でもやっぱり、大好きで、
元々、スキンシップは多くもなく少なくも…いや、少なくはないか。
事あるごとに触れているような気はしていたけれど、それにドキドキしたりしているのは自分だけだと思っていた。
彼の心が自分に向いていないと思っていたから。
彼の想いを知って、自分の想いを伝えて。
漸く、二つの矢印が向き合っているのだと実感して―――そうして浮かんだ、新たな問題。
「……………」
「……………」
部屋の中は沈黙。
けれど、その目は口ほどに饒舌に語る。
片方は困ったように冷や汗をかきつつ視線を逸らし、もう片方は睨むような視線を向ける。
後者の視線は恋人に向けるものではないと思うのだが、それは元々の目つきが原因なので仕方ない。
本人に、睨んでいる意識はないのだろう。
「何で逃げるんだ」
「だって…っ!」
勘弁してください、と心の中で訴えても、流川には伝わらない。
そう言う乙女の機微を理解できるほど、彼は敏感な人ではないから。
顔を赤くして逃げ腰になっているのだから、少しくらい引いてくれればいいと言うのが紅の意見。
漸く負い目なく手を伸ばせる関係になったのに、なぜ距離を開ける必要がある、と言うのが流川の意見。
どちらの言い分も間違ってはいないのだろう。
それなのに、彼女に味方したいと思うのは―――困りすぎて涙目になってしまっているから。
「こーら!流川!」
とりあえず、可愛い後輩のために、困った後輩を止めてあげようと思う。
「彩子先輩!」
天の助け、とばかりに飛んでくる紅。
チッと舌打ちが聞こえたのは気の所為ではないだろう。
「…邪魔ッス」
「先輩に向かって邪魔って、アンタねぇ…」
言うじゃないの、と睨み付ければ、多少は効果があったらしい。
罰が悪そうに視線を逸らす流川を放置し、背中に隠れた紅を振り向く。
耳どころか首まで赤くしている彼女に、これ以上を求めるのは酷だとなぜ気付かないのか。
「ほら、早く部誌を仕上げちゃいなさい。いつまで経っても帰れないでしょ?」
「…はい」
こくこくと頷いた紅は、広げていた部誌にペンを走らせる。
頭がいっぱいいっぱいだと思うのだが、書く事は忘れていないあたりは流石、紅と言ったところか。
やがてそちらに集中し出した紅の横顔からは赤みが引いた。
それを見届け、彩子は拗ねている流川に近付く。
「アンタね、もう少し引いてあげれないの?」
「引く?」
「押せ押せは紅に負担だって事よ。今まで通りにやれば紅だって…」
彩子の言葉に、流川は自分の行動を振り返ってみる。
10分前、1時間前、1日前。
とりあえず記憶を遡ってみるけれど。
「別に、変えてねぇ」
「………変わってないなんて、そん、な…」
そんな事ないでしょう!と言おうとしたのだが、言葉が力を失っていく。
ここ数日の彼の行動を思い出してみて、あながち間違いでもないかもしれないと思い始めたのだ。
確かに、彼の行動は変わっていない。
紅を見れば近付いて、何かのきっかけでその髪や手に触れて。
彼女が困っていれば助けるし、近付く男には容赦なく威嚇する。
屋上の昼寝の時に彼女の膝を枕にするのだって、今までも何度かしていた事だ。
彼自身は、何も変わっていなかった。
変化したのは、それを受ける側―――つまり、紅の方だ。
「………でもね、少しは気にしてあげなさい」
女避けだと思っていた意中の人が、実は自分を好いてくれていたなんて。
そんな話、漫画の中だけだと思っていた。
けれど、それは現実に紅と流川の間に起った事。
見つめられる事にすら照れてしまう彼女の心中は、察するに余りある。
「…ッス」
不本意ながらも頷くあたり、流川にも多少は思う所があるのだろう。
これなら大丈夫か、と判断し、彩子は自分の荷物を持ち上げた。
「紅、あたし帰るわね」
「あ、お疲れ様です―――って、え!?」
帰っちゃうんですか!?と途中で状況に気付いた紅が目で訴えてくる。
彩子はそんな紅に近付いた。
「紅」
「…はい」
「流川は全く変わってない。だから、アンタが慣れてあげるしかないわ」
頑張れ、と何の励みにもならないエールを残し、部室を後にした。
残された二人の微妙な空気と言ったら…察していただけるだろうか。
この一文を最後まで書き上げれば完成になる部誌を睨み付けるようにして、震える指先でそれを仕上げる。
決まっている位置に部誌を置いて、筆記用具を片付けて。
それらが全部終わってしまえば、射抜くような視線を無視することは出来なくなる。
息を吸って、吐いて。
心を落ち着かせてから、流川を振り向いた。
「…帰ろっか」
「おー」
持ち上げた荷物は、当然のように流川の手によって奪われる。
隣に並ぶいつもの距離が照れくさくて恥ずかしい。
けれど、もう少し離れたら、これはこれで落ち着かない。
もう、その距離に慣れてしまっているから。
「…ねぇ、流川?」
「ん?」
「ちゃんと、慣れるから…」
もう少しだけ、待ってね。
頬に垂らした髪が彼女の横顔を隠していて、どんな表情なのかはわからない。
けれど、髪の合間から覗く耳が赤く染まっていた。
躊躇い躊躇い、それでもゆっくりと伸びてきた手が、流川の制服の袖を握る。
求めるのも触れるのも自分からで、彼女がこうして手を伸ばすようになったのは、互いの心を知ってからだ。
「…できるだけ早く頼む」
「…うん、頑張り、マス」
袖を握る彼女の手を、バスケで大きくなった手で包み込んでしまう。
緊張するように一度震え、けれど大人しく熱に包まれたその手。
握られたその手は、自転車の間際まで離れる事はなかった。
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11.07.24