変わりゆく感情と、
食卓に並んだ料理を見て、藍染は小さく驚きを表した。
「何ですか、その表情は?」
全てを並べ終えた紅は、彼の表情の意味を知りつつ、問う。
「いや…正直、少し意外だった」
「そうでしょうね。味も保証します」
「…つくづく、君は不思議な人間だ」
貴族でありながら料理も洗濯も掃除も、顔色一つ変えず、戸惑いなくこなす。
貴族の娘を娶る以上、女中を連れてくるかと思えば、彼女はその身一つで藍染の屋敷に入った。
「私は貴族とは無縁の方の所に嫁ぐと決めていましたから」
必要ないと言われた料理を初めとする家事全般は、影でこっそりと覚えた。
もちろん、家の者の中には気付いていた者もいたようだが…金を積めば、口を噤む。
「よくお父上がそれを許したものだ」
「父には後継者である兄さえいれば、他の子がどこに嫁ごうが関係ないのですよ」
家に泥を塗るような事があれば、縁を切るだけ。
冷たすぎる対応も、紅にとってはいっそ好都合だった。
「なるほど…添え物とも知らず―――結構な事だ」
「何一つ記録に残さず、竜王自らが語る歴史なのですから…無理もありません」
程よく蒸れた茶を湯呑へと注ぎ、ことりと藍染の前へと置いた。
そして、紅はにこりと微笑む。
「さぁ、冷めないうちにどうぞ」
そう言った彼女の声に従い、揃えられた箸を手に取った。
同じ隊ではない二人が幾度となく顔を合わせ、言葉を交わすのはあまりに不自然だ。
藍染が彼女を自分の隊へと招く事も考えたが、いざという時にかかる嫌疑は少ないに越した事はない。
第一、紅のお蔭で戦闘以外の執務がうまく回っている十一番隊が彼女を手放すはずがなかった。
―――私の所においで。
藍染はふと、彼女にそう告げた時の事を思い出す。
きょとんとした様子もなく、当然のように「はい」と頷き、近付いてきた彼女。
何か御用ですか?との問いかけには、柄にもなく笑ってしまった。
数ヶ月前の事を、思い出すようにして笑う。
「思い出し笑いですか?」
楽しそうですね、と呟き、藍染の隣にお盆を置く紅。
それを挟むようにして置かれた座布団に腰を下ろした彼女は、酒を準備する。
食事の後片付けと入浴を終え、あとは寝るだけと言う状況で静かな月見を楽しむのが二人の日課だ。
「そうだね。数ヶ月前の君を思い出していたんだ」
「………まさか、あの時の事ではないですよね?」
「もちろん、あの時の事だよ」
笑顔で答える彼に、紅は短く溜め息を吐き出す。
何度、こうして酒のつまみにされればいいのだろうか。
「もう。何度も話題にして、飽きませんか?」
「あと百年は楽しめると思うよ」
「そうですか…私の方はもううんざりしていますけれど」
楽しそうで結構ですね、と肩を竦めてお猪口を渡す。
受け取られたそれに適量の酒を注ぎ、徳利を置いた。
「君は飲まないのかい?」
「ええ。明日は早朝から現世の任務ですから…酒が抜けていないと困ります」
「君に限って二日酔いはないと思うけれどね」
「それでも、念には念を入れておかないと。十一番隊に来る任務は、面倒なものが多いですから」
紅の言う面倒な任務は、隊員からすれば楽しい任務である。
要するに、量、質共に楽しめる虚が相手の任務だ。
溜め息交じりの彼女に、おや、と答える彼。
「君も中々の腕前だと、隊員たちには評判だよ」
「…あの隊ではある程度の実力を見せておかないと、舐められますから」
席官になったばかりの頃のいざこざを忘れた事はない。
処理する書類の多さに白旗を上げた彼らを本当の意味で納得させたのは、やはり実力だった。
更木すら認めるそれを目の当たりにして、納得しないわけにはいかなかった。
「そう言えば、角の酒屋さんから良いお酒が入ったと聞きました。買っておきますか?」
「ああ―――いや、必要ない」
「…珍しい。要らないのですか?」
「要らないとは言っていないよ。次の非番に買いに行こう」
藍染の答えに、紅はわかりました、と頷く。
言葉の意味は理解していても、その裏に隠されている内容には気付いていない様子の彼女。
藍染は再度満たされたお猪口から酒を飲み、続ける。
「今のは誘いだったと…気付いていないようだね」
「え?」
「次の非番は私と同じ日だっただろう?偶には一緒に街を歩くのも悪くないと思ったんだが…」
どうかな?と問いかけられ、徳利が中途半端な位置で止まる。
「ああ…そう言う意味でしたか」
「ついでに、冬用に新しい着物を仕立てると良い」
「今ある物で十分ですが…?」
「…君はつくづく物欲がないね。貴族だと言う事を忘れそうだよ」
わかり切っていた予想通りの答え。
彼女はいつも、必要以上の物を与えようとしても、必要ない、の一言で片付けてしまう。
年頃の貴族の娘と言えば、季節ごとに新しい着物を仕立てては意味もなくその量を増やすのが普通だろう。
「世間的には、妻は夫からの贈り物を喜ぶものだと思うのだが…」
「…贈り物、だったんですか?」
きょとんとした様子で瞬きをする紅。
どうやら、彼女は「着物を仕立てろ」と言う言葉を、普段の買い物の類と取っていたようだ。
着物は仕立てるのが普通と言う、この辺りの感覚は、やはり貴族ならではと言えるだろう。
「私はそのつもりだったんだが?」
「惣右介さんも一緒に、選んでくれますか?」
「もちろん、そのために共に行くんだろう?」
「それなら…お願いします」
ぺこりと頭を下げ、はにかむように微笑む。
非番が楽しみだと呟く彼女の表情に裏も表もなく―――とても幸せそうだ。
「…紅」
「はい、惣右介さん」
「君は、私と一緒になって…幸せかい?」
彼女の前には、数多の可能性があった。
貴族として、相応の家に嫁ぎ、危険も何もなく平和に暮らす事も出来たはず。
藍染は自分の口から無意識に紡ぎだされた質問に、自嘲するように息を吐く。
紅の答えなど、解り切っているのに。
「あなたの目に、私はどう映っていますか?」
「そうだね…幸せそうに微笑んでいるように見えるよ」
「あなたがそう感じて、私も同じように思っているのですから…幸せなのだと思います」
躊躇いもせず、彼女は胸を張ってそう答えた。
藍染はそんな彼女の肩を抱き寄せ、その髪に口元を埋める。
「惣右介さん?」
「不思議だよ、本当に」
この結婚に、恋情など絡んでいないはずだった。
あるのは便宜上の繋がりだけ―――そう思っていたのに、この距離が心地良いと思う自分がいる。
それを否定する事は不可能なのだと、気付き始めていた。
「非番の日は、一日のんびりと外を歩こうか」
思ってもみない提案に、紅は彼の腕の中で表情を緩め、「はい」と頷いた。
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11.08.17