記憶が欠けても君は
「ごめん、紅!!大丈夫!?」
頭に鈍痛。
目を開けば心配そうな悠希の顔が視界に入った。
何が大丈夫なのか―――わからなかったけれど、何となくこの鈍痛の原因が彼女であると悟る。
「…ん、平気、だけど…」
紅の声が萎んでいく。
やっぱり大丈夫じゃないの!?と焦る悠希から視線を逸らし、きょろきょろと周囲を見回した。
「…ここ、どこ?」
「………は?どこって…米沢城に決まってるじゃない」
何を今更、と言う言葉は続かなかった。
目の前で、城?と怪訝そうな表情で首を傾げる紅がいたから。
まさか…と頬を引きつらせる悠希。
「自分が着物を着ている意味も…」
「…わからないわね。悠希の格好も。でも似合ってるわ」
小さく微笑まれた所で、悠希の心は晴れない。
寧ろ、変わらない笑顔を見てより一層心が痛んだ。
「とりあえず、筆頭…!」
「?」
「待ってて―――じゃなくて、一緒に来て!!」
待てと言ったり来いと言ったり。
今日の悠希はどこかおかしいと思いながらも、紅は彼女の言葉に従った。
自分が見知らぬ環境に放り込まれていることを理解しているのだ。
「記憶喪失…?」
とりあえず縁側に紅を残し、悠希は一人で政宗に事情を話した。
詳しい事はわからないけれど、恐らく間違いない。
こくこくと頷く悠希に、政宗は暫し沈黙した。
「とりあえず、連れて来いよ」
「う、うん…」
予想以上に冷静な政宗に、悠希の方が困惑する。
とりあえず頷いた彼女は、紅を呼びに行くために立ち上がった。
「…政宗様、どうなさるおつもりで?紅様の記憶を取り戻す事に心当たりでも…?」
「あるわけねぇだろ、んなもん」
控えめな小十郎からの問いかけにあっさりとそう返した。
政宗の行動はその返事とは一致しない。
疑問符を浮かべた小十郎に、政宗はちらりと視線を投げる。
「…まぁ、紅を見てみない事には何とも言えねぇな」
「はぁ…」
「ほら、紅」
襖の向こうから声が近付いてくる。
小十郎は政宗の傍を離れ、少し距離を置いた位置に腰を下ろした。
失礼します、と言う珍しい悠希の丁寧な言葉に短く返事を返す政宗。
悠希に腕を引かれて部屋に入ってきた紅は、いつもと何ら変わりはない。
ただ、戸惑うように周囲を見回す様子が、出会ったばかりの頃の紅を思い出させた。
彼女の懐かしい姿に、小さく笑う。
「悠希、あの…」
「…うん。あのね、この人は―――」
「紅」
説明を求める紅。
躊躇いながらも、事実を話そうとする悠希。
そんな彼女の言葉を遮った政宗は、短く紅の名を呼んだ。
ピクリと肩を揺らし、ゆっくりと政宗を見つめる紅。
「来い」
やはり短い言葉で彼女を呼ぶ政宗。
思わず口を挟もうとした悠希よりも先に、紅が動いた。
彼女は早くはない足取りで彼の傍へと歩み寄る。
何も言わなかったけれど、その目はずっと政宗を映している。
まるで夢の中を歩くような足取りで近付いた彼女に、彼の手が伸びた。
政宗の手が無言で紅の頬を撫で、髪を耳元に掻き揚げる。
その間も一切言葉を交わさない二人だが、彼らを包む空気は口を挟む隙のないものだった。
やがて、満足げに微笑んだ政宗が手を引く。
「小十郎、行くぞ」
部屋の隅で控えていた小十郎に声をかけると、彼を連れ立って部屋を出て行った。
退室する直前に、悠希に「後は任せる」と言い残して。
「政宗様、よろしいので?」
「あいつはすぐに思い出す。何も変わってねぇじゃねぇか」
頬に触れた時の紅の表情を思い出して、くくっと喉を鳴らす。
嬉しいと言う感情が見えるのに、それを素直に表現しない初々しさが懐かしかった。
今の彼女は触れれば幸せだと微笑む。
もちろんそんな彼女を愛しいと思うけれど…久々の初々しさも、悪くはなかった。
残され、ついでに任されてしまった悠希は、ぽかんとした表情で二人を見送る。
とりあえず、ともう一人残された紅を振り向いた悠希は、呆気に取られたように言葉を失った。
その場に佇んでいた彼女は、頬を真っ赤にして口元を押さえている。
「えっと………紅?」
「…悠希…」
「な、何でしょうか」
「私、あの人を知ってる」
そりゃあね、とは言えない。
やはり頬は赤かったけれど、それでも真剣な表情で彼らが出て行った方を見つめる紅に気付いたからだ。
「わからないけど…でも、知ってるわ」
そう呟いた紅は、自分の感情を素直に受け入れていた。
目が合った瞬間に何かが動き出して、触れられた瞬間に全てを奪われたような感覚。
言うならば身体が、彼を覚えていた。
「………あんたって子は…」
「悠希?」
「…心で恋してるんじゃなくて、全てで愛してるのね」
もはや、苦笑しかない。
記憶と言う心を失っても、身体が政宗を忘れていない。
目に映せば世界が色付き、触れられれば嬉しいと感じる。
政宗に対して感情が動く事は、紅にとっては呼吸にも等しい事なのだろう。
心配して損をしたと言うわけではないけれど…正直、ほっとした。
「記憶がなくても紅は紅だわ」
「何それ?…所で、記憶がないってどういう事?」
今更ながらその質問が飛び出すと、悠希は所在無く視線を逸らす。
しかし、やがて諦めたように肩を落とし、それからパンッと両手を合わせた。
「ごめん!私が本物の薙刀に興奮して部屋の中で振り回して…あんたの後頭部を思いっきり」
「……………道理でこの辺りが痛いし軽く瘤になってるわけね」
呆れた様子で溜め息を吐きながら、自身の後頭部を撫でる。
さぞかし強く打ち付けてくれたのだろう。
柄の方だったからなのか、悠希だから油断したのか。
真相は闇の中だ。
「でも良かったー!!あんたが筆頭にとんでもない態度だったらどうしようかと…!!」
「ちょっ、悠希危な―――っ」
勢いを殺さず抱きついてきた悠希。
咄嗟に彼女を受け止めたまでは良かったのだが、何となく慣れない身体では上手くいかない。
ずるっと足元が滑って、そして。
「え、ちょ……わーっ!!!ごめん、紅!!!」
「…目が覚めたか?」
「………頭が痛いです」
「そりゃそうだろうな。一日に同じ場所を二度も打てば誰でもそうなる」
「一日に二度………痛っ…」
「ほら、無理すんな。大人しく寝てろよ。苦しくないならうつ伏せにしてろ。冷やしておいた方がいいだろ」
「あ、ありがとうございます。…なんで私、こんな事に…?」
「………紅」
「はい?」
「…紅」
「?はい、政宗様」
「…初々しいお前も悪くはねぇが…今のお前が一番だな」
「…?」
「気にするな。ほら、氷を乗せるから動くなよ」
Request [ 六周年企画|アリア様|記憶喪失 ]
10.07.02