抱きしめる腕が取り払うイバラ
40万Hit感謝企画
久々に一人で町を歩いていたコウ。
自分の横を通り過ぎていく人々に視線を向けつつも、ただ呆然と時を過ごす。
機械的に動かされていた足が、その役目を放棄する。
コウの視線の先にあったのは、一組の親子の姿。
ほんの数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。
コウは自分の動きを止め、その親子を見つめていた。
優しい笑みを浮かべる女性と、彼女に手を引かれながら笑う少年。
向こうの方で手を振っている男性は恐らく少年の父親だろう。
男性を見るなり、少年は母親の手を引いて走り出す。
やがて三人は穏やかな空気を纏いながら通りに消えていった。
彼らの背中を見送ると、コウはアジトに帰ろうと身体を反転させる。
背後に居た人物に気づかずに。
「わっ!」
背後注意を怠っていたコウは思いっきりぶつかってしまった。
慌てて顔を上げようとするものの、その人物に抱き込まれてしまってそれも叶わない。
自分のよく知った腕に、彼女の緊張はほんの一瞬の事だった。
「どうしたの?」
よく知った声が上から降ってくる。
もぞもぞと腕の中で身体を動かすと、胸に押し付けられていた顔を上げた。
漸く彼の姿をその視界に納めることに成功する。
「何が?って言うか、急に抱きつかないでよ」
「後ろから抱きつくつもりだったのに、コウが胸に飛び込んでくるんだもんねー。そんなに寂しかった?」
酷く楽しげに自分を抱きしめるエンヴィーに、コウはやれやれと溜め息をつく。
彼がこのように上機嫌な時には好きにさせておくのが一番なのだ。
下手に抗うと機嫌が一気に氷点下まで達する恐れがある。
「で、どうしたの?」
「何が?」
「ぼんやり何を見てたの?」
首を傾げて聞いてくるエンヴィーに、コウは落とした視線を持ち上げる。
彼に隠し事と言うものをしない彼女は、それを語ろうとした。
だが、口を開いて…気づく。
「エンヴィー…ここ、街中」
「ん?これだけ人が居れば大丈夫だよ」
「見つかるとかの問題じゃなくて………僕は嫌だよ。こんな所で長々と説明するの」
「そんなに長くなるの?じゃあ、帰ろっか」
そういい終えるや否や、エンヴィーはコウの手を取って雑踏の中へと消えていった。
「エンヴィー」
コウがベッドに転がったままエンヴィーを呼んだ。
彼女が身じろぐ度に、漆黒の髪が白いシーツの上を泳ぐ。
「どうしたの?」
暇つぶし…まさにそう言えるような仕草で本を捲っていたエンヴィーが視線を落す。
赤い眼に、彼が映った。
「エンヴィーって子供嫌いだよね?」
「うん」
コウの質問に即答を返すエンヴィー。
予想通りの回答に、コウは笑みを浮かべた。
でも、それはどこか悲しげな微笑み。
「何で?」
「別にー」
先程の表情を誤魔化すようにコウはエンヴィーに背を向けて転がる。
そんな彼女に、エンヴィーは軽く肩を竦める。
彼女の様子がおかしいことに自分が気づかないと思っているのだろうか。
「一体何年の付き合いだと思ってるのさ…」
「何年、じゃなくて何十年だよ」
未だ背を向けたままの状態で答えるコウ。
無視するつもりはないようだが、その態度は彼にとってはいただけない。
「こーら、何拗ねてんの」
笑いを含めながらそう言うと、エンヴィーは易々とコウの身体を抱き上げる。
驚いたように自分の方を向く彼女に満足そうに微笑む。
そして、座っていた自分の前に移動させると彼女の背後から抱きしめた。
「ホントに…どうしたのさ?」
「何でもないけど…」
「俺が子供嫌いだと問題?」
「ないよ。僕も嫌いだし」
どこか突き放そうとする回答に内心で溜め息をつくエンヴィー。
頭の中で彼女の質問を反芻して、ふと気づく。
まさか、と言う思いを抱きながらそれを口にした。
「……子供出来たの?」
「出来るわけないでしょ。人間じゃあるまいし」
思いも寄らない質問だったのだろうか。
コウは怪訝そうな表情を見せてエンヴィーを振り返る。
と言っても、しっかりと腰に回っている手のせいで首を動かすだけだったが。
「あー…ビックリした。そうだよね」
自嘲の笑みを零してコウの肩に額を乗せる。
大人しく前方に視線を戻したコウが、ポツリと言葉を漏らす。
「本当だったら…どうした?」
「…………………」
思わず上げそうになる顔をそのままに、エンヴィーは少しの間沈黙を保った。
先に焦れたのはコウ。
「ねぇ、答え「俺は」」
コウの言葉に重ねるように声を発すれば、彼女は黙り込む。
エンヴィーの言葉を聞き漏らすまいとした結果なのだろう。
「嫌いだけどね。子供なんて。煩いし、我儘だし…」
「…………………」
俯くように顔を落としたコウ。
彼女の身体を深く抱きこむように引き寄せ、額を乗せていた肩に顎を移動させる。
そして、彼女の耳元で囁いた。
「でもね、コウの子供なら愛するよ」
「エン…」
「煩くても我慢するし、我儘も聞いてあげる。世界で二番目に愛してあげるよ」
優しく言葉を乗せた唇を彼女の頬に落す。
条件反射で身じろぐ身体を強く抱きしめた。
「何に不安になったのか知らないけどね。突き放したりしないから安心しなよ」
「不安になんか…なってないし」
「じゃあ、あの親子が羨ましかった?」
「!!気づいてたの?」
驚いて振り向こうとするコウだが、今度は首を動かす事もままならない。
自分の腕の中でもがく彼女に、エンヴィーはクスクスと笑みを零した。
「そりゃ、気づくよね。俺はコウだけを見てたんだから」
「…っじゃあ、“どうしたの?”なんて聞く必要ないじゃん…」
「コウが何を考えたのかまではわからなかったし。今まで親子に目を奪われるコウを見た事なかったからね」
数秒間の無駄な足掻きをやめたコウ。
その身体を抱きしめたまま、エンヴィーは笑っていた。
「子供欲しくなったの?」
「…別に」
「コウの子なら可愛いと思うけどね」
コウの頬に朱が走る。
よく見ていなければわからないような小さな変化ではあったが。
「あぁ、でもやっぱり駄目かな」
「?」
「子供にあげる愛情も勿体無い」
「……エンヴィー…それはどうかと思うよ…」
「何で?」
僅かに身体を離して、自分の腕の中で彼女の身体を反転させる。
向き合うような姿勢で目を合わせると、コウに微笑んだ。
「コウとの子供なら可愛いだろうけどね?やっぱりコウの愛情を一身に受けるのは俺じゃないと」
「……まるで子供だね」
コウがクスクスと笑う。
そんな彼女の額を覆う髪を払うと、エンヴィーはそこにキスを落とした。
「それに、俺の愛情を受けるのはコウ一人…でしょ?」
「……当然でしょ」
腕の中の僅かな距離すらももどかしく、コウはエンヴィーの首に自ら腕を回す。
ゼロの距離で、微笑んだ。
「僕の一番は…君だよ」
「知ってる。俺の一番もコウだからね」
君との子供だったなら…言えたかもしれないね。
『世界で二番目に愛してるよ』って。
でも、その言葉は必要なくなったみたい。
僕の一番は彼だけで…二番目は必要ないから。
『愛してる』
僕の唯一無二の君だけに捧げる、愛の言の葉。
05.05.22