幸せの第一歩
「ねぇ、翼?Something Four って知ってる?」
ブライダル雑誌を開いていた紅が、視線を紙面に落としたままそう問いかけた。
「サムシング・フォー?何それ」
「ヨーロッパの方でよく言われる、結婚式の習慣よ。ほら、記事があるわ」
紅は、翼が手にしていた雑誌を置いたのを見て、自分のそれを彼に差し出す。
隣から覗き込んできた彼は、雑誌に書かれている記事を走り読みした。
「ふぅん…そんなのがあるんだ」
「まぁ、どちらかと言うと花嫁の習慣だから、男性は知らないかもしれないわね」
「この間、向こうから小包が届いていたけど、もしかしてその関連?」
「ええ。イヤリングを貰ったの」
「…そう言えば、母さんが紅に渡したい物があるって言ってたっけ。確か…ハンカチ?」
思い出そうとするけれど、適当に話を聞いていた時だったから完璧には思い出せない。
首を捻った彼を見て、紅は携帯を引き寄せた。
黙って、と彼の唇に人差し指を当てながら、携帯を耳に寄せる。
電話先はもちろん翼の家。
3分ほどの通話を終えて、彼女は嬉しそうに電話を切った。
「ハンカチを貸してくれるって。隣人だし、借り物はこれで大丈夫かな」
「なんかよくわからないけど…良かったね」
「うん」
笑顔で再び雑誌を手に取ったところで、部屋のドアがノックされる。
お待たせいたしました、と姿を見せた店員に、二人は雑誌を置いて座りなおした。
教会式の挙式を選んだ事に対する反論はなかった。
紅の両親は海外生活が長いため、寧ろ教会だと思い込んでいたし、翼の両親は本人達の意思を尊重している。
披露宴の事も考えてホテルのチャペルに決めており、その一室で準備が進んだ。
用意が整い、後は時間を待つだけになったその時。
部屋にノック音が響き、紅は鏡の前に座ったまま、はい、と返事をした。
プランナーだろうと思っていた訪問者を鏡越しに見て、彼女は目を丸くする。
「…挙式前に花嫁を見るのはウェディングタブーよ?」
「花嫁姿で心変わりする事はないから大丈夫。それって大昔の慣わしでしょ」
「へぇ、そうなの?由来はよく知らないの」
教えて?と鏡越しに彼を見る。
椅子のすぐ後ろに立った翼は、軽く肩を竦めてそのタブーの由来を教えてくれた。
「昔は親が決めた相手との結婚だったからね。
挙式前に顔を見て嫌にならないように、逃げ道を断つ意味だったんだよ。…俺もそれ以上詳しくは知らない」
「そうなんだ…それなら、現代には合わないタブーね」
クスリと微笑んだ紅。
翼は改めて鏡の中の彼女を見た。
耳元を飾るイヤリングは、彼女の母親から譲り受けたものなのだろう。
新品とは言えないけれど、かなり上等な品である事はよくわかる。
膝の上に置かれた白いハンカチは翼の母からの借り物。
受け取ったのは翼だったからよく覚えていた。
新しい物は、今はドレスで隠れている靴。
結婚式の後も使えるようにと、真っ白ではなく派手ではない装飾のものを新しく用意した。
「そう言えば、青いのは?」
「え…」
「え、って何?サムシング・フォーの一つだって言ってなかった?」
一瞬、忘れたのか?と思ったけれど、反応を見る限り違うようだ。
化粧を乗せた頬を僅かに染めて視線を逃がす紅。
どうやら、言いにくいらしい。
ぱっと見たところドレスは白で、青いものは見当たらない。
と言う事は、内側に装飾でもしてあるのか?と考えたところで、彼女の溜め息が聞こえた。
手招きをされて耳を貸せと言われ、素直に腰を折る。
部屋の中には二人しかいないのだから、誰に聞かれるわけでもないのだが。
「青は一般的にガーターや下着に使うのよ」
「…あぁ、そう言う事」
