそれを告げる。

「子供…出来たんだって」

甲板のそこら中で大小様々な音が響く。
視線を向けずとも、運んでいた主が落としたであろう樽などの残骸が転がっている事は火を見るより明らか。
それぞれに聞き耳を立てていた仲間達が一斉にその動きを静止させていた。
一時的に船の動きさえも止まったかのような、そんな錯覚を起こす。

「……シャン?」

あまりに無反応の彼に、コウが耐えかねて声をかける。
その声がどこか震えているように聞こえるのは気のせいだろうか。
不意に、彼の大きな手がコウの背中に回ったかと思えば―――

「うわっ!ちょ…何すんの!!」

そのまま抱き上げられた。
ストンッと船の縁に腰を降ろされたコウ。

「コウ…」

真正面から向き合ったその眼は、酷く真剣で…コウは口を噤んだ。
悲しげに目を伏せたコウの身を包んだのは、彼女が予想した言葉ではなかった。

ふわり。

そう形容できそうなほどに優しい抱擁。

「…本当か?」

コウの肩に顔を埋めるようにして彼女を抱きしめるシャンクスが問う。
彼女は頷く事でそれに答えた。
そして、やがて彼の身体はその身に纏う熱と共に離れた。
顔を上げたコウの目に飛び込んだのは、少年のような笑顔。

「よくやったな、コウ!!」

ガシガシと大きな手で頭を撫でられ、コウは僅かに非難の声を上げた。
だが、その顔には嬉しそうな笑みが浮かべられている。

「皆!!今日は酒がなくなるくらいに飲み明かしていいぜ!!」

コウの肩を支えたまま、シャンクスが集まっていた仲間に向かってそう叫ぶ。
一斉に歓声が上がった。
それが宴に対してではない事は、コウ自身にもはっきりと伝わっている。

「いい加減にコウを下ろしてやれよ、お頭。海に落したらどうするんだ?」

甲板の仲間達が船中へとそれを知らせに行った頃、ベックマンが二人の元へと歩いてきた。
トレードマークとも言えるタバコが彼の口元にないのは、酷く久しぶりのような気がする。
気配りのできる彼がコウを気遣っての事だと言う事は一目瞭然だった。

「誰が落すかよ!」

そういいながらもシャンクスがコウを抱き上げて甲板へと下ろす。
そして、自分の羽織っていたマントを彼女に着せた。

「別にいいよ」
「いいから着てろって」

シャンクスの言葉に、コウは苦笑しながらも頷いた。
彼がクルリと振り返ってベックマンの方を向く。

「次の島は春島か?」
「…あぁ、確かそうだったな。気候が安定してる上に治安もいいらしい」
「んじゃ、次の拠点はそこだな」

それから軽く二・三言話すと、ベックマンは船の中へと向かった。

「ねぇ、別に拠点にまでしなくても大丈夫よ?普通に航海できるし」
「駄目だ。もう勝手に飛んだりするなよ。戦闘も出るな。それから…」

あれも駄目だこれも駄目だ、と指折り数えるシャンクス。
開いた口が塞がらないと言うのはまさにこの事だろうか。
コウは静かに溜め息をついた後、困ったように微笑む。

「心配しすぎよ、シャンクス。そんなに動かなかったら逆に身体に悪いじゃないの」
「あー…そうなのか?」
「うん。船医も無理しなければ動いていいって言ってたから」

そう言ってクスクスと笑うコウの腰を引き寄せて、シャンクスは自らの腕の中に納めた。
締め付けすぎない優しい腕の力に、コウは彼の優しさを感じて微笑む。
その胸に擦り寄るようにして額を寄せる彼女に、彼はほんの少しだけ腕の力を強めた。

「なぁ、何であんな顔したんだ?」
「“あんな顔”…?」
「悲しそうな顔しただろ」

身長差から、自然と腰を少し折るシャンクス。
彼の口はコウの耳元にあり、時折かかる彼の吐息がくすぐったくてコウは身を捩る。

「あれは…」

言いにくそうに口ごもるコウだったが、シャンクスの目はそれを許してくれそうになかった。
怒られるのを覚悟して、漸く重い口を開く。

「船を下ろされるかと思った…から…」

言うが早いか、彼の着衣を握り締めてその胸に顔を埋めてしまうコウ。

「何でそんな事思うんだよ」
「だって…あなたはこの船の船長で、この船はグランドラインを航海中なのよ?」
「それがどうかしたのか?」
「…優先すべきは船の事。動けない私が居たらきっと邪魔になるわ」

俯くようにしてシャンクスの視線から逃れようとするコウ。
幸か不幸か…コウはその時の彼の表情を見ていなかった。

「馬鹿か?お前…」
「な…っ!」

自分なりに真剣に悩んだ結果を馬鹿扱いされれば、さすがのコウとて怒りたくもなる。
一言反論を、と上げた視界に、少しだけ怒ったような表情の彼が映った。
その表情を見て、コウは思わず口を噤む。

