想い合う故の擦れ違い
「どうして許可をしてくれないのですか!?」
伊達軍が構えた本陣の中、その場には似合わぬ女性の鋭い声が響く。
何事だろうか、と兵たちが姿の見えない声の主を案じる。
「小十郎。足軽を配置しろ。夕暮れまでに仕上げろよ」
「…承知いたしました」
「政宗様!」
紅の声を無視する形で小十郎に指示を出す政宗。
先ほどから一切視線を合わせてくれない彼に、紅はぎゅっと唇を噛んだ。
背中を向けているわけではないのだから、意識して逸らさなければ視線が合わないと言う事などありえない。
小十郎を初めとする主だった将に命令を与えた政宗は、その時になって漸く紅の方を向いた。
「紅、お前は本陣で待機だ。何度も言わせるな」
「ですから、何故…!?何故、軍を動かすのです!?
私が一人で向かうならば話し合いの場を設けると、そう言っているにも拘らず!」
「しつこいぞ。話は終わりだ」
そう言い放った彼の独眼が、冷たく紅を射抜いた。
事の始まりは、数刻前。
数年間の対立に決着をつけるべく出陣した。
例に漏れることもなく紅も雪耶の兵を率いてそれに参ずる。
その時点では、二人の仲はいつも通りだった。
城が見える位置で本陣を構え、まずは話し合いを、と文を持たせて暫く待つ。
やがて戻ってきた兵が携えていたその文に記されていた内容を要約すると、こうなる。
―――紅のみが城に来ると言うならば、話し合いの場を設ける。
政宗は文の内容を聞くなり、チッと舌を打った。
一も二もなく交渉の余地なしとした彼に待ったを掛けたのは、他でもない紅自身。
実のところ、彼女はこの城主を知っていた。
顔見知りほども関係が深いわけではなく、ただ一度会ったことがあると言うだけだが。
「話し合いが上手くいくならば、それに越した事はありません。私が向かいます」
「罠に決まってるだろ」
「…罠を仕掛けるような人には思えません。行かせてください」
この辺りからだ、二人の間に緊迫した空気が流れ出したのは。
と言っても、紅は真剣に許可を求めていただけ。
いつもと違っていたのは、寧ろ政宗の方だったのかもしれない。
紅の言葉を聞いた政宗は、小十郎の手から文を奪い取り、握り潰した。
「政宗様…?」
「交渉決裂。夜明けを待って軍を動かす」
いつもと違う政宗の様子に、紅は不安げな声を上げた。
しかし、それに重ねられた言葉に、彼女を気遣う色はない。
立ち上がった彼を見送り、溜め息を吐いた紅。
今はまだ昼下がりだ。
もう暫く彼に頼んでみればいい―――この時は、その程度にしか考えていなかった。
「…姫さんと筆頭、どうしたんだ?」
見回りから帰ってきた氷景は、主のただならぬ様子に首を傾げた。
その問いかけに苦笑を返したのは状況を見守ってきた小十郎だ。
「紅様は相変わらずあの返事を信じておられ、政宗様に頼み込んでいる。政宗様は…まぁ、見たままだ」
紅自身は何故政宗がここまで頑なになっているのかがわからないのだろう。
声を荒らげつつも、時折戸惑うような表情を見せるのが、その証拠だ。
状況を見ていたからこそ政宗の心の内がわかってしまう小十郎は、そんな二人に苦笑する。
「筆頭も意地になってんなぁ、ありゃ。…俺の出番か」
「そう言う事だ。頼んだぞ」
「はいよ。姫さんの事は俺に任せな」
ピンッと三つ編みを親指で弾き、自信に溢れた表情を見せた。
おーい、と声を上げながら紅に近付いていく彼を見送って、やれやれ、と呟く小十郎。
「政宗様も、はっきりと口にすれば良いものを…頑固なお方だ」
報告があるから、と紅を政宗から引き離した氷景。
あのままあそこに置いていたならば、その空気がより重いものになっていった事は必至だ。
先ほどまでの勢いをどこへ置いてきたのか、表情に影を宿したまま離れた本陣の方を見つめる彼女。
「…氷景。私は、あの人は決して悪い人ではないと思っているの。けれど…その考えがおかしいの?」
氷景の方を見ることなく、紅がそう問いかける。
何となく、そこに意見の相違がある事は気付いていたらしい。
