穏やかで優しい時間

以前、スクアーロに聞かれた事がある。

―――XANXUSが恐くないのか、と。

コウは彼の言葉に小さく微笑んだ。

「恐いですよ。あの人には、そう思わせるだけの力がありますから」

そう答えた彼女に、スクアーロは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
否定するようであれば、偽善だと思っただろう。
しかし、彼女は意図も簡単にそれを肯定して見せた。

「それに…それだけではないと言う事も知っています」

普段から何かと苦労させられているスクアーロが彼女の言葉に頷くことは難しい。
だが、彼女が思ってもいないようなことを口にするような人間ではないと知っている。
奴も人の子だったのか―――その程度の感想だ。













コウとXANXUSが同じ部屋の中で過ごす事は少なくはない。
自惚れではなく、彼が彼女に気を許している事は確かだった。
しかし、だからと言って目に見えて優しくなるような人でもなければ、気を使う性格でもない。
一緒にいたとしても会話がないことなど、日常茶飯事だ。
ある意味では、会話がない空気自体が、二人にとっての会話に等しいのかもしれない。
コウが部屋を出て行こうとしないのは、彼女自身もまた、その空気を楽しんでいるからなのだろう。

「コウ」
「はい?」

本を読んでいたコウは、名前を呼ばれて顔を上げた。
六人は優に座れるクッションの良いソファーに横たわっていた彼もまた、本を読んでいる。
しかし、その片手がカラのグラスを持ち上げてカラン、と中の氷を鳴らした。
何を言わんとしているのかを察した彼女は、苦笑しながら本に栞を挟む。

「メイドになった覚えはありませんよ」

そう言いながらも、テーブルの上の水差しを手にとってグラスの中に水を注ぐ。
カラコロ、とグラスの中で氷が踊った。
満たされたグラスを口元へと運ぶ様子を眺めていたコウは、ふと本のタイトルに視線を向ける。

「ドイツ語ですね」
「あぁ」

複数の言語を自在に操ることの出来る彼にとっては、ドイツ語とて母国語と変わらない。
もちろん、それはコウにも言えることだ。
しかし―――珍しい。

「長編小説、ですか」

珍しい、と呟いた。
その場限りで読むことが多いため、XANXUSが手に取る本のタイトルは毎回違う。
長編小説を選ぶこと自体が珍しかった。

「…暇だからな」
「暇…」

コウはちらりと視線をデスクへと向けた。
部屋の隅に追いやられているそれの上には、彼が確認しなければならない書類が積まれている。
それら全てを綺麗に無視して暇と言えてしまうのが彼なのだけれど。
急かすでもなく、同じように本を読んで時間を過ごしているコウも同罪だろう。
苦笑を浮かべた彼女は、それ以上何も言わずに窓際の椅子に戻った。
彼女の椅子を置いた位置は、XANXUSからは見えないが、コウからはXANXUSの姿が見えている。
本を膝の上に載せたまま、こちらを気にすることなくページを進める彼の様子をじっと見つめた。
特に警戒した様子もなく、寧ろ自然体で寛いでいる姿に、小さく笑みを浮かべるコウ。

―――恐くないのか。

ふと、スクアーロの問いかけを思い出す。
この姿を見て、どうして恐いだけの人だと思えるだろうか。
ギリギリ見える横顔は、普段の彼しか知らない者からすると、驚くほど穏やかだ。
少なくとも同じ部屋で時間を過ごすことを許されているのだと思うと、くすぐったい優しさを感じた。
こんな事を本人に伝えようものなら、普段の強面が帰ってきてしまうだろうけれど。
XANXUSが読んでいる小説は、一昔前に有名になった長編小説だったはずだ。
ジャンルはよく覚えていないけれど、少なくとも眉間に皺を携えて読むような内容ではなかったはず。
内容に似合わない表情で、それでもページを進めている彼を見ていると、笑いが込み上げてきた。
クスクスと小さく笑い出す彼女に、XANXUSの視線が活字から離れる。

