忙しなくも幸せな日々に、
紅たちが生きた現代とは違った子育て。
恐らく、町人の母親は自らの手で育てているのだろうけれど、城主の妻となれば子どもには乳母がつく。
基本は彼女らが様々な世話を行うのだが…そこは、紅だ。
出来る限り関わりたいと言う彼女本人の強い要望により、基本的な子育ては自分で行っている。
もちろん、軍議の間や政宗の補佐など、彼女が動かなければならない時には、子どもを乳母に預けた。
「お帰りなさいませ、紅様」
「ただいま、楓。良い子にしてた?」
「はい。大変行儀よく過ごしておりました」
部下を連れて国境の下見に向かっていた紅が城へと帰って来た。
我が子を抱いて出迎えた楓に留守の様子を聞くと、彼女は安堵したように笑みを浮かべる。
「汗を流して、政宗様にご報告してから…いいえ、報告の前に迎えに行くわ」
「承知いたしました。用意は整えておりますので」
「うん、ありがとう」
乳母の役目を果たしつつも、紅の侍女としての仕事も忘れない彼女にはどんな感謝も足りない。
だからこそ我が子を預けられるのだと、紅は心の中で胸を張る。
そして、腕に抱かれたままじっとこちらを見てくる我が子を見て「もう少し待っててね」とその頭を撫でた。
「政宗様、遅くなりました」
「いや、構わねぇ。帰ったのは聞いてたからな」
紅の声を聞き、手元から顔を上げた政宗は、彼女の腕に赤子がいる事に気付き、軽く目を見開いた。
報告の間は楓に任せてくると思ったのだろう。
その心中を察し、苦笑する紅。
「一日離れていると、どうも腕が淋しくて…。報告の最中に申し訳ありません」
「いや…将としての仕事はこなすと言ったお前に甘えてるのは俺だからな」
本来であれば、彼女には子育てに専念させてやりたい。
そうは思うけれど、世間はまだ戦国乱世。
人手が足りていない事も、彼女が優秀すぎる事も否めない事実。
奥州はまだまだ紅と言う武将を必要としていた。
「―――以上です」
「…わかった。事後処理は氷景に任せる」
「既にそのように」
小さく微笑む紅に、仕事が早いな、と口角を持ち上げる政宗。
その時、眠っていた赤子が紅の腕の中でもぞもぞと動き出した。
「ぁうー」
「あら、起きてしまったの?もう少し寝ていてもいいのに」
まだ眠いのか、瞬きを繰り返す赤子を見下ろす紅は、既に武将の顔ではない。
その横顔は母親のそれへと変化していた。
自分に向かって伸びてくる小さな手に自身の指を与え、力強く握る感触に目を細める。
まるで政宗の存在を忘れたかのように、紅の頭は我が子一色だ。
聞かなくてもわかる。
そんな彼女を見て、政宗は小さく笑った。
「紅」
「…はい?」
少し反応が遅れたのは、意識をこちらに戻すまでの時間の所為なのだろう。
パッと顔を上げた彼女の表情にはその名残が見えた。
「どうなさいました?」
「…楓に預けて来い」
「…え?」
言葉の意味を理解できなかったのかもしれない。
戸惑うように声を発した彼女は、次に傷付いたような目を見せた。
当然の事ながら、政宗に彼女を傷付ける意図があったわけではない。
彼は即座に続けた。
「―――って言ったらどうする?」
「…と言いますと?」
「最近のお前は子育て中心に回ってるからな…少し、気になっただけだ」
「………」
そう説明すると、彼女は政宗と我が子を交互に見て、沈黙する。
そして、困ったように笑った。
「確かに、この子を中心にしている事は否めません。
けれど…やっぱり私は、自分の手でこの子を育てたいと思います」
一度決めた事だからと言うだけではない。
腕に抱くこの赤子が、政宗との子どもだから。
自分と、愛する人の血を繋ぐ子だからこそ―――出来る限りの愛情を注いであげたいと思う。
彼との子どもでなければ、こんな風に愛する事は出来なかっただろう。
「そうか」
「…政宗様、私、何か…?」
そうか、と呟いた彼の横顔に影が差したように見えて、思わずそう尋ねる。
気付かせるつもりはなかったのだが、顔に出ていた事に気付き、苦笑した。
「お前がこいつにかかりきりだからな」
いつだって真っ直ぐに自分を映してきた彼女の目が、優先順位を変えた。
それはある意味では当然の事なのだが、ふとした時にあの目が懐かしくなる。
母親ではなく、妻としての彼女の表情を探す自分に気付いた時には、思わず自嘲の笑みが零れたものだ。
「政宗様…」
紅は彼の心の内を聞き、自分の行動を恥じた。
確かに、紅はこの子の母親だ。
けれど、それ以前に彼女は政宗の妻なのだ。
彼とこの子がいる日常が幸せで、彼との時間が減っている事すら、忘れてしまっていた。
それに気付いた時、紅の中でかつての日々を懐かしむ心が甦った。
紅は赤子を落とさないよう抱きながら、スッと立ち上がる。
そして、不思議そうな視線を投げてきた政宗の隣へと腰を下ろした。
「明日、何の大事もなければ…町に行きませんか?」
「ああ、そうだな。久しく行ってないか…。歩きなら、こいつも連れ―――」
そう告げる政宗の言葉を遮るように、彼の唇に指先を触れさせる。
驚いたような視線に、彼女はにこりと微笑んだ。
「二人で、参りましょう?」
「…お前はそれでいいのか?」
「この子を連れて行くのは次で構いません。時間は山ほどあるのですから」
ね?と同意を求める彼女。
そうだな、と頷くと、彼女は嬉しそうに笑った。
そして、赤子を彼へと差し出す。
危なげなく受け取り、膝の上に乗せる政宗の動作は既に手慣れたものだ。
紅は自由になった腕を、政宗のそれに絡めた。
「私は幸せです」
「…紅、俺は…」
「謝罪は不要ですよ。忙しなくも幸せな日常のお蔭で、忘れていただけ。私も、寂しいと思います」
甘えるように彼の肩に頭を預け、身を委ねる。
そっと瞼を伏せれば、かつての懐かしい日々が帰って来たと感じた。
「紅」
「…はい」
「俺も、幸せだ」
「…ええ、知っています」
明日はどんな話をしようか。
心は既に、やってくる未来への期待で溢れていた。
Request [ 七周年企画|深凪さん|子どもにヒロインとられて拗ねる筆頭の話 ]
11.07.31