傍にいるだけで、
あ、駄目だ。
そう思った時には、もう遅かった。
蒼く霞む視界の中、振り向いたティルの顔が驚きに染まったのが、最後の光景だった。
「コウ!!」
傾いていく身体を、ギリギリのところで受け止める。
滑り込むようにして受け止めた所為で、地面に座り込んでしまったけれど、そんな事は気にならなかった。
頭の中は、腕の中で伏せる彼女一色だ。
受け止めた身体は自分が思うより細く、そして熱い。
彼女が楽なようにとその身体を反転させた。
浅い呼吸、赤みを帯びた顔、額に浮かぶ汗。
「熱が高いですね。坊ちゃん、城へ急ぎましょう」
もうすぐですから、と遠くに見える城を指す。
グレミオの言葉に頷き、ティルはコウを軽々と抱き上げた。
「運ぶなら背負った方が良い。その方がコウへの負担も少ないはずだ」
フリックの提案に、彼はそうだね、と頷く。
そして、フリックが彼女を預かり、ティルの背中に負わせる。
布越しの体温の高さを感じ、フリックの表情が険しくなった。
「ティル、後ろに下がってろ。コウを背負ったままでは戦えねぇだろ」
「ああ、前は俺たちで十分だ」
「では、私は隣にいますね」
「ありがとう。…頼むよ」
辛うじてそう答えるけれど、意識は常に背中に負う彼女へと向けられている。
この場に彼女を心配しない人間はいない。
けれど、ティル以外の人が冷静だったのは、彼のお蔭かもしれない。
皆の心配を一手に引き受けているかのように、全身全霊と言っても過言ではないティルの様子。
「…早いとこ帰ろうぜ」
「ああ、そうだな。急ごう」
「今、下手に時間を食っちまったら…ソウル・イーターをぶちかましそうだからな」
ビクトールの心配は尤もだ。
この状況で一行の前に立ちふさがるモンスターは、容赦ない制裁を食らうだろう。
憐れなモンスターを増やさないためにも、急がなければ。
そうして、一行は帰路を急ぐ。
身体の節々が鈍く痛む。
酷く疲れているのに、なぜか目が覚めてしまった。
気怠く瞼を押し上げた先に見えたのは、見慣れた自室の光景。
視界の霞を払うように一度、二度と瞬きをして、ゆっくりと視線を動かす。
「……、…」
掠れた喉では、声が出なかった。
けれど、心の中で確かに、ティル、とその名を呼ぶ。
動かした視線の先に、彼が居たからだ。
ベッド際に置いた椅子の背もたれに身体を預け、腕を組んで俯く彼。
顔は見えないけれど、その様子から察するに、彼は眠っているのだろう。
覚えのある身体の状況から、自分が高熱に倒れたのだと悟ったコウは、動きの悪い四肢を駆使して寝返りを打つ。
するりと衣擦れの音が鳴り、ティルの肩が揺れた。
ゆっくりと持ち上がる頭。
薄く開いた目が、コウを映す。
「…目が覚めた?………まだ辛そうだね」
寝起きの掠れた声が、コウ、と呼ぶ。
伸びてきた手が彼女の額に触れた。
ひんやりとしたその手の平の感触が心地良く、思わず目を細めるコウ。
「下がらないね。薬を飲んだ方が良い」
無意識に手の平に擦り寄る様にしているコウに小さく笑みを浮かべる。
そして、もう片方の手で脇に置いたテーブルから薬を引き寄せた。
「少しだけ離すよ」
そう言って彼は彼女の額から手を離し、それを背中とシーツの間に滑り込ませた。
「ごめん、辛いだろうけど」
腕全体を使うようにして彼女の身体を少しだけ起き上がらせる。
そのまま半ば抱きかかえるようにしてその背を支えると、薬湯をその口元へと運んだ。
唇にそれを添えると、急かす事無く、コウの様子を窺いながら傾けていく。
コクリ、と一口を飲んだ瞬間に、彼女の眉間が皺を刻んだ。
ティルが咄嗟にカップを口から離すと、コウはコホッと咳く。
薬が苦かったわけではなく、飲み込んだ時に喉が痛んだのだろう。
リュウカンが喉の腫れが酷いから、そのあたりから来る発熱だろうと言っていた。
「…飲めそう?」
ティルの静かな問いかけに、彼女は瞼を伏せたまま頷く。
再び口元へとそれを運んで傾けると、今度は二口、三口と順調にそれを飲んだ。
―――体調が悪い時に飲む薬には慣れているの。
前に彼女がそう言っていた事を思い出す。
酷い風邪の時は薬を飲み込む事すら億劫になるものだが、自分で慣れていると言うだけの事はある。
最後までそれを飲み干した後、口直しにと水を飲ませる。
そこで、コウは改めて目を開いた。
発熱の所為で涙の膜を張った目が、ゆるりとティルを見上げる。
「…倒れてしまったのね」
少し掠れた声は、苦笑交じりに聞こえた。
「横になった方が楽?」
コウの言葉には何も答えず、今の状況を確認する。
彼女は小さく首を振った。
そう、と答え、ティルがベッドの上に身体を乗り上げる。
そして、コウの身体を抱き直すと、彼女も小さく身じろぎをして楽な姿勢を探した。
「驚いたよ。急に倒れたから」
「ごめんなさい」
「いや、構わないんだ。モンスターの毒にでもやられたのかと思ったから…ただの風邪で、安心した」
君は辛いだろうけど、と苦く笑う。
コウは黙って首を横に振る。
「風邪は…いつか、治るから」
今が辛くとも、いずれ治る辛さならば耐えられる。
刻一刻と酷くなる苦しさを知っているからこそ、この程度の事は何でもないのだ。
言外に込められた想いを読んだのか、ティルが複雑な表情を見せた。
そうだね、と頷く事は出来ない。
自分はその苦しみを知らないのだから。
「心配してくれて、ありがとう」
「心配するしか出来ないから」
「…傍にいてくれるだけで、安心する」
そう言うと、コウはゆっくりと瞼を閉じた。
程なくして、全身の力が抜け、小さな寝息が聞こえ出す。
「そう言ってくれるなら、ずっと傍にいるよ」
だから、安心しておやすみ。
ギュッとその身体を抱きしめ、熱い額に口付けた。
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11.10.02