覚悟の時、
裏では色々な駆け引きやら手続やらがあったらしいけれど、何も知らない。
言われるがまま、されるがままに時間が過ぎ、気が付けば日が暮れていた。
テレビでしか見た事がないような染み一つない真っ白な着物。
まさか、自分が袖を通す事になろうとは―――
じっと、揺れる蝋燭を見つめていた。
「…、…」
近付いてくる気配に気付き、居住まいを正す。
襖が開かれる間際にスッと腰を折った。
滑らかに襖が開かれ、数秒の沈黙。
驚いているような気配に気付き、紅が緩く身体を起こした。
少しだけ目を見開いて見下ろす政宗のその姿に、紅もまた、目を見張る。
政宗がそうしたのは、今まで部下と言う立場にあった彼女が、腰を折って自分を迎えたから。
紅がそうしたのは―――彼の手にある物を見ての事だった。
先に動き出したのは、政宗の方だ。
「そう硬くなるなよ」
「…そう、ですね」
彼は小さく笑うと、部屋を横切って縁側に向かう。
庭の木の影を映していた障子を行儀悪く足で開き、紅を呼ぶ。
「…今から、酒盛りですか?」
「おう。茶なら飲めるだろ」
ドカッと腰を下ろした政宗は、その場に盆を置く。
徳利と杯と、場違いな湯呑。
その組み合わせが面白くて、紅は思わず笑ってしまいそうになった。
手招きで隣へと呼ばれ、促されるままにそこに腰を下ろす。
徳利を手に取れば、同様に杯を手に取った政宗と視線が絡んだ。
水が流れるのと同じぐらいの自然さで、杯を酒で満たす。
「…月が綺麗だな」
空を見上げた政宗が、そう呟いた。
その言葉を聞き、紅がクスリと笑う。
彼女が笑った意味が解らなかったのだろう。
政宗の目が、彼女を見た。
“月が綺麗ですね”―――有名な言葉だが、生みの親はこの時代よりもずっと後の人だ。
「恐らく…政宗様には理解していただけますね」
外国語をご存知ですから、と答えると、彼は不思議そうな表情を見せた。
先を促す眼差しに、空になった杯を満たしながら続ける。
「I love you―――これを、そう意訳した方がいたんですよ。物書きで、私…彼の小説がとても好きでした」
始まりは小学校の教科書だった気がする。
多くを説明する事はなかったけれど、紅の言葉の意味は伝わったようだ。
政宗は、そうか、と頷き、杯を傾ける。
言葉のない静かな時間が過ぎる。
虫の音だけを聞きながら過ごす時間は、呼吸に等しいと感じるほどに自然で。
何かを話さなければいけないと感じる事すらなかった。
けれど―――
「政宗様」
紅が静かに政宗を呼ぶ。
空になった徳利を置き、膝の上から外した拳をそっと、正座した足の影に隠す。
握り締めたその手を、彼に見られたくないと思ったから。
「…あなたの唯一でありたいと言う想いに変わりはありません」
独眼に見守られ、紅は前を向いて語る。
「けれど、もし…その必要があるのならば―――その時は、奥州を優先してください」
共に歩むと決めた。
―――俺について来い。お前に仇なす全てから守る。
そう言ってくれた、彼の言葉を信じている。
だからこそ、どうしても伝えたかった。
「あなたが奥州を想うのと同じくらいに、私も奥州の未来を考えたい。願いたい―――愛したい」
だから―――
「その時は、私のこの覚悟を…どうか、信じてください」
心は哀しむかもしれない。
それでも、志は同じなのだと信じてほしい。
政宗は、紅のその覚悟を、口一つ挟む事無く聞いていた。
言葉が終わり、彼は無言のまま紅が隠した手を取る。
握り締めていた手に指先を絡め、優しく解かせると、手の平には薄く爪痕が残っていた。
彼はそれを見てもやはり何も言わず、そっと手の平に口付ける。
まるで、何かを誓うように。
「―――その覚悟、確かに受け取った」
真っ直ぐな眼差しに、その場限りと言う空気はない。
真摯な言葉に安堵し、紅は表情を緩めた。
「だが、お前にその覚悟はさせない。これは俺の誓いだ」
「…政宗様…」
あぁ、大丈夫だ―――そう確信した。
「紅」
「はい」
それから、また二人で月を見上げる。
静寂に重ねる様な静かな声に答えた。
「“月が綺麗だな”」
「…そう、ですね」
見つめる独眼の奥に秘められた熱を知り、そっと瞼を伏せて目元を赤らめる。
そんな彼女に小さく口角を持ち上げ、そして彼女の腕を引いた。
あっさりと姿勢を崩して胸に飛び込んでくる彼女を器用に掬い上げ、立ち上がる。
「ま、政宗様っ!?」
「逃げられたら困るからな」
「に、げません…っ」
顔を真っ赤にして、それでも必死に答える紅。
政宗は彼女を見下ろし、穏やかに笑う。
「ああ、知ってる。お前はそう言う奴だからな」
「―――っ」
それ以上何も言えず、沸騰しそうな顔を隠すように政宗の胸元に顔を埋めた。
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11.12.05