優しく、美しい世界の中で
白哉とルキアの関係に改善の兆しが見え、紅との間の柵も消えつつある。
元より、当事者の二人よりも周囲の方がその二人の状況を正しく理解していたほどだ。
仮面夫婦ではなくなり、本当の意味で心を寄り添わせるようになった白哉と紅。
二人の関係を案じる必要が消え、そうして次に望まれる事と言えば、やはり一つしかなく。
何となく、と言えない程度に期待されている事に気付いた紅は、困ったように微笑んだ。
ほんの少し体調を崩しただけでも「もしや…!」と目を煌めかせる家人。
不用意に期待が募らない内にと、体調不良の時には出来るだけ早く医師を呼ぶようにしている。
その度に肩を落とす彼らに申し訳ないとは思いつつ、こればかりは授かりものだからと諦めていた。
そんな事が二度、三度と続いた四度目の事。
「紅様、おめでとうございます」
先日、玄孫が生まれたらしい好々爺の医師が、目元のしわを深くしてそう言った。
何を言われているのか、すぐに理解できたと言えば、嘘になる。
そんな紅自身よりも先に、付き添っていたルキアが顔を輝かせた。
「兄様に!」
そう言いだしたかと思えば、自らが非番である事も忘れて瀞霊廷へと走り出す。
何か声をかける暇すらない彼女の行動力に、医師がクスリと笑いを零した。
「白哉様もさぞ、お喜びになるでしょうな。ここからが大変ですぞ」
「…はい」
「まずは心身を健やかに保つ事です。穏やかに日々を過ごせば、御子は勝手に育ちましょう。
詳しい話は明日、娘を連れてまいります。男の私から聞くよりも抵抗がないでしょう」
その言葉に頷いた頃になって漸く、じわじわと押し寄せてくる実感。
何の変哲もない自身の腹部に手を添えて、小さく微笑んだ。
「おう、ルキア。廊下を走るんじゃねーよ。危ないだろ―――つか、お前今日は非番じゃなかったのか?」
大量の書類を抱えた恋次の横を走り抜けようとしたルキアは、そう声をかけられその場で急停止した。
反動で数歩分を進んだところで、くるりと振り向いて彼の元へと詰め寄ってくる。
大柄な恋次が思わず引いてしまう程の勢いだったと言えば、どのような状況だったかは想像できるだろう。
「恋次!」
「お、おう。どうした?」
「子が出来た!」
「―――は?」
書類が、床へと傾れ落ちた。
そう多くはないにせよ、廊下にはそれなりに人目がある。
興奮冷めやらない様子のルキアの言葉は、道行く死神たちを驚かせた。
―――アレって十三番隊の朽木さんだよな?
―――子どもって…え、相手は阿散井副隊長?
―――いやいや、相手は貴族だぞ。流石にそれは…。
憶測が憶測を呼ぶ。
このままでは妙な噂を立てられかねない。
恋次はガシッとルキアの襟元を引っ掴み、すぐそこだった六番隊の隊舎へと連れ込んだ。
この時、この場で話を進めていれば、事実のみが瀞霊廷内に知れ渡ったのだが、この時の彼が知る由もない。
「誰とのガキだ?」
「兄様の子に決まっておろう!?何を戯けた事を!」
痛いわ、離せ!と勢いよく手を振りほどき、襟元をただして当然の事と答えるルキア。
彼女の口から吐き出された言葉は、ああ、なるほどと納得できる筈もなく。
「隊長が相手!?ちょっと待て、隊長には紅さんが―――ん?」
そこまで口にしたところで、漸く違和感に気付く。
そう、白哉には紅がいて、ルキアは「自分に子が出来た」とは言っていない。
彼女自身の妊娠ではないとして、彼女がこれほどに興奮して非番の日に瀞霊廷にやってくる理由と言えば。
「…紅さん、か?」
「何を当たり前の事を確認しておるのだ。目を開けたまま寝ておるのか、おぬしは?」
「………わかり難い!!」
「…意味がわからぬ。それよりも、兄様!」
頭を抱えた恋次に対し、怪訝な表情を浮かべていたルキアだが、ハッと我に返って室内を振り向く。
何事だと見守っていた六番隊の隊員の向こうに、開かれたままの隊長室の扉を見つけた。
この位置から見える室内に、白哉の姿はない。
「兄…朽木隊長はどちらに?」
「…隊長なら、二人が言い争っている間に出ていかれましたけれど…」
医師が帰り、慌ただしかった邸の中も、祝いの準備だと賑わいの場所を移していった。
漸く静けさを取り戻した室内にほっと息を吐き、ゆったりした動作で縁側へと足を運ぶ。
陽の位置はまだ高い所にあり、白哉が帰るまでは、まだ随分と時間がある事を示していた。
どのように伝えようか―――考える時間は十分だと、瞼を伏せて鳥の囀りに耳を傾ける。
「―――紅」
ざり、と地面を踏む音と共に聞こえた声に、紅はパチッと目を見開いた。
ほんの数秒前、視界を閉ざすまではなかった姿が、そこにある。
「白哉、様?」
まだ帰るまでは時間がある、そう思っていた相手が唐突に目の前にやってくれば、驚くのも無理はない。
何かあったのだろうかと腰を上げようとする紅を制し、彼はゆったりと足を進めて縁側へと近付いた。
「子が出来たのか?」
「え?あ…はい。ルキア、ですか?」
頷き一つで、彼がここに居る理由が分かった。
欲を言うならば自分で伝えたかった気もするけれど―――
変に悩んでしまったかもしれない事を考えれば、これで良かったのだろう。
伸びてきた彼の手が、紅の頬に触れる。
優しさに満ちたそれに、思わず目を細めた。
「夕刻、早めに帰る」
「わかりました。討伐等の任務はないと聞いておりますが、お気をつけて」
「…身体を冷やさぬよう、部屋に戻れ」
短い言葉の中に、紅を気遣い、労わる心が見え隠れする。
普段以上に白哉の感情を深く感じ取る事が出来、胸が締め付けられるような幸福感を抱いた。
名残を惜しむように離れていく手、立ち去ろうとする背中。
思わず伸びた紅の指先が、白哉の袖を掴み取った。
ほんの小さな力で引き止められたそれに、少しばかり目を見張りこちらを振り向く彼。
何を言わんとしているのかは伝わらなかったけれど、何かあると言う事は伝わったようだ。
改めて紅へと向き直る白哉に、彼女はほんの少しの勇気を振り絞った。
座布団の上に膝立ちをしたたま、音もなく彼の胸元へと額を寄せる。
手を伸ばす事すらできなかった昔が、今となっては懐かしい。
一方の白哉は、紅の行動に驚きはしたものの、人が見てもわからない程度に小さく笑みを浮かべる。
引き寄せた身体の細さを感じつつ、やはり二人の胸に溢れるのは、これ以上ないほどの幸せだった。
「…行ってくる」
「はい、お気をつけて」
改めて、来た時とは違って時間をかけて去っていく背中を見送る。
気配すらも消え、一人になったその場で、そっと瞼を伏せる紅。
柔らかい日差し、優しい鳥たちの声―――どこまでも、祝福されているようだと思った。
Request [ 八周年企画|春霞さん|妊娠発覚の話(ルキア・恋次出演) ]
13.07.22