「…姫さん。あんたは、あの男の何を知っている?」
「…何も…知らない、と言うべきなのでしょうね」
「そう、何も知らないんだ。だけど、あんたは知ってるはずだ―――筆頭、伊達政宗という男を」
理由なく意見を弾くような人ではない。
たとえ自分の考えとはかけ離れていようと、聞く耳すら持たないような人ではないのだ。
「ただ、見た目に人の良い人間なんて、世の中には溢れてる。…人を信じすぎるなよ」
「―――わかっているのよ。意地になるような事じゃないって。けれど…政宗様は、何も言ってくれないから」
そう言う人ではないと知っているならば、ただ一言、それを教えてくれればよかったのだ。
彼の言葉ならば信じた。
しかし、政宗は何も言わなかった。
それどころか、紅の意見を全て棄却し、待機を命じたのだ。
紅にとっては、それは自分の力では足りないと言われているように思えた。
「そこは―――まぁ、筆頭も姫さんの心境を図りきれてなかったって事なんだが…。それだけでもないんだなぁ、これが」
ちらりと横に視線を向ける氷景の行動を見て、漸く気付く。
自然と、紅の表情に柔らかさが戻ってきた。
それに気付いたのか、氷景は苦笑に似た笑みを浮かべてから、紅と擦れ違うように歩く。
「後は当人同士で話し合ってくれよ。ついでに言うと、あの男はかなりの色好きだ」
じゃあな、と背中で手を振りながら去っていく氷景。
入れ替わるようにして、政宗が林の影から姿を見せた。
いつからそこにいたのか―――気付かなかった自分は、よほど考え込んでいたらしい。
「…政宗様…。…あの…申し―――」
謝罪を述べようとした紅の唇は、伸びてきた手によって塞がれた。
驚いたように目を見開く紅。
そんな彼女を見下ろす彼に、先ほどまでの厳しい雰囲気はない。
「謝るな」
そう言われ、彼の手が緩むと、でも…と呟く彼女。
彼は苦笑を浮かべ、その手で髪を掻き揚げた。
「お互い様、って奴だろ」
「……………わかりました」
「ま、このまま何もなしっつーのもやりにくいだろうからな。互いに一つ、質問するって事でどうだ」
気になるところがあるだろ、と問われ、紅はどうしても確認しておきたいことがあったと思い出す。
頷く彼女に、政宗はよし、と呟く。
「政宗様からどうぞ」
「そうか?じゃあ………お前、何であいつが悪い奴じゃないって思ってたんだ?」
「…以前、お会いしたことがあって…凄く人当たりの良い方でしたから、つい」
あの時はあんなにも声を荒らげていたことが嘘のように、すんなりと言葉が出てくる。
お互いに意地を張って、無駄に背中を向け合っていたようだ。
政宗は紅の言葉に、なるほどな、と頷く。
「お前は何が聞きたい?」
「…何故、あの人が…その……色好きだと、教えてくれなかったのですか?」
「…………………」
返ってきたのは、無言。
まさか、彼に限って言いたくないから答えないと言う事はないだろうと、その顔色を窺おうとした。
しかし、すっと顔をそらされ、その表情を見ることが叶わなくなる。
「……お前が…手放しに庇うから、だろ」
「……私…?」
視線が合わないまま紡がれた答えに、紅はきょとんとした。
自分も意地になっていて、彼も意地になっていて。
お互いに、それぞれの感情が見えていなかったのかもしれない。
蓋を開けてみれば、何の事はない。
ほんの些細なすれ違いだ。
そのことに気付いた紅は、苦笑いを浮かべた。
そして、正面に立つ彼の胸にそっと額を預ける。
「やっぱり、謝りたいです」
「…だな」
「―――ごめんなさい、政宗様」
「俺も悪かった」
背中に添えられる手の優しさに甘えるように、紅はそっと目を閉じた。
林の影から二人の様子を見守っていた小十郎と氷景は、二人して肩を竦める。
どうやら、解決したようだ。
音もなく去る二人の存在は、珍しく紅たちには気付かれなかったようである。
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09.07.02