君がここに居てくれるなら、

この仕事が終わったら休む。
誰が何と言おうと、休む。
心の中でそう決めて、ただひたすら書類と向き合う時間。
忙しい時に限って、重なりに重なった山の所為で、既に2ヶ月はまともに休んでいない。
だが、そんな忙しい日々にも、漸く終わりが見えてきた。
明日には全ての片が付くだろう。

「ったく…漸く婚約発表できたところだって言うのに…誰の陰謀なんだか」

呟いてから、はた、と気付く。
陰謀―――決して、あり得ない話ではない。
対立ファミリーだとか、そう言うややこしい問題ではなくて、この場合、疑うべきは身内だ。
まず第一に、昔からスパルタの家庭教師ヒットマンが浮かんだ。
多少冗談めかしていたものの、実はかなり本気だったのは、超直感がなくても気付いた。
紅は精神的にも強く、魅力的な女性だ。
守護者やその他ファミリーの中にも、彼女に少なからず想いを寄せていた人間は多い。

「…そんなわけないか」

いくらなんでも、と言い聞かせるように首を振り、署名欄にサインする。
誰の陰謀だとしても、もう間もなく終わるのだから関係ない。
その続きを考える事を放棄し、仕事に勤しんだ。










最後の一つにサインを記し、漏れがないかを確認する。
終わった―――それを実感し、ほっと肩の力を抜いたところで、執務室の扉がノックされた。
返事のすぐ後に、開いた扉から顔を覗かせた紅。

「仕事は終わった?」
「うん、今ちょうど終わったところ」

数時間ぶりの彼女の顔に安堵すると同時に、もしかして、と嫌な予感が浮かぶ。

「…次の仕事?」

よほど嫌な顔をしていたのだろうか。
彼女はクスクスと笑い、首を振った。

「そろそろ終わる頃かと思って。ティータイムにしましょう?」
「…良かった。次の仕事とか言われたら、破って捨てるところだよ」
「ふふ…そうね。この所ずっと忙しくしていたから、無理もないわ」

そう笑い、ローテーブルで準備を進める紅。
今用意したばかりとわかるお菓子や紅茶の優しい匂いに、疲弊した心がふんわりと浮上した。

「手作り?」
「もちろん。今日は時間が空いたから」

既に切り分けられた2種類のパウンドケーキと、何かのパイ、数種類のクッキー。
本部に作られたキッチンにはいつでもそれなりの食材が揃っている。
けれど、材料があるからと言って、時間が空いたと言う程度で出来る量ではない。
少なくとも、昨日の時点で、彼女の中でこれらを作る事は決定事項だったのだろう。

「…ありがとう」

ツナも忙しくしていたけれど、紅だって暇だったわけではない。
寧ろ、先回りや事後処理に当たってくれていて、彼と同じかそれ以上に忙しかったはずだ。
それなのに、嫌な顔一つせず仕事をこなしてくれた。

「ごめん。何か…俺、まだまだ駄目だな」

昔よりはずっと成長したと思っていた。
けれど、実際は皆の力を借りなければ、この山を乗り切る事は出来なかった。
大切にする、幸せにする。
在り来りだけれど、そう言って彼女に受け入れてもらったのに―――共に過ごす時間も、殆どなかった。
この2ヶ月の事を振り返り、思わず自己嫌悪する。

「綱吉」

優しく、柔らかく名前を呼ばれた。
顔を上げると、彼女は変わらぬ笑顔でソファーに腰掛け、ツナに向かって手招きをする。
来て、と短く紡ぐ言葉に引き寄せられるように、重い腰を持ち上げた。
隣に腰を下ろすと、彼女は身体の向きを斜めにしてツナを見る。
そして、そっと彼の手を握った。

「お疲れ様」

否定も肯定も、慰めも励ましも。
何も言わず、紅はただ、笑顔でそう言った。
その一言が、すとんとツナの胸に落ちる。

「…うん、お疲れ様」

そう答えると、自然と笑顔が浮かんだ。
そんな自分に気付き、そう言えばこの所満足に笑っていなかったな、と思い出す。
漸く、日常を取り戻したような感覚だ。

「午後から…暫く休むよ」
「ええ、それが良いと思うわ。皆にも、そう伝えてあるから」
「…え?」
「そろそろガス抜きが必要な頃だと思っていたから」

ちょっとお願いしてきたの、と。
笑って言う彼女だけれど、そんな事が罷り通るのは…いや、通してしまうのは、彼女だからだ。
紅はツナの為を思い、多少強引に休暇をもぎ取って来たのだろう。

普段は流れる水のように穏やかな彼女だが、いざという時には驚くほど強い意志を見せる。
昔こそ、ツナに気付かれないようにと陰で動いていたようだが、最近は隠す事をやめたらしい。
実に堂々とした態度で、ツナを擁護する。
けれど、ツナ自身が決めた事には基本的に逆らわないし、反対もしない。
彼女は立てるべきところを理解し、控えるべきところで身を引く謙虚さも持っていた。
年上の余裕を見せられているようで、悔しさや焦りを感じた日もある。
甘える事を知った今では、彼女流の支え方がどうしようもなく心地良いと感じている。













まだ温かいケーキを食べながら、のんびりとした時間を過ごす。
今までの仕事の疲れが嘘のように、穏やかで幸せな時間だった。

「休みの間…どうしようか?」
「その事なんだけど…イタリアに行くようにって」
「イタリアに?」

仕事は休むと決めたのに、何故イタリアに行かなければいけないのか。
眉を顰めたツナに、紅は困ったような表情を浮かべる。

「9代目との謁見が仕事なのよ。今日の夜にチャーター機を用意してくれているわ。帰りは一週間後だって」
「…要するに、久し振りに顔を見せに行けって事か」

謁見と言っても、一日で十分に事足りる。
それは、素直じゃないリボーンらしい配慮だった。

「…どこに行きたい?」
「え?」
「折角だから、向こうで観光しようよ。向こうに行く時は仕事ばっかりで、殆ど出かけられないだろ?」

そう提案すると、紅は嬉しそうに頷いた。
幼少期をイタリアで過ごした彼女だから、もしかすると観光し尽してしまっているかもしれない。
それが心配だったけれど…次の言葉で、杞憂だったと知る。

「イタリアでは殆どが本部での生活だったから…嬉しいわ。空港に行く前に、本屋さんに寄りましょう?」
「そうなんだ、良かった。…何で本屋?」
「イタリアの観光系のガイドブックが欲しいの。飛行機の中で読めるし」

紅の反応は、まるで子どものような純粋さを含んでいて。
新たな一面に、ほんの少しだけ目を見開く。

「…楽しみ?」
「もちろん!」
「…そっか。うん、俺も…楽しみだ」

そうして、釣られるように笑う。
これからどんな日々が待っていようと、紅がここに居てくれるなら進んでいける。
ツナはそう確信した。

Request [ 七周年企画|沙紗苺さん|婚約、または結婚中で甘く過ごす久々の休日の話 ]
11.11.26