次の休日の約束を、
「おはよう、エスト」
いつもより少しだけ遅く食堂へと向かう。
それでも、他の生徒よりは十分早いお蔭で、食堂の席にはまだまだ空席が目立つ。
どこに座ろうか―――巡らせた視線は、後ろからの声に振り向いた。
「おはようございます」
「食堂で会うのは珍しいわね」
少しだけ歩調を早めたコウがエストの隣に並ぶ。
コウは人の少ない時間を選んだりはしないから、時間が重ならないのは当然なのかもしれない。
「一緒に食べましょう?」
「はい、もちろん」
ここに、普段のエストだけを知る人物がいたならば、驚いて目を見張るだろう。
彼が素直に頷く姿は、それほどに珍しい光景なのだ。
現に、食堂の入り口にほど近い場所で食事をとっていた生徒の一人がオレンジジュースで咽ていた。
本来であれば向い合せで座る所かもしれないけれど、テーブルが広いので隣り合わせで座る。
程なくしてプーペがそれぞれの朝食を運んできた。
「焼き立てのパンの匂いって、優しいと思わない?」
温かいパンを一口サイズに千切りながら、コウがそう問いかける。
いつもの如くサラダを口にしていたエストは、その問いかけに少し悩んだ。
ふと、脳裏に浮かぶのは、1年ほど前の記憶。
毎食をサラダで済ませていたエストを見るに見かねたコウは、先生に頼んでキッチンを借りた。
「エスト、パンを焼いたのよ。一緒に食べましょう?」
昼時になって、中庭で読書をしていたエストを探し出したコウは、そう言って籠を持ち上げた。
その中には、数種類のパンが、まだ温かく湯気を立てている。
もしかすると、冷めないように魔法をかけたのかもしれない、と思った。
「―――はい」
どんな時だって、エストはコウには逆らわない。
どれほど大事にされているのかを自覚しているから。
そして、彼女は彼が逆らわなければいけないようなことを望まないからだ。
「色々焼いたから、好きなのを食べていいよ」
差し出された籠から取り出したパンは、優しい匂いがした。
「エスト?」
ひらひらと目の前で揺れる手の平に、ハッと我に帰る。
記憶に浸っていて、心がどこかに行っていたようだ。
「大丈夫?」
「…大丈夫です」
「…熱はないみたいね」
当然のように手の平が額に当てられた。
逃げる事もなくそれを受け止めていたエストは、名残を惜しむ事もなく離れた体温を少しだけ寂しく思う。
もちろん、そんな事を口にはしないけれど。
「サラダばかりでは体力がつかないわよ。一つくらい食べたら?」
そう言って、コウは自分の皿に乗ったパンをエストに差し出した。
少しだけ悩み、小さいそれを一つ、手に取る。
指先からほんのりとぬくもりが伝わってきた。
「それ、ハニーブレッドよ。甘さは控えめだから、美味しいと思うわ」
プーペは料理が上手いわよね。
なんて当然の事を呟きながら、彼女もまた、エストの手にあるものと同じパンを口にする。
そんな彼女に釣られるように、小さく千切った一欠けを口に運んだ。
ふわりと広がる蜂蜜の甘み。
確かに、エストが嫌う程の甘さはなく、どちらかと言えば控えめに舌を包む味で、彼の好みだった。
美味しい。
美味しい、けれど―――
「…」
「うん?」
エストが何かを呟いたような気がして、飲んだ紅茶のカップをテーブルに戻して問う。
「…姉さんの作るパンの方が―――」
その続きはなかった。
けれど、彼が何を言おうとしていたのかは明白だ。
コウは少しだけ驚いたような表情を見せて―――それから、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、今度の休みに焼こうか?また、中庭でピクニックする?」
「…姉さんが忙しくないなら」
「うん。じゃあ、食べたいパンがあったら、教えてね」
「姉さんが作るなら何でもいいです」
「(…可愛いなぁ。口にしたら拗ねちゃうけど)」
あまりに素直な様子に、頭を撫でようとする手を止めるのが一苦労だった。
「あ」
ふと、エストが思い出したように呟く。
そして、少し躊躇うようにして、コウに向かって口を開いた。
「甘いパンを…」
「………ええ、作ってあげる。誘うのは自分で頑張りなさいね?」
瞬時に血色がよくなったエストに、クスクスと笑う。
コウの言葉は、からかいの意味も多少は含まれていたけれど、大部分は頑張れと言うエールだ。
それを理解しているから、下手に突っかかるような言葉は出てこない。
恥ずかしさを隠すように残りのパンを口に放り込み、やや乱暴に咀嚼した。
「どうしたの、ルルちゃん」
こんなところで、と称したそこは、食堂の入り口。
開かれたままの両開きのドアの傍らで、しゃがみ込んでいるルルが背負う空気はどんよりとしている。
無視することは出来たけれど、今回は声をかけた方が面白くなると踏んで声をかけたのはアルバロ。
パッと顔を上げた彼女は、恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。
「な、何でもないの!」
「ああ、エストくんとコウだね」
違う場所を見ようとすればするほど、意識が強く引っ張られている方へと引き寄せられる視線。
ルルの目は、その口以上に物を語っていた。
視線の先にいたのは、穏やかに食事をとるエストとコウ。
それだけで、何となくルルの心情を察してしまうだけの勘の良さを持っているのがアルバロだ。
「ほんとに…こっちが妬けるくらいに仲が良いよね、あの二人は」
「そうなの!エストったら、すっごく良い表情で―――って、そうじゃなくて!」
同意してしまってから、自ら認めてしまった事を理解して慌てて否定。
このままにしておくと、どこまでも墓穴を掘りそうな様子だ。
「…アルバロも、妬くの?」
「ん?別に。コウのエストくん好きは今に始まった事じゃないしね」
隠している様子もなく、さも当然のようにそう答えるアルバロをじっと見つめるルル。
「…エストがとっても自然に笑うから…コウさんが羨ましいなって」
「………案外、自分の時には見えないものだよ」
励ますつもりなんてなかったのに、あまりに落ち込んだ様子で呟くから、思わずそんな風に声をかけてしまった。
そんな自分に苦笑しつつ、ルルの頭をポンと撫でてから、食堂へと入る。
「おはよう、コウ。エストくんも」
「おはよう」
「…おはようございます」
向かってきたアルバロと入れ替わるようにして、エストがガタンと席を立つ。
わかっていたのか、コウはまたね、とエストを見送った。
「入口の所にルルちゃんがいるよ」
「…知ってます」
すれ違いざまに声をかけると、素気ない返事が返って来た。
だろうね、と呟く。
ルルと話をしていた時、エストの視線が一度、自分たちを見た事に気付いていたからだ。
「次の休みにピクニックをするんだけど、アルバロも来る?」
「ピクニック?」
コウには似合わない言葉だと思った。
それが表情に出ていたのか、彼女は苦笑しながら「エストのため」と答える。
それだけで、十分理由になっていた。
「じゃあ、コウからの誘いだっていつものメンバーを呼んでおこうか?」
「…なんだか作るのが大変そうだけど…まぁ、大勢の方がいいかもしれないわね
あなたを含めた4人だと、エストたちの苦労が目に浮かぶわ」
「…酷いなぁ」
そんな事はないよ、と笑うアルバロに、コウは肩を竦めた。
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11.12.21