見せろと言うつもりはないし、紅も翼がそんな事を言うとは思っていない。
だが、少なくとも想像してしまう事だけは否めなくて。
「ごめん。気付かなくて」
「や、謝られるのも微妙なんだけど」
そうして、この話はもう終わりとばかりに笑う彼女。
少しあけていた距離を詰めて、紅の背後に立つ。
セットされた髪を崩さないように気をつけながら、背中から彼女を抱き締めた。
「緊張してる?」
「んー…してた、って言うべきかな。翼の顔を見たら落ち着いたわ」
「そう。部屋に行けって言ったの、玲なんだよね。紅が緊張してるからって」
翼にそう言われて、彼が来る少し前に出て行った玲を思い出す。
私に任せなさい、と言い残していった理由はこれだったのかと、今更に理解した。
「姉さんに感謝しないと」
「さっきの由来を教えてくれたのも玲だよ。ちなみに、暁斗も挙式前に花嫁を見てるらしいね」
暁斗の場合はそのタブーの話を知らなくて、その場で聞かされて驚いたらしい。
その時には玲が由来を聞かせて落ち着かせたのだとか。
そんな二人の話をしていると、緊張はどこかに消え失せていた。
「もうすぐ時間ね」
「そうだね」
「これからもよろしく―――って今言うのは変?」
「別に…いつでもいいんじゃない?」
今更だけど、と彼は笑う。
この部屋を出て、向かう先で二人の関係が変わる。
書類上は昨日の時点で変わっているけれど…今から変化するのは、心だ。
彼女ではなく、妻…家族になると言う、覚悟。
その肩書きは少しだけ重くて、けれどそれ以上に、翼の隣を得る事が幸せだと思った。
「あ、言い忘れてたけど…綺麗だよ。今までで一番綺麗…かな」
「…なぁに、その“かな”って」
「紅との記憶は多いから、一番なんて決められないんだって」
「もう…。翼も格好良いよ。フィールドの翼には敵わないけど」
クスクスと控えめに笑う彼女の顎を取って、顔を近づける。
しかし、唇を触れさせる前にピタリと動きを止めた。
「…キスしたらまずい?」
「うん、お預け」
「…ちっ」
「花婿さんが舌打ちしないの」
そう言って笑ってから、キスの変わりに彼の首元に腕を回して抱きつく。
セットが乱れるから思いっきりと言うわけには行かないけれど、熱を共有する事は出来た。
控えめなノックが聞こえて、「椎名さん」と声をかけられる。
返事をすればここ数ヶ月世話になっているプランナーが二人に笑顔を見せた。
「お時間ですよ。旦那様は別の係員が参りますから、お部屋に戻ってくださいね」
「わかった。紅、あとでね」
「うん」
もう一度控えめに紅を抱き締めてから、翼が部屋を出て行った。
熱々ですね、などと言うプランナーの言葉に、はい、とはにかむ。
「さぁ、参りましょうか。心の準備はよろしいですか?」
「…はい」
彼女の手を借りて、椅子から立ち上がる。
「やっぱ椎名達が一番乗りかー」
「予想通りって言えば予想通りだよな」
「いや、俺の予想はもっと早かった!何で二十歳まで待ったんだよー!!」
「何でそこを責められなきゃいけないわけ?」
「気にすんな。賭けに負けただけだ」
「へぇ…私達で賭けてたんだ。誰が勝ったの?」
「黒川の一人勝ちだな」
「…まぁ、納得かな」
「何がともあれ…おめでとう、雪耶―――じゃないんだっけ。椎名?紅?」
「ありがとう。どっちでもいいわよ」
「じゃあ、おめでとう、紅!!」
「人妻を呼び捨てってどうなの?」
「人妻…!なんか響きがやべぇ!」
「…紅、こっちにおいで」
「ちょ!冗談だって!!」
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10.06.28