もう、大丈夫

「やっぱりそうか…」

部下からの報告を聞いた氷景は、部下が姿を消すと同時に、その場で深々と溜め息を吐き出した。
報告の内容は、氷景が留守中の紅の動向について、だ。
この所、近隣国の情勢がやや緊迫していたこともあり、忙しい日々を送っている。
筆頭である政宗が城を空けることも多く、その留守を預かっているのは他ならない紅自身だ。
彼女は初めこそ「一緒に」と思っていたようだが、二人して城を空けるわけにはいかにない。
それを理解して、文句や憂いの表情一つもなく、政宗を送り出している。
だからと言って大人しくしているような紅ではない。
自分にできることは、と探ることが悪いとは言わないけれど…彼女の場合は、度が過ぎていることが問題だった。
いつもであれば、それを上手く制御するのは政宗の役目だ。
しかし、彼は今、四国の方にいる。
遠い地にいる政宗を瞬時に呼び戻す術はなく、唯一のご意見番である小十郎も彼と共にいた。
つまりは、紅に意見できる人間が、足りていなかったのだ。

「仕方ねぇな…」

こうなるような気はしていた。
だから、紅からの使いを申し付けられた時、二つ返事で請けられなかったのだ。
そうは言っても、既に後の祭りだ。
よし、と意気込んだ氷景は、紅がいるであろう部屋へと向かう。
こんなこともあろうかと用意しておいた物を懐に携えて。













自室にて、文机に向かっていた紅は、近付いてくる気配に気付く。

「お帰りなさい、氷景」

ご苦労様、と告げる間も、視線は手元へと落とされている。
最後の一行を書き終えたところで、息を吐き出して顔を上げた。
それを待っていたらしい氷景と視線を合わせ、もう一度、お帰り、と告げる。

「…何か言いたそうな顔ね?」
「そう言う姫さんは、何が言いたいのかわかってる顔だな」
「まぁ、わからないほど浅い付き合いをしているつもりはないから…ね」

わかるからこそ、紅の表情に浮かぶのは苦笑以外にはない。
怒っていることを隠そうともしない氷景。
彼が留守の間に付いていた彼の部下の行動を考えれば、その理由は明確だ。

「単刀直入に言う―――休め」
「この仕事が片付いたら、そうするわ」

どちらもまったく譲らない直球勝負だ。
いっそ清々しいやり取りだが、彼女らしいと苦笑して終わりでは駄目だ。

「不眠不休で動いたって良い結果にはならねぇだろ」
「…そうかもしれないけれど、出来ることはしておきたいでしょう?」
「そう言って姫さんが倒れたら、一番応えるのは筆頭だと思うけどな」

政宗を示す単語が吐き出されると、一瞬だけ紅の動きが止まった。
しかし、やはり続きを再開してしまう彼女に、これ見よがしに溜め息を吐く。
重症だ―――報告を受けていた時から薄々感じてはいたけれど、これは酷い。
この分だと、念のため、と取ってきた“予防策”が役に立ちそうだ。

「姫さん」
「?」

名を呼び、その後を紡がないことで彼女の視線を上げさせる。
意識がこちらに向いたことを確認し、間髪容れずに“それ”を放り投げた。
危なくも、しっかりとそれを受け止める紅。

「危ないわね、急に」

そう言った紅の手の中には、手の平に納まる程度の大きさの箱。
美しい装飾を施されたそれは、一目見るだけでもその価値がわかる。
落としただけ…いや、下手をすると、受け止め方が悪いだけでも、どこかが壊れてしまいそうな繊細さだ。

「肌身離さず持ってろってよ。筆頭からの命令だ」
「政宗様からの?………これ、何なの?」
「伊達の家宝―――の一つ」

事も無げに告げられたそれが、うっかり力の抜けた手の平から零れ落ちそうになる。
その事態を予測していたらしい氷景が、危なげなくそれを受け止め、ぽん、と紅の手の平に戻した。

「…あなたの入れ知恵ね」

確認するまでもない、とやや責める様な目で氷景を睨む紅。

「主人想いの良い忍だと思うぜ?」
「政宗様が絡めば、否とは言えないと知った上で…」

最早、溜め息しか出てこない。
数あるうちの一つとは言え、家宝と言われればそれを持つ手は自然と緊張する。
そんな彼女に対し、ついでに、と差し出されたのは、何の変哲もない文。
訝しむ彼女に、筆頭からだと付け加える。

「…なんて?」

家宝が入っているらしい箱を文机に置き、政宗からの文を読み進める紅。
その表情から察するに、内容はそう悪いものではないらしい。

「もう数日で奥州にお戻りになるみたいね」
「そうか。上手く行ったんだな」
「ええ。…これを視界から外さずに、のんびりと帰りを待て、ですって」

紅を焦らせていた状況は改善されたと言うことなのだろう。
政宗からのそれを疑うはずもなく、紅は安堵の息を吐く。
漸く、ずっしりと重かった肩の荷が下りた。

「で、だ。姫さん」
「何?」
「さっきから廊下でどうしようかと機を窺ってる侍女を招き入れてやったらどうだ?」

気付いてるんだろ?と試すように問われ、視線をそちらへと動かす。
確かに、気付いている。
氷景が来る前から、困ったように、けれど決して立ち去ろうとはしないその気配。
ここ二日ほどはまともに食事をしていない、そんな自分を案じての行動だと言うことは容易に想像できる。
頭の片隅では気付いていた。
ただ、そこに配慮する余裕はなかったけれど。

「…迷惑をかけてしまったわね」
「………やっといつもの姫さんだな」

苦笑した紅を見て、もう大丈夫だと確信した。
焦っていても事が好転する筈はないけれど、そうせずにはいられなかった彼女の心境もよくわかる。
後は政宗が帰ってくれば、全てが元通りだ。

「じゃあ、城内の見回りに行ってくるけど―――」
「大丈夫よ。ちゃんと食事をとって、大人しくしているわ」
「できれば自室に戻ってくれよ。書類の前だとつい手を伸ばしちまうだろうからな」

心配性ね、と笑う紅の声に見送られ、室を後にする。
さほど間を置かずに立ち上がった紅は、襖のところまで歩いた。

「…ごめんなさいね。自室でいただくから―――用意してくれる?」
「は、はい!すぐに…!」

慌ただしく立ち去る彼女を見送った紅もまた、それを追って歩き出す。
その気配を屋根の上で感じ取っていた氷景は、小さく笑みを残し、姿を消した。





「ところで、この中身は何なんですか?」
「…ああ、開けてみろよ」
「……………政宗様」
「ん?」
「…空、です」
「だろうな。入れた覚えはねぇからな」

Request [ 八周年企画|宮村京子さん|息抜きさせるために氷景が頑張る話 ]
12.08.13