微睡みの時間の中で

外で天候を見ていたローの視界の端に黒い何かが映りこんだ。
それが動いたわけではなく、彼の視線が自然とそれを捕らえただけ。
顔ごとそちらを向いて見てみれば、宿屋の庭の木の下に、何か黒いもの。
見覚えのあるそれに、彼の足がそちらへと動き出す。

「どこでも寝てるな、こいつは…」

呆れたように吐き出される溜め息。
しかし、その声は優しさを含んでいる。
生い茂る葉の隙間からの木漏れ日が、艶やかな黒い毛並みに降り注いでいた。
ローの呟きを拾ったのか、大きな耳がピクンと動く。
もぞりと前脚を伸ばしてから、彼女の目がゆっくりと開かれた。

「………ローさん?」

口の中だけでその名を紡いだ彼女は、のんびりと身体を起こす。
ぐぐっと寝起きで強張った身体を伸ばし、きょろ、と周囲を見回した。
そして、周囲に人影がない事を知ると、その場で人間の姿へと戻る。
腕を空に向けて伸びをした彼女は、まだ眠そうに欠伸をした。
猫から人の姿に戻っても、彼女はやはり猫のようだ。

「あまり無防備に寝るなよ」
「…駄目?」

眩しそうに目を細め、小首を傾げるコウ。
きょとんとした大きな目が、やはり無防備に、そして純粋にローを見上げる。
負けた。
何かの勝負と言うわけではないけれど、負けたと思った。

「…好きにしろ。だが、寝る時は一言言ってからにしろ」
「…わかった」

そう頷いた彼女が、指を真っ直ぐ揃えて空へと向ける。
何がしたいのかわからなかったローが黙っていると、はい、と彼女が声を上げた。
どうやら、その不可解な行動は挙手だったらしい。

「何だ?」
「お昼寝がしたいです!」

笑顔でそう告げる彼女は、ただただ子供のようだ。
しかし、それはあくまで精神的な素直さを指す言葉であり、彼女の精神年齢は子供ではない。
寧ろ、どことなく大人びているところもある。

「そうか」
「…それだけ?」
「すればいいだろ?」

ここにいてやるよ、と彼女の隣に腰を下ろす。
木の幹へと背中を預ければ、丁度良く顔が木陰に入り込んだ。
風も心地良いし、中々のベストスポットだ。
コウが寝てしまうのも無理はないな、と笑い、彼女を見る。

「…何だ、不満か?」
「………」

聞くまでもない。
顔にありありと不満だと書いてあるのだから。
スッと視線を逸らした彼女は、ローから向けられる視線に気付いている。
粘り、粘り…耐えられなくなった彼女は、また猫の姿に戻ってしまった。
そして、問答無用でローの膝の上に乗り、柔らかい身体を丸くする。

「…そこで寝る気か」

返事は、ない。
流石に眠ってしまったという事はないだろうけれど、答えるつもりはないらしい。
ローは小さく笑い、その手で彼女の背中を撫でる。
撫でては戻り、撫でては戻り。
やがて、コウの身体から力が抜け、彼女が眠りに落ちたのだと気付く。
それからも、ローは手の動きを止めなかった。










心地良さに思わず身体を伸ばして眠った。
ふと触れたぬくもりに頭が起きる。
まだ眠りたいという瞼をゆっくりと押し開けば、そこに見えたのはローの顔。
しかも近い。

思わずぶわりと毛を逆立てて驚くコウ。
本人からすれば、叫ばなかっただけでも良しとしたいところだ。
どきどきと逸る胸を宥めつつ、改めて状況を確認する。
彼の膝の上で無理やり眠ったところまでは覚えている。
しかし、その後何がどうなってこの状況なのか。
今の彼女は、ローの膝の上にいない。
彼女の身体は短い芝生の上にあり、先ほどまで頭を置いていた位置にはローの腕。
いつの間にか横になったらしい彼は、コウが起きてからも変わらず目を閉じている。

「…寝てる…?」

もしそうだとすると、とても貴重な状況だ。
コウが寝ているのは日常茶飯事、寧ろ昼寝を一度もしていないと体調を心配する。
けれど、ローはその目元を見てもわかるように、人よりかなり睡眠欲が乏しい。

医学書を読んで徹夜なんて普通で、コウが来る前は三日に一度くらいしか寝ていなかったと言う。
絶対駄目!と強く訴えたお蔭で、一日最低二時間は寝てくれるようになった。
それでも、こんな風に転寝する姿を見る事は少なく、ないと言っても過言ではない。

「うわ、貴重だ」

やはり、寝ているようだ。
コウは嬉しそうに笑顔を浮かべ、暫くその寝顔を楽しんだ。
先ほど、コウが拗ねていたのはローが彼女の思いをわかってくれなかったから。
言葉にしていないのだから無理はないのだけれど、それでもわかって欲しいのが人と言うもの。
コウは昼寝がしたかったわけではない。
もちろんしたくなかったわけではないけれど。
彼女は、ローと一緒に昼寝がしたいと訴えたのだ。
図らずもその希望が果たされているらしい状況に、彼女はニコニコと笑顔を浮かべた。


しかし、やはり人が寝ているのを見ていると眠たくなってくるのか、彼女は数回瞬きをする。
そして、少しだけ悩んでから猫から人へと戻り、ころんと彼の横に転がった。
起こしてしまうかな、と思いつつ、投げ出された腕を枕に借りる。
寝心地は本物の枕には劣る。
けれど、心があたたかくなった。
起こしてしまわないよう、必死に喜びの感情を抑えこむコウ。
やがて、彼女は眠気に身を任せて瞼を閉じる。
彼女が眠りに落ちるのは、ほんの数秒後の事。

「………」

寝息が聞こえてくると、ローは無言で目を開いた。
その目に寝惚けた様子はなく、今起きたばかりではない事がわかる。
しかし、始めから狸寝入りだったわけではない。
コウが起きる数秒前までは眠っていたのだ。
そこからは彼女の反応を楽しむために狸寝入りをしていた。
まさか、自分の腕枕で再び寝るとは思わなかったけれど。

「………ったく…」

彼女が何を考えているのか、わかっていた。
惚けたわけではないけれど、言葉に出して伝えられていないから知らない振りをしただけ。
彼女が寝てから自分が横になって転寝をしたのも、昼下がりの日差しが気持ち良かったからだ。
色々な要素があった、と言っても、やはり彼女の希望を叶えようとした気持ちがある事も否めない事実。
人の腕を枕にして気持ち良さそうに眠る彼女の頬を撫でる。
コウが、小さく微笑んだ。




「おい、あれ…」
「ええー…あれってキャプテン?」
「…たぶん?」
「隣は当然コウだよね」
「つーか、あいつ以外にありえないだろ。船長が人の隣で寝るなんて」
「こんな所で寝るのもありえないよなー…さすが、コウ」
「コウマジック?」
「あぁ、確かに」
「…俺、さっき海軍を見つけちまったんだけど」
「………相手は一人か?」
「一人だ。見回りっぽかった」
「仕方ない…俺たちで片付けておくか。どの道、今夜出航だからな」
「あいさー」

Request [ 六周年企画|美桜様|一緒にお昼寝 ]
10.07.01