いつかきっと、

他の何よりも、体力を消耗した。
それはもう、こんなにも疲弊する事が世の中にあるのかと驚くほどに。
けれど、それ以上に―――言葉にできない、他の何物にも勝る達成感と、幸福感。
初めて腕に抱いた我が子は、とても可愛らしい容姿ではなかった。
生まれたばかりなのだから当然だけれど、それでも。
何よりも、愛しかった。





襖の向こうが騒がしい。
「お控えください」「駄目です」「奥方様は…」そんな単語の合間に、政宗の声が聞こえた。
疲れた瞼を押し上げ、ゆるりとそちらを見る。
火がついたように泣いていた赤ん坊は、身体を綺麗に清められ、紅の隣で静かに眠っていた。
がらり、と襖が開かれる。

「…構わないわ。ありがとう。あなたたちもゆっくり休んで」

掠れた声でそう言うと、長時間付き添ってくれていた彼女らに、改めて礼を述べる。
彼女らは首を振り、無理のないようにと部屋から下がった。
布団の傍に腰を下ろした政宗を、横たわったまま迎える。
とてもではないけれど、身体を起こす体力は戻っていない。

「気にするな。そのままでいい」

紅の考えに気付いたのか、政宗は彼女が行動を起こす事を制した。
はい、と頷き、隣に眠る赤ん坊を見る。
彼の視線もまた、そこにあった。

「よく頑張ったな」

伸びた手が紅の頬を撫で、額に張り付いた髪を梳く。
傍らに置かれた桶の中の手拭いを掬い、水気を絞ってから彼女の汗を拭った。
流石にそんな事はさせられないと思ったのか、紅の手が手拭いを奪おうと伸びる。
しかし、動きの悪い身体で政宗からそれを奪い取れるはずもなく、腕一つでそれを止められてしまった。

「しかし…こう言う時、男は無力だな」
「…そうですね」
「女は…いや、母親は最強だと思うぜ」

そう呟いた政宗の目が、紅を通してどこか遠い所を見ていた。
彼の目には、自らの母との確執が浮かんでいるのだろうか。
全てを知っているわけではないけれど、彼から少しだけ、話を聞いている。

「…大丈夫ですよ」

安心させるように、紅は政宗の手を握った。

「私はこの子がとても愛おしい。不安は色々ありましたけれど、この子を見て…大丈夫だと、確信しました」
「そうか…やっぱり、お前は強いな」

感心したような政宗の声を聞いた紅は、クスクスと小さな笑いを零す。

「あなたがいるから、強くなれるんです。あなたがその手で、私たちを守ってくれると信じているから」

だから、強く在れるのだと。
そう微笑む紅に、目が覚めるような感覚を抱いた。

「紅」
「はい」
「ありがとう」

彼女とならば、これからの未来を歩んで行ける。
そんな予感にも似た確信に、間違いはなかった。
独眼竜と恐れられようと、政宗自身も一人の人間である事に変わりはない。
時には迷い、不安も抱く。
そんな自分をさらけ出せる場所があるのだと言う安心感。

「お前も…ありがとうな」

政宗は、紅の隣で眠る赤ん坊の頭をそっと撫でた。
もぞりと動いたけれど、起きる気配はない。
そんな二人を見つめ、紅が唇を開く。

「私も…ありがとうございます。こんな幸せがあるなんて、知らなかった」

戦の時でも見ないような、疲弊した表情。
けれど、その中に…確かに見える、幸せの色。
達成感が、彼女の表情を美しく見せていた。

「風呂に入るか?用意させた方が良いなら―――」
「あ、お風呂は暫く駄目だそうです」
「そう、なのか」
「はい。詳しい理由は聞いていませんけれど…今日の所は、その体力もなさそうですし」

そう言って笑った紅の表情には、確かに覇気がない。
風呂好きの彼女に風呂断ちは辛いだろうと思ったけれど、そう気にしているわけでもないようだ。

「そろそろ休ませねぇと、怒鳴り込んできそうだな…」

ふと顔を上げた政宗が、苦笑交じりに襖の方を見る。
何となく感じる、重苦しい気配。
まだ怒っていないけれど、怒っているらしい産婆は、結構な高齢の女性だ。
聞くところによると、政宗を取り上げたのも彼女らしい。
産後間もない母体にこれ以上無理をさせると、本気で怒鳴り込んできかねない空気。
二人は顔を見合わせ、声を殺して笑った。

「ゆっくり休め。また来る」
「はい」

すっと拾い上げた手に口付け、名残惜しげな視線を残しながら、部屋を去る政宗。
それを見送ると、一気に疲れが押し寄せてきた。

「さぁ、奥方様。今はゆっくり休んで、体力を取り戻すのが大事ですよ」
「そう、ね」

最後の記憶は、優しく笑う産婆の彼女と、安らかに眠る我が子の姿だった。






「…ありがとう」

大きな泣き声に掻き消される、掠れた感謝の言葉。
今はまだ、この耳に届かなくてもいい。

いつかきっと―――この感謝を伝えよう。

Request [ 七周年企画|紫苑さん|出産直後の政宗とヒロインの話 ]
11.12.28