意外と平気な、

目を覚ますと、別の人の身体でした。
―――そんな話を、誰が信じてくれるだろうか。

信じてくれる人がいるとすればそれは―――入れ替わってしまった相手くらいだ。













「…コウなんだな?」

そう呟くのは、神妙な面持ちの黒猫。
鏡に映す以外で自分の姿を真正面から見るのは、これが初めての事だ。
本来はあるべきではない現象なのだから、当然だろう。
困惑しきった様子で頷くコウに、黒猫は深々と溜め息を吐き出した。

「頼むから、やめてくれ」

こくこく、と頷く動作がいけなかったらしい。
自分自身の心底嫌そうな声と言うのも、客観的に聞くのは初めての体験。
不思議で貴重な体験をしている事は確かだが、楽しんでばかりはいられないこの状況。
コウは改めて、部屋に添えつけられている鏡に視線を向けた。
こちらを見つめ返す目元には濃い隈。
顔つきはお世辞にも善人とは言えず、本人には言えないけれど、悪人面だと思う。
自分の目でその顔を見ている分には全然気にならなかったのに、自分がその顔になるのは微妙な気分だった。
しかし、それを口に出したりはしない。
目の前の黒猫―――もとい、自分の中身はローだからだ。

「とりあえず、こんな状態で敵船にでも出くわしたら厄介だからな。能力の使い方を教えておく」

現実的な彼は、現実逃避をしたりはしなかった。
起こり得る可能性と向き合い、打開策を考えておく。
起こってほしくはないけれど、と思う事ほど起こる世の中なのだと、彼は知っていた。
彼は、懇切丁寧に教えてくれた。
ただ、哀しいかな相手はコウ―――ローと同じ頭脳を持ち合わせているわけではないのだ。

「―――わかったか?」

確認と言うよりは、わかってくれ、と言う想いが込められていたと思う。
しかし、コウはその期待に応える事は出来なかった。
それもそのはず、彼女はどちらかと言うと本能や直感に忠実な人間なのだ。
頭脳派の彼とは正反対に位置する、動物的な人間。
幼馴染のルフィの影響なのか、元々持っていた素質がそうだったのかはあえて問うまい。
わかりません、とも言えない状況に、コウは困ったように眉を寄せた。
いつも不敵に笑うローの困惑した表情―――ないと言うわけではないが、珍しい事は確かだった。

「…とりあえず、敵船が来ない事を祈るばかりだな」

話は終わりだと、仕切り直しのように溜め息を吐いた彼は、自分の手を見た。
見紛う事なき、猫の手。
例え忙殺されていたとしても、とてもではないが借りたいとは思えないほどに不自由だ。
慣れない筋肉を動かして爪を出してみる。
客観的に見るより、鋭いような気がした。

「どのくらいの切れ味なんだ?」

思わずそう尋ねると、コウはきょろ、と部屋の中を見回した。
そして、どこからか鉄のパイプを運んできて、はい、と前に構える。
両手で、床と水平になるようにして、ローの前へと固定したのだ。
聞くよりもやった方がわかる、と言う事だろう。
ローは無言で腕を振り下ろし―――驚いた。
彼自身も刃物を使うからよくわかる。
かなりの厚みを持った鉄パイプが、まるでトマトを切る様にスッパリと切れた。
思わず、切れたパイプの断面と自分の爪を交互に見比べてしまう。
そして、出来るだけ自分の姿を見ないようにして、コウに声をかけた。

「この切れ味が普通なのか…?」
「え?うん。鉄パイプくらいは余裕。頑張れば…この船も切れるんじゃないかなぁ…」

恐ろしい言葉が聞こえた。
潜水するために、船の造りはかなり強固になっている。
分厚い壁は鉄以上の強度を持っているし、水圧にも負けない。
それは言い過ぎだろう、と言えないのは、ロー自身が爪の切れ味を、その身を以て体感したからだ。
鉄を切ってあの感覚なのだ、不可能とは言えない。

「………意外と器用だったんだな」

本人には聞こえないように呟く。
コウはローの方が好きだから、何を気にする事も無く乗せていた。
帽子の上にだって平気で乗せていたわけだは―――実は、とんでもなく危険な事だったらしい。
しかし、今まで猫のひっかき傷以上の傷を作られた事はない。
つまり―――コウ自身が、咄嗟の時にもローを傷付けないよう細心の注意を払って加減していたと言う事だ。
不器用だと思った事はないけれど、そこまで器用だったとは知らなかった。

「爪もそうだけど、私としては身体能力の方が期待できると思うよ。跳躍力とか、バランス感覚とか」

―――試してみる?猫ではなく、人間のコウの姿に戻って?

「冗談じゃない」

試してみないの?と首を傾げるコウに、ローは答えた。
コウの姿になった自分を見るなんて、冗談じゃない。
そんなのは彼自身のプライドが許さなかった。
断固として猫の姿から戻るつもりがないらしい彼に、コウはふぅん、と相槌を打った。
別に、無理強いしようと言うつもりはないようだ。
ふと顔を上げて、窓辺のコウ(猫)用のベッドを指差す。

「今からの時間はそこで昼寝すると気持ちいいよ」

そう言うと、コウは昨日から読み始めた小説に手を伸ばした。
長い脚が邪魔だと言わんばかりにやや乱暴に足を組み、一定の間隔でページを捲っていく。
ローが本を読むのはいつもの事なので、その姿には彼の目から見てもあまり違和感はなかった。
…読んでいる本がファンタジーの小説であると言う事を除けば。
ふっとその姿から視線を外し、コウが示したベッドへと歩み寄る。
人間の視線の時は狭いと思っていたそこは、猫にはちょうど良いスペースだった。
日当たりも抜群で、想像していたよりも遥かに良い空間だ。
自然と眠気に誘われ、瞼が重くなっていく。
最後に見たのは、こちらを見ながら小さく笑った自分自身だった。







何が原因だったのか、次に目が覚めた時には、元の姿に戻っていた。
お互い、何かを確認するわけでもなく、自分自身の中で「夢だったんだろう」と肩を付ける。
幸いな事に敵の襲撃はなかったし、仲間が飛び込んできて大混乱と言う事態にもならなかった。

「…ローさん、くすぐったいんだけど」

コウを膝の上に乗せたローが、黒猫の彼女の手を取り、ふにふにと肉球を触っていた。
肉球を押せば、指先から鋭い爪が顔を覗かせる。
改めて見ると、彼女の爪はかなり鋭く尖っていた。

「…ローさん?」
「何でもない」

コウの手を離し、代わりにその頭を撫でる。
彼の行動がよくわからないけれど、とりあえず気にしない事にしたらしいコウは、グルグルと喉を鳴らした。

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11.09.24