刻まれた記憶の傷跡
四席と言う立場にある紅は、日頃から魂葬の任に付く事はない。
それよりも優先すべき事項が多いため、瀞霊廷で過ごすことが殆どなのだ。
しかし稀に、現世からの応援要請を受けて、現場へと向かうことがある。
これは、そんな場面の話だ。
霊圧を殺して気配を探りつつ、ハ、と息を吐き出す。
応援を要請してきた部下達は、既に尸魂界に帰してある。
ここに残っていても役に立たないほどに深い怪我を負っていたのだから、当然だ。
しかし―――紅を取り巻く状況は、決して良いと言えるものではなかった。
「…さて…どうすべきか」
応援と言うことで駆けつけた自分が、再び応援を呼ぶわけには行かない。
要請を受けてから状況を確認し、適しているであろう席官の自分が遣わされたのだ。
自分に対する評価を損ねること―――それは、六番隊の評価を下げることに繋がりかねない。
何より、白哉の信頼を裏切るような気がした。
たとえ、この場に報告にはなかった虚が増えていたとしても、自らの手で状況を打開せねばならない。
意識を集中させ、なけなしの感覚で虚の動きを読む。
ふと、視界の端に、不自然な動きを見た。
迷いなく抜いた刀をそこへと一閃する。
深くはないけれど、手応えはあった。
しかし―――
「―――っ」
ビッと肩の辺りの死覇装が裂け、血が舞う。
刀に手応えを感じたかと思えば、向こうからも反撃。
血が流れる肩を見つめ、小さく息を吐き出す。
気配だけではなく、姿まで消すことの出来る虚が二体。
ギリギリの所で致命傷を避ける事は出来るのだが、攻撃されてからしか動けないので傷は増えるばかりだ。
このままでは、いずれ深手を負うだろう。
応援を―――呼ぶしかないのだろうか。
どこからともなく聞こえる虚の嘲りを耳に、紅は刀を見下ろす。
諦めたくはない、けれど、己の力量を見誤るわけにも行かない。
感情と理性の間で板ばさみになる紅は、背後に迫る気配に気付かなかった。
「随分と余裕だなぁ、死神」
ゾクリと背筋が逆立つような声が、すぐ耳元で。
目を見開く紅の首筋に生暖かい息がかかる。
「破道の四『白雷』」
最も望んでいて、最も望んでいない声が、聞こえた。
同時に、肩に焼け付くような痛みが走る。
肩から飛び出した鬼道、白雷が前方へと伸び、そして消えるのが見えた。
劈くような悲鳴は、虚のものだろう―――そんな事を考えつつ、痛みに崩れ落ちる紅の身体。
ふわり、と腰を支えられ、かぎ慣れた香りが鼻先を掠めた。
「隊、長…」
「破道の六十三『雷吼炮』」
雷を帯びた爆砲が姿を消した虚を襲う。
傷が深く、姿を消し続けることが出来なくなったのだろう。
紅は、霞む視界で爆発の煙の向こうに、その姿を見た。
いつの間に刀による一撃を食らったのかはわからないけれど、その額に刃の幅の傷が出来ている。
ザァ、と虚が崩れ落ちる傍らで、白哉は視線を動かした。
「―――逃げたか…」
恐らく、もう一体の虚のことだろう。
紅には気配を感じ取ることが出来ないけれど、どうやら白哉はそれを察知していたらしい。
別の方向へと視線を投げていた白哉は、暫くして自らの手で支えている紅へと視線を向けた。
「痛むか」
「え?」
「肩の傷だ」
お叱りも何もなく、第一に発せられた言葉。
戸惑ったような声を上げる彼女に、白哉は肩の傷を示した。
虚の爪により裂かれた傷の少し内側に、後ろから前へと突き抜けた傷が出来ている。
それは、白哉が放った鬼道が虚ごと彼女を貫いた証でもあった。
「…大丈夫です」
とてもそうは見えない顔色で答える彼女。
白哉の冷静すぎる眼差しが苦しい。
全てを悟られていると知りながらも、強がることしか出来なかった。
