すれ違い、けれど想い合う
殆ど白哉本人と言葉を交わす時間の余裕もなく、準備が整っていく。
既に祝言の日を明日に控えているにも関わらず、紅の心は未だその準備を終えていなかった。
覚悟はある。
もうずっと昔から、朽木家に嫁ぐのだと言われて育ってきたから。
けれど…あの時とは状況が違っていた。
前妻、緋真との婚姻が朽木家に大きな衝撃だった事は言うまでもない。
その後に朽木家に嫁ぐ紅には、並々ならぬ期待を寄せられていた。
後妻と言う重責が紅の肩に重く圧し掛かっている。
いっそ、全てを忘れて消えてしまいたいと思った事も否定は出来ない。
けれど、それを行動に移さなかったのは―――彼女が白哉を慕っていたから。
眠る事もできず、紅は用意された部屋の縁側で一人、月を見上げていた。
あの月が傾き、朝日が昇れば明日が来る。
そうなれば、自分は白哉の元へと嫁ぐ。
親に決められた相手が彼だった事を喜んだ日が、遠く懐かしい。
あの頃は、こんな気持ちで祝言の日を迎える事になるなんて…考えた事もなかったから。
二人目として迎えられる自分を喜ぶ気にはなれない。
そこには選ばれなかったのだと言う事実があり、そしてそれは、紅の心を黒く塗りつぶしていた。
いっそ二人目としても選ばれなかった方が、惨めな思いに縋らなくて良かったのかもしれない。
望まれれば、その望みを拒む事などできはしない。
「―――紅…?」
不意に、そんな声が聞こえてビクリと肩を揺らす。
振り向いた先、縁側の向こうに見えた白哉の姿。
「まだ眠っていなかったのか」
「…明日の事に緊張してしまって…」
こうして彼と言葉を交わすのは、何日ぶりの事だろうか。
紅は先ほどまでの落ち込んだ感情に蓋をして、小さく微笑んだ。
少し躊躇った後、ゆっくりと彼女に向かって歩いてくる白哉。
肩に引っ掛けただけだった上着に袖を通した彼は、その手を紅へと伸ばした。
夜風で冷めた頬には、低い体温すらも温かい。
「夜風は身体に悪い。あまり長くあたるべきではないな」
「…そうですね」
緋真を病で亡くした所為なのだろう。
彼は時折、身体に関して過敏な反応を見せる。
彼女の存在が白哉に与えた影響の大きさを見た気がして、自然と視線が下に落ちていく。
「白哉様は…どうされたのですか?」
この方角にあるものと言えば、紅にあてがわれた部屋の奥にある蔵くらいだろう。
今の時間帯にそこに用があるとは考えにくい。
「…もし起きているならば、話がしたいと思っていた」
「そう…でしたか」
今まで何日も言葉を交わさなかったと言うのに、今日になって…と言う考えが過ぎる。
明日の祝言の事で、何か言われるのだろうか。
思わず身構えるように肩を緊張させた紅。
それに気付いた白哉が、ゆるりと首を振った。
「硬くなる事はない。お前はよくやっている」
白哉は、彼女が自分に怒られるのでは、と思い緊張したのだと誤解したようだ。
紅が恐れているのはそんな事ではないのだが、彼にはわからない。
「すまぬ」
突然の謝罪。
紅は驚いたように目を見開き、彼を見上げる。
そんな彼女の反応に気付かず、白哉は静かに言葉を繋いだ。
「次の妻には、多くの苦労をかけるとわかっていた。理解していながら、私はお前を選んだ」
ここ数日、彼女が自分と同様に忙しくしていた事を知っている。
一族の者や家の者から、様々な事を望まれている事も、知っているのだ。
彼女が肩に負う重責の全てを知りながら、白哉は彼女にそれを求めた。
「…私は、ずっと昔から…こうなるものとして育てられました。今更、皆様の期待が重いとは思いません」
流れるように口を出てくる言葉は、偽りのものだった。
自分の本心とは裏返しの、白哉を安心させるためだけの言葉。
「私は、私を選んでくれた白哉様に…そして、緋真様に恥じぬ妻になりましょう」
二度と白哉が不名誉な視線を受ける事がないように。
誰にも文句を言わせない、そんな妻になろうと決めていた。
「謝罪の言葉など…私には無用です。どうぞ、お休みください」
笑顔でそう言う紅を前に、白哉は一向にその場から立ち去ろうとはしない。
まだ何かあるのだろうか、と笑顔を消す紅。
そんな彼女の手を取り、白哉が口を開いた。
「緋真の望みもある。だが、私自身も、紅ならば…私と共にこの朽木家を支えてくれると思った」
自分の言葉がどれほどの力を持っているのか…この人は、きっとそれを知らないのだろう。
その言葉だけで、燃え盛る業火の中にすら飛び込んでいけると言うのに。
「ずっと、紅と共に朽木家を受け継いでいくと思っていた。
私の身勝手で後妻として迎えられる事になり、戸惑いを覚えただろうと思う」
「…私、は…」
喉に何かが痞えているかのように、言葉が途切れる。
そんな紅の前で、白哉が膝を付いた。
「お前には苦労をかけるだろう。だが、私と共に朽木家を支えて欲しい」
もう、十分だった。
それ以上何を望む必要があるだろうか。
愛して欲しいなんて、欲深い事は望まない。
他の誰でもなく、自分を選んでくれただけで、十分だ。
「あなたが私を選んでくれたのならば…喜んで」
想いに蓋をして、彼の妻になろう。
何を望む事もなく、望まれる妻に。
人が聞けば間違っていると言うかもしれない。
けれど少なくとも、紅はそれを間違っているとは思わなかった。
そうして長く彼と添い遂げ、そしていつの日か…心から笑える日が来ればいいと、そう思ったから。
「紅、何をしている?」
「ルキアと一緒に向日葵に水をあげていました。今年も元気に花をつけていますよ」
「向日葵…あの向日葵か」
「はい。夜一様の向日葵です。白哉様にはあまり良い思い出はないかもしれませんが…花に罪はありませんから」
「奴の向日葵ではない。人の庭に勝手に植えて行った向日葵だ」
「風情がなくなると激怒していらっしゃいましたね、白哉様」
「…昔の話だ」
「ええ、本当に…遠い昔の話です」
「…紅、客から茶菓子を貰った」
「では、お茶にいたしましょう。ルキアを呼んでまいります」
「…拒まぬか?」
「ルキアですか?白哉様からのお誘いであれば喜んで来ますよ」
「………あれは私の前では緊張するようだ」
「それも昔の話です。今は…打ち解けようと努力中なのですから、少しくらいは許してあげてください」
「…わかっている」
「私もご一緒いたしますから…大丈夫です、白哉様」
「そうだな。…頼りにしている」
「!…はいっ」
Request [ 六周年企画|香様|結婚式前日、もしくは当日の切ない話。 ]
10.07.03