「何笑ってんだ」
「ごめんなさい。でも…そんな険しい顔で読む内容じゃないですよね、それ」

笑いながら謝っても、あまり効果は得られないだろう。
暫く目線だけを彼女に向けていたXANXUSは、溜め息と共に本を閉じた。
栞を挟む事もなく、テーブルの上にそれを放り出す。

「面白くなかったんですか?」
「ただの暇潰しだ」

評価としては、可もなく不可もなく、と言ったところか。
大きく欠伸をした彼は、今度は顔ごとコウの方を向いた。
かと思えば、彼女の足元にあったクッションを指差す。

「それを持ってこっちへ来い」
「…はいはい」

メイドではないと言いながらも、彼の命令口調に聞くことに慣れてしまっている。
甲斐甲斐しいなぁと思いつつ、クッションを拾い上げて彼のところに近付いていく。
どうぞ、と差し出したクッションではなく、腕を掴まれた時には流石のコウも驚いた。
引っ張られるままにその力に従えば、いつの間にかクッションを挟んで彼の頭が膝の上に乗っている。
位置的には、寄りかかっている、と言った方が正しいかもしれない。

「…動けません」
「2時間寝る」

どうやら、寝るから動くな、2時間経ったら起こせ、と言う意味が含まれているようだ。
もう少ししっかりと会話をしてくれるとありがたい。
しかしながら、自分もその少ない言葉数の中から、随分と理解できるようになったものだ。
初めの頃こそ失敗もあったけれど、少なくともスクアーロのような派手な仕打ちはなかった。
女と言うことを考慮してくれたのか、ただ単に機嫌が悪くなかっただけなのかはわからない。
大した怪我もなく、徐々に徐々に距離を詰め―――現在に至る。

「――――…」

さて、これから自分は2時間という時間をどう過ごそうか。
コウは天井を見上げてうーん、と悩んだ。
何もせず部屋の中を見回して過ごすには長い。
かと言って、彼を押しのけて動くという選択肢はない。
さて困った、と首を戻したところで、彼の手が動いていることに気付いた。
目を閉じたままテーブルの上を探り、目当てのものを掴んでコウの膝の上にぽんと置く。

「あら、ありがとうございます」

どうやら、先ほど自分が暇を潰していた本を貸してくれるらしい。
少しばかり内容も気になっていたことだし、時間を潰すには丁度いいだろう。
素直にそれを受け取ったコウは、ペラリと表紙を捲った。









足音が近付いてくる。
それに気付いたコウが、本から視線を外した。
一旦ドアの方を見て、そしてXANXUSを見下ろす。
眉がピクリと動いた所を見ると、足音で起きてしまったらしい。
時間を確認してみるとまだ2時間には半時間ほど足りていなかった。

―――ご愁傷様。

こんなに足音荒くこの部屋に近付いてくることが出来る人物は、そう多くはない。
中でも特徴的な足音を持つこの人物に向けて、心中で同情した。
ドアが開く直前にむくりと上体を起こしたXANXUSは、迷いなく水差しを掴む。

「XANXUS!!急の任務依ら―――い゛!!」

バーン、とドアを開けると同時に飛んできた水差しを避けるようなスキルはない。
顔面でそれをキャッチしたスクアーロは、そのまま後ろに倒れこんだ。

「あ、水差し…」

粉々になってしまったそれを見つめ、そう呟くコウ。
冷静すぎる言葉を発した彼女は、この状況に慣れ切っていた。
彼女は立ち上がったXANXUSが扉の方に歩いていくのを見送る。
バタン、とやや乱暴に閉ざされた扉の向こうで、スクアーロの声が響いていた。





後日、例の砕け散った水差しと同じものが、コウの元へと届けられた。
彼女が気に入って購入してきた物であることを知っていたらしい。
贈り主を見たコウは、新品の水差しを見て嬉しそうに微笑んでいた。

Request [ 五周年企画|milk様|2人でいる時に見せる穏やかなXANXUS ]
09.07.01