命の重みを抱いて
世の中にこれほどに愛しいと思えるものがあるなんて、知らなかった。
政宗に対する愛情とはまた違う。
自分の全てで愛し、守りたいと思う気持ち。
腕に抱いた重さがそのまま命の重さなのだと自覚する。
生まれてくれてありがとう―――こみ上げる感情を、どう言葉にすればいいのか。
紅は何も言わず、ただ我が子を優しく、けれど強く抱き締めた。
「調子はどうだ?」
「政宗様」
近付いてくる気配に気付いていなかったわけではない。
声をかけられるのを待っていた、と言うのが正しいだろうか。
部屋着から着替える事もなく一日を過ごすなんて、寝込んだ時以来だと思った。
着物のあわせだけを調えてから振り向けば、優しく自分を見下ろす政宗と視線が絡む。
「顔を合わせる度にそれですね」
「…そうだったか?」
「ええ。そうですね…特に気になる所はありません。
あまり動いていませんから、体力は落ちてしまっているでしょうけれど」
一度落ちた体力は、取り戻すのに時間がかかる。
それがわかっているだけに困ったような表情を浮かべる紅。
しかし、彼女の空気はそうは思っていないようだ。
「…寝てるのか?」
紅の隣に近付いた政宗は、その腕の中の赤子を見下ろして静かに問いかける。
はい、と答え、彼女は赤子を起こさないよう身動ぎした。
母親一週間目では、まだまだ慣れない事が多い。
随分長い間膝の上で抱いていた為に、身体が強張ってきていた。
「起きるか?」
「いえ…先ほど眠ったばかりですから、まだ起きないかと」
「じゃあ、貸せ」
肩膝をついた状態で話をしていた政宗が、どかりと腰を下ろして手を伸ばす。
首元に気をつけながらそっと赤子を彼の腕に預けた。
繊細な動きではなかったけれど、その中に確かな優しさを含む行動。
思わず新たな笑みがこぼれ、紅は政宗の肩にことんと頭を預けた。
久し振りに動かした足が気持ち良い。
「よく寝てるな」
「そうですね。夜もこれくらいだと嬉しいんですけれど…」
「眠れないなら乳母に預けろよ。まだ体力は戻ってないんだろ?」
「嫌、です。やむを得ない事はあると思いますけれど…出来るだけ、自分で育てると決めましたから」
生まれる前からそう言っていた事は覚えている。
一週間で顔色は良くなったようだが、それでも多少疲れが見えるのは否めない。
本当ならば体調を整えることを優先して欲しいと思うのだが、彼女の意見も理解できないわけではない。
自分の限界はわかっているだろうからと、好きにさせようと思っていた。
「無理はするなよ」
「ええ。大丈夫です」
紅がそう答えたところで、腕の中の赤子に変化があった。
ごそごそと動いたかと思えば、いきなり大きな声で泣き出してしまう。
大音量の泣き声に、狼狽する政宗が少しだけ面白かった。
どんな奇襲も、彼をこんな風に困らせる事なんて出来ない。
それなのに、泣き声一つで狼狽させてしまう赤子の力は偉大だと思う。
紅はクスリと笑ってから手を伸ばし、政宗から赤子を受け取った。
そのまま立ち上がり、ゆっくりと部屋の中を歩く。
「ほら、どうしたの?」
かける声はこの上なく優しく、慈しみが篭っていた。
声の限り泣き叫んでいた赤子が、次第に落ち着きを取り戻してくる。
空腹ではないだろうし、排泄の不快感を訴えているわけでもない。
何かが不安だったのだろうけれど、抱き上げられて優しく揺られているうちに再び眠っていったようだ。
「…流石だな」
「私はこの子が凄いと思いますよ。先ほどの政宗様の表情…初めて見ました」
思い出して小さく笑った彼女に、政宗は頬を掻いて立ち上がる。
縁側近くをゆっくりと歩く彼女の隣に並び、赤子を見下ろした。
涙で濡れた頬を指先でなぞれば、ふっくらとしたぬくもりが伝わってくる。
「こいつが生まれてからは…初めての事ばっかりだな。今までの経験なんざ、殆ど役に立たねぇ」
「確かに、沢山“初めて”を経験させてもらえますね」
想像していたよりもずっと大変で、けれど色彩溢れる日常。
きっと、これから続く人生の中でもかけがえのない物として記憶に残るだろう。
「そう言えば、さっき氷景が帰ってきてたぜ。馬でな」
「あ、やっと帰ってきたんですね。それにしても…馬とは珍しいですね」
「馬鹿でかい土産を持ち帰ったから、後で確認しておけよ」
「馬鹿でかい…」
鸚鵡返しのように繰り返した紅に、政宗はこれくらい、と大きさを示した。
氷景が珍しく馬を使った理由は、どうやらそこにあったらしい。
それだけ大きな土産を持っていれば、凍雲には任せられないだろう。
「あいつはどこに行ってたんだ?長い留守だったな」
「確か…信濃に。きっと、土産は幸村様からのものでしょうね」
前に手紙で「生まれたら祝いの品を送る」と書いてくれていたから、間違いはないだろう。
赤子もすやすやと眠っているし、このまま荷物を見に行こうと部屋を出る。
やはり隣を歩く政宗は、時折気遣うように彼女の背に手を沿えた。
重いとは言わないけれど、命一つを抱いている彼女を気遣っているのだろう。
代わろうとしないのは、恐らく先ほどの大泣きが関係している。
政宗でも躊躇う事があるのだと、また新たな一面を見た気がした。
「お帰り、氷景」
「姫さん。ただいま帰りました。挨拶が遅れ、申し訳ありません」
「別に構わないわよ。それより…」
膝をつく氷景を立たせ、その後ろにあるものを見る。
予想よりも多い。
一体何が入っているのだろう―――そんな考えが顔に出たらしく、氷景が一つの箱の蓋を開けた。
「あら」
「あいつは…程度ってもんを知らねぇのか?」
後ろから覗き込んだ政宗が苦笑するのも無理はない。
数種類の菓子がこれでもかと詰め込まれている様子を見れば、誰でもそう思うだろう。
これには紅も苦笑を返すしかない。
「まさか全部とは言わないわよね?」
「いや、全部が菓子って事はないんだが…そっちは多少日持ちのする甘味で、こっちは野菜で…」
「…要するに?」
「全部食べ物、だな」
「………幸村様らしいと言うか何と言うか…」
「馬鹿、だな」
「政宗様。お祝いの品ですから、流石にそれはどうかと…」
「時に、姫さん。近いうちに遊びに来るらしいぞ」
「あら、どうして?何かあったかしら」
「子供を見に来るらしい」
「…初孫を喜ぶ爺か、あいつは」
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10.06.30