内に秘めた情欲に身を委ね、
「コウ!コウはどこだ!?」
鈴ではなく声で呼ばれ、庭先の水やりをしていた手を止める。
バタ、バタン、バタバタ…バタン。
ドアを開けて、閉じて、移動して。
そんな音がしているから、いずれはここに居る事に気付くだろう。
とは言え、一応は主人であるシエルの声を無視して作業を続行するのはよくない。
少し悩み、この花壇だけ、と水やりを終えてから、屋敷の中へと入った。
裏口から廊下を見ると、丁度部屋を出て向こうに走ろうとする小さな背中を見つける。
「シエル」
声をかけると、彼はパッと振り向いた。
ここに居たのか!やっと見つけた!そんな顔だろうか。
「何かあったの?」
「アイツをどうにかしてくれ!」
シエルの言うアイツ、がセバスチャンであることに間違いはないだろう。
そうでなければコウを呼びに来る理由がない。
「とにかく、今日は一日お前たちに暇を与えるから、どうにかしてくれ」
「シエル…一日休んだら、屋敷が再起不能になるわよ?」
「………それよりもアレの方が問題だ」
沈黙の間に色々と考えたようだが、天秤はそちらに傾いたらしい。
シエルがこれほど強く言うのだから、本当にどうにかしてほしいのだろう。
腑に落ちない部分はあるけれど、とりあえず頷けば、早速とばかりに部屋へと連れて行かれた。
もちろん、本気で対抗しようと思えばできるので、大人しく引っ張られてあげただけ。
頼んだからな、と念押しされて押し込まれた部屋はコウの自室。
何故?と思う暇もなく閉ざされた扉。
仕方なく気配のする方へと一歩進んだところで、ふわりと鼻先を掠めた香り。
「…あぁ、そう言う事」
何となく、シエルの言葉の意味が分かった。
この香りは、コウが好んで使う香炉の物だ。
コウにとってはリラックス効果が高く、落ち着ける香りなのだが…その内容には、少し問題がある。
彼女ほど高位の悪魔には“良い香り”で片付く代物なのだが、それ以下の悪魔にとっては少々刺激が強い。
もちろん、それを知らない彼女ではないので、普段からセバスチャンには影響しないようにしていた。
使っているのは彼女の寝室だけで、量だって随分薄めている。
昼前には残り香だって消える程度にしか使っていないのだが―――そう考えたところで、思い出した。
「そう言えば、今朝…花を抱えていたわね」
おはよう、とあいさつを交わした時、セバスチャンは腕に花を抱えていた。
屋敷内の花を替えて回っていたのだろう。
―――この花は良い香りね。
―――なら、コウの部屋にも活けておきましょうか?そろそろ前の花が寿命でしょう。
そんな会話を、した。
この先に待ち受ける状況がわかっているから、出来れば進んで扉を開けたくない。
けれど、そうしなければ解決しない事もわかっている。
溜め息を一つ吐き出して、ドアノブに手をかけた。
薄く開いた隙間から寝室へと引きずり込まれ、気が付いた時には背中にシーツの感触。
上には天井と―――
「…何ですか、これは…」
耐えるように眉を寄せるセバスチャンなんて、とてもレアな光景。
しかし、そんな事より…噛み締めるように問われた言葉に、コウは目を瞬かせた。
「知らない?上の方では割と知られているけれど…有名ではなかったかもしれないわね」
「………媚薬、ですか?」
「まさか。でも、その材料にもなるわ」
コウの返事を聞いたセバスチャンから舌打ちが返って来た。
確かにこの部屋にはコウしかいないので、取り繕う必要はないけれど…驚くほど、本性をさらけ出している。
興奮の所為なのか、紅い目が射抜くようにコウを見下ろす。
その強い眼差しに貫かれながら、彼女は優雅に微笑んだ。
「シエルが随分と怯えていたわ。…何をしたの?」
「…何も、していませんよ」
「そう。じゃあ、いつも通りを取り繕っていたつもりで、全くできていなかっただけね」
ご苦労様、とその頬を撫でれば、彼の眉間に深々と刻まれる皺。
「―――コウ」
「なぁに?」
わかっているのだろう。
クスクスと笑い、屈託ない表情で首を傾げる彼女。
屈託ない表情に見えるけれど、それなりに長い付き合いのセバスチャンには、その奥に隠れた感情がわかる。
「どうすれば、治まるんです?」
「あなたもわかっていると思うけれど?」
「―――――っ」
「…本当に、余裕がないのね」
正直な所、ここまで効き目があるとは思わなかった。
良い香りなのに、とベッド際の香炉に視線を向ける。
そこで、気付いた。
「あら…まだ火が残っているなんて…」
「…どう言う事です?」
何でもないの、と答えてから、改めて香炉を見る。
もう消えているようだが、つい先ほどまで火がついていた様子だ。
いつもなら夜中の間に消えるよう調節しているのだが、昨夜はそれを間違えてしまったらしい。
色々あって疲れていたから、無意識にそうしてしまったのかもしれない。
と言う事は―――セバスチャンの現状は、多少なりとも自分にも責任があるようだ。
「…コウ」
その声に、降参だと溜め息を吐く。
勝手に寝室に入ったセバスチャンが悪いと言いたいけれど、無関係とは言えない。
頬を撫でた手を彼の後頭部へと回し、引き寄せる。
吐息が絡む距離で、コウは妖艶に微笑んだ。
「いつも余裕綽々とした様子なのに…こんなに余裕のないあなた、初めてね」
「…楽しそうですね」
「ええ、とーっても。でも、辛そうだから…仕方ないわね」
「………いいんですか?今日は優しくできそうにありませんよ」
「嫌なら昏倒させてさっさとどこかへ消えているわ」
セバスチャン相手にそれが出来るのは、人間界ではコウくらいかもしれない。
だが、それが出来ると言う事は、今の状況から明らかなのだ。
余裕のないセバスチャンと、いつもより調子がよさそうなコウ。
彼は今更ながらそれに気付き、不快そうな表情を見せる。
彼の心中を悟ったように笑うと、コウは自ら唇を重ねた。
委ねるように瞼を伏せれば、主導権が彼女から彼へと移る。
徐々に深くなる口付けの合間に、早く効果が薄れるようにと、自身の魔力を流し込んだ。
Request [ 七周年企画|梨緒さん|迫るセバスチャンで、大人の駆け引きのような雰囲気の話 ]
11.10.30