「申し訳ありませんでした。そして…ありがとう、ございました」
たとえ、彼の鬼道による傷が痛もうと、命を救われたことに変わりはない。
生かすことを最優先に考えた結果なのだと理解していた。
「先に帰した者達は四番体で治療を受けている。大事はない」
「そう、ですか…よかった」
ほっと安堵するように肩の力を抜く紅。
少しの動きでズキズキと傷が痛むけれど、出来る限り顔に出さないよう心がけた。
「…帰るぞ」
傷を一瞥した白哉が、自ら門を開く。
珍しく先を急ぐ彼の行動に驚きながらも、紅もまた、促されるままに門をくぐった。
平気ですから、と言ったところで失血による貧血。
言っている傍から…とでも言いたげな白哉の視線が痛い。
「今のは…少し、眩暈がしただけです。もう大丈夫ですから」
暗に、腰を抱かれたまま隊舎に戻るのは嫌だと告げる彼女。
しかし、そんな彼女に向けて、冷たい声が降り注いだ。
「このまま大人しく四番隊へ向かうか、抱え上げられるか…その程度は選ぶといい」
「…」
それは、選択肢があるようでない。
沈黙した彼女に、白哉はそれを返事と受け取った。
膝裏を攫って横抱きにする事も考えたけれど、傷の場所が悪い。
それに気付いた彼は、紅が何かを言う前に、その身体をひょいと腕に乗せるように抱えた。
「白哉様!?」
驚きすぎて、仕事中であることすら頭からぶっ飛んだ。
「大人しくしていろ。傷が開く」
平然とした声が返ってきて、紅は思わず眉間を押さえた。
失血による眩暈だけではない。
仕方なくその格好で四番隊へと運ばれた紅は、一室に通されて治療を受けた。
傷が癒えても、失った血まではすぐには戻らない。
暫くは養生するようにとベッドに寝かされた彼女は、部屋の中に一人だった。
白哉は治療中にどこかに行ってしまった。
そんな彼女の耳に、どかどかと言う遠慮のない足音が聞こえてくる。
「紅さん!!」
部屋に飛び込んできた赤―――阿散井に、仕事中です、と冷静な返事を返す。
雪耶四席、と言いなおした彼は、彼女の前にやってきて安堵の溜め息を吐き出した。
「帰った奴らから事情は聞きました。…驚いたっすよ、本当に」
「ご心配をおかけしました」
「奴らの話を聞くなり、要請を受けていない隊長が現世に向かったんで大丈夫だとは思いましたけどね」
間に合ってよかった、と告げる彼に、紅は目を見開いて言葉を失う。
彼らからの報告により、正式な手順を踏んで現世にやってきたのだと思っていた。
だが、現実は違うらしい。
「恋次。余計なことを言っている暇があるなら、今回の一件を報告して来い」
聞こえた声に、二人してびくりと驚く。
入り口の所に立っていた白哉が、足音もなくベッドに近づいてきた。
そして、足を止めたところで、未だに固まっている阿散井を一睨みする。
失礼します!お大事に!!と言い残し、足早に去っていく彼。
白哉と二人で取り残された紅は、ゆっくりと彼を見上げた。
「―――傷は」
紅が何かを言う前に、白哉がそう問いかける。
そして、彼の手が首筋から見えている包帯をなぞった。
「残らないそうです。ありがとうございました。白哉様」
恐らく、彼は何よりもこの肩の傷を疎んでいる。
そうすることでしか彼女を救う事は出来なかったのだとしても、自らの手で傷をつけたことに変わりはない。
助けてくれたこと、心配してくれたこと。
たくさんの意味を含めて、心から礼を告げる。
細められた彼の眼差しがいくらかの優しさを含んだことに気付いた。
「ゆっくりと休め」
優しい手つきで頬を撫でられた紅は、感覚に身を任せるように、そっと瞼を伏せた。
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09.07.04