青春を謳歌する、

「ええ、まぁ…演技くらい、いくらでも付き合ってあげるけれど…こうなると思っていたのよね」

誰にも聞こえていないのをいいことに、紅はそう呟いた。
学生生活は、あくまで“人間として”見せるためのものでしかない。
紅にとっての比重はさほど大きくはないけれど、周囲に望まれれば断らないようにしていた。
と言うより、十数年生きただけの人間に頼まれる程度の事、たかが知れている。
紅にとっては、露払いをする必要すら感じないものだったと言うだけの事。
しかし―――どうやら、彼にとっては違っていたようだ。

「高橋くんが倒れたぞー!!」
「またか!?」
「これで5人目だぞ!?」

ガララ!と教室のドアを勢いよく開いたクラスメイトの言葉に、クラス中がざわめく。
5人目と言うのは、被害者の人数だ。
そしてその被害者には共通している事がある。

「また、“狐が…!”って意味の分からない事を呟いてるんだ」
「あいつら、揃いも揃って神社の稲荷に悪戯でもしたのか…?」

学校七不思議に持ち上がりそうな会話を横目に、紅は小さく溜め息を吐き出す。

「…悠希?」

肘をついた机の上、くるりと丸まったその姿は、他の者には見えない。
小さく声をかけるも、一度目は聞こえなかった事にされてしまった。

「…悠希」

しかし、もう一度その名を呼ぶと、悠希はゆるりとその首を持ち上げ、紅を見上げる。
その耳は申し訳なさそうにシュンと垂れており、聞かずとも答えがわかる様子だった。

「蔵馬の言う事を聞くのは良いけれど、あまり無関係な人間に怪我をさせては駄目よ」
「…大丈夫です。そこは蔵馬様からの命令で、手加減し…悪夢に留めています」
「…怪我よりも陰湿ね」

自分で手を下さない上に、精神攻撃とは…。
呆れたように溜め息を零し、相変わらず耳を伏せている悠希の頭を軽く撫でる。

「どうなるのかしらね、文化祭」

倒れた5人の共通点。
それは、今回の演劇の、主役―――である紅の相手役。






「あぁ、演劇か。悠希に少し働いてもらったよ」

さりげなく…と言うわけではなく、直球で尋ねると、蔵馬はあっさりと白状した。
紅が気付くとわかっていたようで、隠すつもりはなかったようだ。

「あれは台本が悪い」

彼はぐいと紅の腕を引き、二人の距離を拳一つ分まで縮める。

「この距離で見つめ合うなんて…させられるわけがないだろう?」
「あなた以外とこの距離になったって、鼓動の一つも変わらないけれど」
「紅がそうだって事はわかってるんだけどね。俺の気持ちの問題だから」

させないよ、と笑う彼に、悪びれた様子はない。
南野秀一と言う人間は、もう少し理性的で優しくて…そう言う人柄を作っていたのではなかっただろうか。

「…配役を決める時、一番に挙がった名前は誰だと思う?」
「さぁ…君のクラスの男には詳しくないから」
「あなたよ、秀一」

満場一致で紅が主役に決まり、相手役を考える段階で、一番に名前が挙がった。
もちろん、クラスの出し物に別のクラスの人間を配置するのは駄目だろう、と流れた話だ。

「へぇ…それは初耳だ」
「話していないから、そうでしょうね」
「それにしても…良い事を聞いたな」

そう言うと、蔵馬は取り出した携帯で誰かに向けてメールを打つ。
何がどうつながるのかはわからなかったけれど、特に気にする必要もないか、と視線を落とす紅。
書き始めて随分になる日誌は、あと一行で終わる。















「雪耶さん、ありがとう!!まさか実現できるなんて!夢みたい!!」

次の日の朝、教室に入るなり、誰かに手を掴まれた。
感極まった様子の彼女は、今回の演劇の台本を作成した人物である。
将来は劇作家を目指しているらしく、演劇にかける情熱は紅には少々理解できないくらい、熱い。

「…何の事か、よくわからないのだけれど」
「南野くんよ!彼に話してくれたんでしょう!?相手役が倒れて困ってるって!」
「(困っていると言った覚えはないけれど)…そうね。それで、秀一が、どうかしたの?」
「困ってるみたいだから手伝おうかって申し出てくれたのよ!」

そうきたか。
紅は思わずこめかみを押さえた。
いい加減、相手役を排除するよりも別の方法を、と考えていたのだろう。
そこに、紅が昨日の会話で助け舟を出してしまったのだ。
本人が手伝いを申し出たならば、断る理由はない。
第一、彼女は元から紅と蔵馬が共演する事を強く望んでいた。
紅と蔵馬の二人は、美男美女のカップルだと高校の中でも有名だ。
仲の良い二人は全校生徒の中でも憧れのカップルで、その二人が出るとなれば知名度も上がる。
クラスの誰一人、彼の手伝いを拒む人間はいないだろう。
と言うより、向けられる期待に満ちた視線に、心中で口元を引き攣らせた。
異常な盛り上がりを見せるクラスメイトの間を通り、自分の席へと腰を下ろす。

「…悠希…早まってしまったかしら」
「こう言う事もありますよ、佐倉様。蔵馬様がお相手ならば、きっと素晴らしいものになりましょう」
「…そうね」
「きっと、良い思い出になります。偶にはただの高校生として楽しまれては?」

ここには、九尾としてのプライドも何も、必要ないのだ。
限られた学生生活を謳歌するだけでいい。
“人間として”楽しむのも、悪くはないのかもしれない。

「…そうね。折角だから…楽しみましょうか」

穏やかな微笑みを見たクラスメイトから感嘆の息が零れていた事を、本人は知らない。














演劇は二日間の日程共に、午前と午後の2回の予定を3回へと増やす盛況ぶりだった。
文化祭が終わる頃には演じる側も、準備側も酷く疲弊していたけれど、その表情は清々しい。

「楽しんだ?」

打ち上げと称して配られたジュース缶のプルタブを押し開け、紅へと差し出す蔵馬。
その気遣いがどこか演技の延長を思わせて、小さく笑いながらもそれを受け取る紅。

「そうね。体力はある方だと思っていたけれど…予想以上に疲れているみたい。でも、楽しかったわ」
「それなら良かったよ」
「でも、蔵馬は自分のクラスの出し物は良かったの?模擬店だったんでしょう?」
「クラス全員からの是非演劇を成功させてくれって言う強い要望だったから。気にしなくていい」

模擬店は、当日の役割は店番と呼子くらいのものだ。
私が、いや俺が、と率先して代わりを申し出てくれて、ほとんどの時間を紅と共に過ごす事が出来た。

「でも…残念だったわ。お店を色々と回る自由時間がもう少し欲しかった」
「それは同感だな。まぁ、来年は考慮してもらおう」






大盛況だった演劇の台本を書いた彼女は、後に若手劇作家として世間に知れる事となる。
そのデビュー作に主演してほしいと二人を探した彼女。
しかし、残念ながら卒業後の二人の足取りを掴む事は出来なかった―――と言うのは、また別の話。

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11.09.17