迷いなく、けれど誠実に、
人が敏感になるのは、向けられている悪意だけではない。
向けられている好意に気付いた時、自惚れだと片付けてしまえばそれまでだ。
けれど、ふとした時、自分に向けられる優しさに気付いてしまえば、それも気の所為だとは思えなくて。
いつかはこんな日が来るのだろうと、何となく感じていた。
グラウンド整備のために部活が休みの放課後、紅の日常サイクルに全く影響しないタイミングの呼び出し。
無視するのは良心が痛むし、その人柄を知っているだけに応じないと言う選択肢自体が存在しない。
そうして向かった先は、人気のない棟の一番奥、音楽室。
彼は割と優等生で通っているから、何かの事情を作って教師から鍵を借りたのだろう。
紅がそこに来た時、彼は既に音楽室にいた。
整備途中のグラウンドを見下ろし、彼女に気付くと小さく苦笑する。
この時点で、この呼び出しの理由に確信を持ち、同時に彼が自分の出す答えを理解していると悟った。
「ごめんな。困らせるってわかってるんだ」
無駄な時間など一切なく、開口一番に彼は話に入った。
「自己満足だけど、けじめをつけたくて…さ」
少しの前置きの後、彼は一度口を噤む。
それから、グラウンドに向けていた視線を紅へと向けた。
真っ直ぐな目に映る好意が、少しだけ苦しい。
「俺は雪耶が好きだよ。椎名と付き合ってるって知ってるから、困らせるだけだとしても…伝えたかった」
予想通りの言葉。
紅との未来など求めていないけれど、その心はどこまでも誠実だ。
その目から逃げることなく、彼女は唇を開く。
「ありがとうございます」
そう言うと、紅はその場で腰を折った。
その誠実な心に対して、持てるすべての感謝を。
自分本位な告白ではないからこそ、紅もまた、誠実でありたいと思うから。
「でも―――」
顔を上げた紅が続けようとした矢先、彼の視線が開けたままだった入り口を見た。
その唇が小さく、椎名、と動くのを見て、言葉を止めて振り向く。
いつから居たのかはわからないけれど、そこには確かに、翼の姿があった。
その表情は怒りでもなく悲しみでもなく、言うならば平常だ。
「俺が呼んだんだ。雪耶が好きだって、伝えたくて」
紅が何かを言うよりも先に、彼はそう言った。
何かがあるわけではないから罪悪感がないけれど、少しだけ居心地が悪い。
そうですか、と頷いた翼は、入口から真っ直ぐ二人の元へと歩いてきた。
「なぁ、椎名。俺が雪耶を譲ってくれって言ったら、どうする?」
思ってもいない事を口にする理由は何だろう。
紅は少しだけ困惑する。
そんな彼女の心中に気付いたのか、翼の視線が彼女を見た。
そして、にこりと微笑む。
安心させるように、そして愛しさを込めて。
「譲れるわけない。俺が守って行くって決めてるから」
「雪耶がそう望んだら?それに、椎名の心が変わるかもしれない」
「そんな事ないし、目移りも心変わりもさせない」
自信に満ちた目で、ほんの少し挑発的に。
翼はそう答えると、もう一度紅を見てその頭を撫でた。
でしょ?と必要のない確認を、先ほどと同じ笑顔で告げる。
慣れているはずなのに、頬に熱が集まるのはどうしようもなく好きだから。
「私、やっぱり翼が好きなんです。だから気持には応えられません」
本当は手を握りたかったけれど、先輩に遠慮して翼の袖を掴む。
けれど、そんな考えはお見通しで、動いた翼の手がすっぽりと紅のそれを包み込んだ。
どうしようもない安心感に、思わずはにかむような笑みが零れる。
「…知ってるよ。俺は、椎名の横にいる君を好きになったんだから」
高校生で、こんな風に幸せだと笑える子が、一体どれほどいるんだろう。
全力の恋愛なんてまだ早いと思っていたその考えを、一瞬で消し去ってくれた笑顔だった。
いつか、自分もこんな風に誰かを幸せにしてあげたいと。
そう思わせてくれた、この笑顔が好きなんだ。
「聞いてくれてありがとう。…俺もいつか、自分だけの人に出逢えるといいな」
「きっと会えると思います。だって優しくて素敵な先輩ですから」
迷う素振りなくそう言った紅に、ありがとう、と笑う彼。
そして、彼は再びグラウンドに視線を向けた。
彼の目には、かつて一緒になってグラウンドでサッカーボールを追いかけた日々が映っているのだろうか。
紅は翼に助けを求めるように視線を向けた。
すると、翼は紅の手を引いて廊下に続く扉へと向かう。
廊下に出たところで、静かに扉を閉ざした。
「いいのかな、もう」
「これが正解」
「…正解?」
「一人にしてやれって事」
行くよ、と歩き出す翼の手は、既に紅の手を離している。
紅は自らの意思で翼に追いつき、その隣に並んだ。
「言わなくてごめん」
「いや…先輩、紅が俺に言わないの、気付いてたんじゃない?」
「え?」
「俺を呼んだの、先輩だから」
自分があそこにいた理由を明らかにした翼に、そう、と答える。
何となく、納得できると思った。
翼ほどではないけれど、紅の性格をよくわかっていて、先回りして助けられた事も一度や二度ではないから。
「想いに応えられないのは申し訳ないけど…でも、何か…嬉しい」
純粋で誠実な想いは、自信を与えてくれる。
これからも背筋を伸ばして前に進んでいけると、そう思う。
「自信、持てるからね」
「翼もそう思うんだ?」
「まぁね」
鬱陶しいと思う好意ももちろんあるけれど。
今回のような誠実で一生懸命な告白も、中にはある。
回数が多いからこそ、そう言う告白も知っているだけに、二人の考えは一致していた。
けれど。
「…ごめん」
「何が?」
「嬉しいとか言っておいて何なんだけど…翼がそう思うの、嫌」
拗ねた表情を浮かべるも、隠そうと努力しているらしい彼女。
自分の言った事を棚に上げて、と思っているのだろう。
そんな彼女に、翼は噴き出すように笑った。
「安心しなよ。俺も、紅が嬉しいと思ってるの、すっげー気に食わないから」
頑張って機嫌直してよね。
笑いながらの言葉に、紅は「が、頑張ります」と答えた。
Request [ 七周年企画|花音さん|ヒロインが告白されている場面に翼が遭遇する話 ]
11.07.10