「そんな事考えてたのか」
「……うん…」

呆れた様な視線に耐え切れず、コウは再び顔を俯かせた。
しかし、彼の手が顎を取られ顔を上げさせられる。

「俺ってそんなに信用ねぇか?」
「そ、そんなわけないっ」
「なら…んな馬鹿な事は二度と言うなよ。惚れた女くらい俺の命を懸けてでも守ってやるよ」

彼が笑った。
シャンクスの指に髪を梳かれながら、コウも安心したように笑顔を見せる。

「なぁ、産んでくれるだろ?」
「うん…」

耳元で囁かれる言葉にくすぐったさを感じながらも、彼女は頷く。
コウの腰を強く抱き寄せると、シャンクスはその細い身体を腕の中に抱きこんだ。
彼女の肩に顎を乗せるようにして呟く。

「よかった…」
「…シャンクス…?」
「迷惑だったのかと思ったじゃねぇか…いらねぇ心配させやがって」

心底安堵したような声色に、コウは一瞬驚いたように目を見開く。
自分の些細な行動が彼を不安にさせていたとは思わなかった。
何より、彼の言葉は真っ直ぐにコウの心に届く。
ただ純粋に、喜んでくれた嬉しさが込み上げた。

「でも…命は懸けなくていいからね?死んだら…許さないんだから」
「心配すんなって。お前とそいつを残して死んだりしねーよ」
「…ありがとう」

一筋の涙を伝わせながら微笑んだコウに、シャンクスが軽く唇を落す。
それから暫くの間、甲板への立ち入り禁止が仲間達の暗黙の了解となっていたのは二人の知らないことである。














「……………船医、何とか言ってやってくれない?」

キッチンで椅子に深く腰掛けたまま、コウが眉間に皺を寄せていた。
隣では今朝彼女に懐妊の旨を伝えた船医が苦笑いを浮かべている。
二人の視線の先では、赤髪海賊団船長がご機嫌麗しく仲間と盛り上がっていた。
それは全く問題ないのだが…その内容に問題と言うか、無理がある。

「子供が生まれるのは半年以上先なんだけど…」
「まぁ、喜んでるんだ。好きに騒がせてやればいい」
「…そうね」

まるで明日にでも生まれるかのような盛り上がり方に、コウは溜め息を落す。
テーブルの上に置いてあったコーヒーを口に含みながらシャンクスの方を向いた。
丁度彼もこちらを向いていたらしく、目があうと微笑んでくる。
それが例えようもなく嬉しかった。
コウが微笑み返すのを見て、シャンクスは声を上げる。

「コウ!お前もこっちに…いや、来るな!俺が行く!!」

そう言うと自分の傍にあった酒ビンを持ちあげて、仲間の間を縫うようにしてコウの隣に腰を降ろす彼。

「なぁ、お前はどっちがいい?」
「何が?」

上機嫌な彼は酒を呷った後にコウにそう問う。
コウは彼の問いかけの意図がわからずに首を傾げる。

「男か女か」
「あぁ…子供の話?」
「コウに似た女の子なら可愛いだろうぜ、お頭!!」

コウが答える前に、周囲がその話題に乗った。

「お頭に似たらやんちゃな子になるぜ~?いっそ男の方がよくねぇか?」
「いや、男じゃあ華がない!」
「コウ似だったら自然と華も出るだろ」
「それならやんちゃな女の方が…」
「お頭似の男だったらさぞかし男前になるんだろうな!」
「あったりまえよ!!コウとお頭の子だぜ?男なら男前、女なら美人に決まってるじゃねぇか!」
「はは!違ぇねぇ!!」

本人達を他所に盛り上がる仲間達。
それでも、語られる言葉はどれも祝福を纏う物だった。

「珍しいね、シャンクスが入らないなんて」

自分の隣に座ったままの彼を見て、コウがそう呟く。
その言葉はしっかりと彼の耳に届いており、彼は照れたように頬を掻いた。

「俺でも不思議なんだけどな…。どうも、思った以上に嬉しいらしい。お前の傍を離れたくねぇし」

照れながら、笑顔でそう言うシャンクス。
コウの頬に朱が走る。
大声で喜ばれるのも彼らしくて嬉しいが…。
こうしてポツリと呟くように伝えられる方が、何倍も嬉しいように思えた。

彼らしくないが、そうしているのは自分なのだと。

そう思うだけで嬉しくて。

「元気で生まれて来いよな。待ってるぜ?」

そう言って優しく包み込む腕に、コウは身を任せるように寄りかかった。



ねぇ、聞こえてる?
あなたはこんなにも祝福されているよ。
……早く会いたいね。

05.05.23