思考を支配した衝動
ふとした時に垣間見せる表情や仕草。
こういう表現をしてしまうと、きっと顔を顰められるだろうが―――色気があって、美しいと思う。
「どうした?」
穴が開くほど見つめていた所為だろう。
スッと視線を流した彼が、そう問いかけてくる。
「いえ…申し訳ありません。不躾な視線を向けてしまって…」
邪魔をしてしまったことに対する謝罪の言葉を口にすると、白哉は視線を手元へと戻した。
彼も、何か用があるとは思っていなかったのかもしれない。
ただ、ずっと視線を向ける理由があるのかと問うただけなのだろう。
半紙の上を滑る筆。
指よりも細いそれを握る手は、女性のものと見紛うほどに美しいけれど、作りを見れば男性のものだとわかる。
無骨と表現するには程遠い。
紅も友人に手紙を出そうと思って、紙に向かっていた。
しかし、目線はいつの間にか彼の方へと引き寄せられている。
まるで、そこに引力が働いているような錯覚すら覚えていた。
無理やりに彼の姿を視界から逃がし、机へと向き直る。
途中まで書いたまま放置していた文面の続きを思い浮かべてから、筆に墨を含ませた。
体調や仕事を気遣う内容、こちら側の近況報告―――久々の手紙に書く事は、山ほどある。
次第にそちらに集中し始めたのか、紅は白哉を意識しなくなっていた。
最後の締めを終えた白哉は、静かに筆を置いた。
紅のように誰かに向けた手紙を書いていたわけではない。
ふと顔を上げると、真剣に紙に向き合っている彼女の横顔が見えた。
結い上げることなく背中に流されている髪は、首の角度によってサラリと頬に落ちてくる。
それが邪魔になるのか、時折左手の指がそれを耳に掻き揚げた。
偶に表現方法を悩んでいるのか、彼女の手が止まる。
少しだけ困ったように動いた眉。
程なくして、解決策を見つけたのか、再び筆が紙の上を滑りだした。
何気ない仕草の一つ一つから目が離せなくなる。
それを自覚したとき、白哉は紅の行動の意味を悟った。
彼女もまた、同じだったのかもしれない。
取り留めない日常の風景の一つであるはずなのに、そこにいるのが彼女だと言うこと自体が意味を持つ。
白哉は無意識に手を伸ばしていた。
「!」
集中していたからだろうか。
触れられるまで気付かなかった所為で、びくりと肩を揺らしてしまう。
驚いて顔を上げた彼女の頬に、白哉の指先が滑った。
そこに落ちてきていた髪を耳にかけるように動く彼の指。
繊細な硝子細工にでも触れるかのような優しすぎる指先に、紅は呼吸すら忘れそうだった。
「び、白哉、様…?」
未だかつて、一度でもこのような事があっただろうか。
混乱を極める紅の脳内は、必死になって過去の記憶を探っている。
何も言わず、ただ無言で自分に触れてくる彼―――意外すぎる光景は、彼女の思考を鈍足にした。
「―――伸ばしているのか?」
ふと、彼が指先で紅の髪を遊ばせながら問いかける。
それが言葉であり、問いかけであると理解した紅は、はい、と答えた。
彼と出会った頃は、確か短かったはずだ。
あの頃は死神になることに必死で、長い髪は邪魔でしかなかったのだ。
白哉と出会い、死神になって…ある程度の実力をつけてから、伸ばし始めた髪。
人とは違う、魂魄である死神は成人してからの成長速度が極めて遅い。
背中まで到達するのに、何十年と言う時間が必要だった。
「…長い髪は、気に入りませんか…?」
もしかして、と思い、そう質問する紅。
白哉はその問いかけに即答しなかった。
「いや…よく似合う」
癖のない髪が彼の指先から逃げるようにすり抜ける。
一体彼はどうしてしまったと言うのか―――そんな事を考える前に、頬に熱が集まった。
年端もいかぬ少女でもないのに、なんて反応をしてしまうのだろう。
軽い自己嫌悪と羞恥心に襲われながらも、紅はその原因を理解していた。
数の少ない彼の言葉は、少ないからこそ大きな影響力を伴っている。
滅多に触れることのない彼が自分に触れ、数少ない言葉を紡げば―――紅の反応も、致し方ないというものだ。
少しの力をこめて髪を掬い、そして指先の力を抜く。
するりと指先をすり抜けていく感覚は、何度繰り返しても飽きが来なかった。
何も言わず、ただ髪に触れて時を過ごす彼。
少しずつではあるが、緊張が解けてきた紅は、ふぅ、と短く息を吐き出した。
漸くまともな呼吸が出来るようになって来た気がする。
居心地の悪さは相変わらずだが、とりあえず呼吸まで制限される事はなくなってきたようだ。
しかし、どう反応すればいいのかわからない。
もちろんこのまま何事もなかったように手紙を書き続ける事は出来ない。
かといって、同じように彼に触れてみる―――そんな勇気など、あるはずもない。
紅にできることと言えば、少しばかり緊張の解れた体で、ただ彼が満足するのを待つだけだった。
いつの間にか筆に触れていた紙に墨が染み込み、黒い池を作り出した頃。
白哉は、何事もなかったように紅を解放した。
用具を片付けて部屋を去った白哉。
残った紅は、はぁ、と長い溜め息を吐き出した。
数か月分の緊張を使い果たしたような、達成感と倦怠感。
何とも言えない微妙な心境で、使えなくなった手紙をぐしゃりと握り潰す。
「緊張…した…」
彼に必要なのは、貴族と婚姻を結んだと言う事実。
そう思っていたからこそ、自分は彼に触れなかったし、彼が触れてこない理由も、そうなのだと思っていた。
それなのに―――
「どうして、触れてくるんですか…」
あんな風に優しく触れられれば、違うとわかっていても勘違いしてしまいそうだ。
彼の中に自分の居場所があるのだと、そう思いたくなってしまう。
結局、彼が何をしたかったのか…その心中は、紅にはわからない。
それでも、どこかほんのりと暖かい心は、気のせいではないと思った。
自分が触れたいと感じたように、彼もまた、自分に触れたいと感じてくれたのだろうか。
既にいなくなってしまった白哉を探すように顔を上げた紅。
感じてしまった僅かな期待を消すことなど、出来そうになかった。
Request [ 五周年企画|琉聖様|白哉がヒロインに触れる話 ]
09.07.06