重ね合わせた手と
きっかけは、家の決めた婚約だった。
別段、それに反対する理由もなく、薄々「そうなるだろう」と思っていたので、覚悟はできていた。
「コウはそれでいいの?」
リボーンに恋していたビアンキは、親の言葉通りに婚約したコウに、そう質問を投げた。
その時は、まだ見ぬ婚約者を想像し、こう答えたものだ。
「きっかけがどうであれ、その人を想うことができたら…それってとても素敵なことだと思いませんか?」
たとえ、愛することができなくてもその人を支えていこうと覚悟を決めていた。
けれど、もしこんな風に決められた婚約で、その相手を愛することができたなら―――
ビアンキに触発されて諦めきれなかった女心が、ほんの少しだけ疼いた気がした。
ディーノの身辺は、キャバッローネのボスになったその時から一変した。
慌ただしく過ぎていく日常に翻弄されながら、それでも持ち前の手腕で一つずつ乗り越えていく。
すでに確立されたその場所で、コウは彼の毎日を支えていた。
そうして、ほんの少し日常が落ち着きを見せた頃、ふと気付く。
―――このままでいいのかしら。
コウはディーノの婚約者として、すでに多くのファミリーにも知られている。
彼女を同伴してパーティーに顔を出し、隠すことなく紹介しているのだから当然の結果だ。
そうして、婚約の事実が周知された以上、周囲は次なる発展を求めてくる。
それが、ある意味では当然の流れだろうと、他でもないコウ自身も理解していた。
しかし、コウが誰かにそれを急かされたことも、あるいはその手の話題を振られたこともない。
あたたかく見守ってもらっていると言えば聞こえはいいけれど、少しだけ不自然だと思えた。
「コウー?」
間延びした声が聞こえ、ハッと我に返る。
手が止まっていたのだと気付いたのは、自分の手にあったポットが大きな手に攫われてからだった。
「どうした?」
調子でも悪いのか?と心配そうに顔を覗き込んでくるディーノ。
そうだ、今は「休憩にしよう」言われ、彼のために紅茶を淹れていたところだった。
カップの中になみなみと注がれたそれは、止めてくれなければ溢れてしまっていたことが容易に窺える。
「ごめんなさい。少し呆けていたみたいですね」
「大丈夫か?この所、忙しかったからな…」
テーブルの上にポットを戻したディーノは、その手の平をコウの額に寄せた。
ふわりと触れた彼の体温が心地よい。
「熱はなさそうだな」
「ええ、少し考え事をしていただけですから、大丈夫ですよ」
安心させるようにクスリと笑い、改めて紅茶の用意を整える。
お菓子を乗せたお皿を彼の方へと差し出せば、男性にしては綺麗な指先がクッキーを一つ拾っていった。
「ところで、コウ。今日の夜は外食な」
「急な会合でも入りましたか?」
予定を書き連ねているスケジュールを手元に引き寄せ、今日のページを確認しながら問う。
「いや、俺とコウで」
「…」
「息抜き―――な?」
小首を傾げて、少年のような笑顔を浮かべる。
そんな彼に、コウは小さく微笑んで頷いた。
「…ディーノくん、だけですか?」
送りの車から降りようとせず、ひらひらと手を振ったロマーリオをみて、そう呟く。
彼がディーノから離れるなんて、一体どうしたというのだろうか。
何が、とディーノを振り向くけれど、彼は優しい笑みを口元に浮かべるだけで何も答えてはくれなかった。
その代わりに差し出される手の平に自身のそれを重ね、彼にエスコートされて店の入口へと向かう。
個室を用意してくれたらしいディーノと共に案内される道中、先ほどの疑問が解消された。
「…貸し切り…ですか?」
「ん?ああ」
口数少なく頷く彼に、それ以上の質問をやめた。
ボスともなれば、外出一つも単身ではいられない。
況してや、今夜はコウも一緒だ。
当然ながらボディガードとして誰かが来るものだと思っていた。
すぐそばに彼らを置かないのであれば、周囲の人間そのものを減らすのが一番だ。
貸し切った店内、限られた人間相手ならば、ディーノ一人でも十分ことは足りる。
通された個室で、コース料理が進んでいく。
時折、窓から見える夜景に視線を投げ、ディーノと柔らかく言葉を交わす。
そうして、最近では感じていなかった穏やかな時間が、緩やかに過ぎていった。
「コウ」
ふと、ディーノの声色が変化する。
僅かな変化なれど、それに気付けるだけの時間を共有してきた。
コウは持ち上げていたワイングラスをテーブルへと戻す。
そうして自由になったコウの手は、無言のままディーノに握られた。
そのまま自身の口元へと白くしなやかな手を引き寄せ、唇を寄せる。
緩く解放された指に、するりと指輪が通された。
「ごめんな、今まで何もなくて。いつの間にか婚約してたから、すっかり忘れちまってた」
女性らしい繊細なウェーブラインの上に、静かに鎮座する無色透明の宝石。
言葉を失った彼女は、それでも彼の謝罪に首を振った。
謝る必要なんてない。
彼は本当に自分を大切にしてくれているし、周囲にもきちんと紹介してくれている。
こうして形にしてもらえることは嬉しいけれど、謝る必要なんてどこにもないのだ。
言いたいことは山ほどあるけれど、何よりもまず。
「ありがとうございます、ディーノくん」
「おう。で、それを楽しむ期間が短くなっちまうんだが―――」
緊張を飲み込むように、ふぅ、と呼吸を一つ。
握られていた左手だけではなく、右手も彼の手の中に包まれた。
「始まりは家に決められた婚約だったよな。でも、そんなことは関係ないくらいに、コウのことを愛してる。
ボスとしてもまだまだ未熟で、たぶん苦労ばっかり掛けると思うけど…コウに、支えてほしい。
コウが頷いてくれるなら、全力で守るし、幸せにする。だから―――俺と、結婚してほしい」
真剣な眼差しだった。
良いことも悪いことも、その心を包み隠さず言葉に乗せた、純粋な彼の想い。
頭が理解するよりも先に、心臓のあたりがギュッと、痛いほどに切なくなった。
「―――はい…っ。私も、ディーノが大好きだから…ずっと、一緒にいたいです」
涙と共に溢れた笑顔はきっと、今まで見せた中で一番だった。
「それにしても、ディーノくん…やっぱり、貸し切りは色々と…」
「お前ならそういうだろうとは思ったんだけどな。やっぱり、プロポーズに部下同伴はねーだろ?」
「…その気遣いができるところ、すごく優しいですよね」
「さんきゅ。あの店、昔からの馴染みでな―――頼んだから、店の休みに開けてくれたんだ」
「お休みだったんですか?」
「俺も気にしたんだけどなー…いつまでも進まねー関係に焦れてたのは、周りも一緒だったってことだな。
最高の料理と最高の舞台を用意してやるから決めに来い!って激励されちまった」
「………今度」
「ん?」
「お店が休みじゃない時に、ちゃんと行きましょうね。もちろん、貸し切りはなしです」
「ああ、そうだな」
Request [ 八周年企画|桜さん|プロポーズの時の話 ]
15.05.14