Purity
--- 純粋
流川と付き合うようになってから、一ヶ月。
引く手数多の流川は、今まで全員の交際を拒んだ。
その為に「流川はバスケ一筋で女に興味がない」と言う認識が学年のみならず学校に広がっている。
それは、紅にとってはありがたいことだった。
彼との付き合いを誰かに知られるわけでもなく、平和に過ごしている。
親しい友人にすら、付き合っていることは話さなかった。
「流川、今日も自主練?」
偶然隣の席になった流川が鞄を持ち上げたところで、紅はそう問いかけた。
彼は特別な反応を見せることもなく、あぁ、と短い一言を返してくれる。
「そっか。頑張って」
ここでこうして応援しておけば、クラスメイトから疑惑の目を向けられることもない。
彼が部活に精を出していることは周知の事実なのだから、隣の席の女子が応援したところで何も不思議ではないのだ。
ごく自然に振舞い、今日の予定だけは確認しておく。
抜かりがないと言えばそれまでだが、流川は他の女子とは違う彼女に、その扱いを悩んでいた。
彼女は一切自分の邪魔はしない。
それなのに、自分の望みも一切言ってこない。
これが、付き合っていると言うことなのだろうか。
時々そう疑問に感じるのだが、特に追及することなく今日まで過ごしてきた。
そろそろ頃合か…。
体育館までの道中、そんな事を考えていた。
お疲れー、と言って、すでに着替えた部員たちが体育館に顔を出す。
「あまり無理するなよ」
「ッス」
部長から体育館の鍵を手渡され、それを受け取りながら頷く。
お疲れ、と肩を叩いた部長は、そのまま体育館を後にした。
それを見送るわけでもなく、一人になった体育館の中でゴールと向き合う。
指先から放たれたシュートが、綺麗な弧を描いてバシュッとゴールネットを揺らした。
10本目のシュートを構えた時、がたん、と体育館の扉が動く。
そちらに視線を向けることなく放ったシュートは、フレームの上を滑ってから輪の中に落ちた。
「お見事。それから…お疲れ様」
制服を着ている紅が、体育館の中に入ってきた。
鞄を壁際に置いたところで、手に持っていたバスケットシューズを履く。
トントンとつま先を床へと打ちつけ、調子を整えた。
準備が出来たところで屈伸などの準備運動をして、ボール籠のところまで歩く。
「シュート練習続ける?」
バシュッとネットが音を立てたところで、そう声をかけた。
彼は首を振って先ほどまで立っていた位置から歩き出す。
彼が配置に付くまでの間、紅は自分の足元へとボールを弾ませた。
床に弾かれたボールが、吸い寄せられるように彼女の手元へと戻る。
それを数回繰り返したところで、雪耶、と呼ぶ声が聞こえた。
アイコンタクトで動き出す彼にあわせ、少し前方に向けて強めのパスを出す。
彼は寸分も狂うことなく手元へと渡ったボールを操り、ゴールを揺らした。
ナイッシュー、と部活でも馴染みの声を上げてから、籠からボールを取り出す。
流川の練習に付き合うこと1時間。
時刻が7時を過ぎたところで、携帯のアラームが鳴った。
「―――帰るか」
「うん。戸締りしておくから、着替えておいでよ」
いつものようにそう声をかけると、体育館の窓を閉めるために歩き出す。
悪いな、と言う声に、紅は首だけを振り向かせて、どういたしまして、と微笑んだ。
パスを出していただけの彼女は、特に着替える必要もない。
いや、着替える必要がないから、制服のままなのだ。
一度その状態でドリブルシュートをしようとしたところ、流石に流川によってとめられた。
スカートでやるものじゃない、と言った彼の表情は、何だかとても微妙なものだったのを覚えている。
彼がそんな事を気にするとは思わなくて、意外だと驚いたものだ。
最後の窓の鍵を閉めたところで、足音が近づいてくる。
少し面倒くさそうに、地面に靴底を擦り合わせたような癖のある足音。
「待たせた」
「ううん。丁度終わったし、帰ろうか」
そうして、鍵を返してから二人で並んで帰路を歩く。
一言に隣と言っても、二人の間には微妙な距離がある。
前から歩いてくる者が居たとすれば、二人の間を通るか、脇を通るかで悩むくらいの距離。
ポツポツと設置された電灯の明かりを頼りに足を進める二人の間に、これと言った特別な会話はない。
ふと紅が話し始めて、流川がそれに頷く程度。
相手を喜ばせる答えを返すわけでもない自分。
彼女は、これで満足しているのだろうか。
見返りを求めない紅に、流川の疑問は募るばかり。
「…どうしたの?」
不意に、紅が流川を見上げてそう問いかけた。
考え事をしていた彼は、その問いかけに驚いたように目を見開いてしまう。
そんな彼の反応を見た紅は、小さく笑い声を上げた。
「悪い。聞いてなかった」
「いや、別にいいけど…疲れてるなら、乗って帰ってもいいよ?」
紅は、流川が押している自転車を指してそう言う。
彼女の言葉に、流川は我慢を止めた。
「なぁ、これで満足なのか?」
「?これでって…?」
「彼女らしい扱いをしてやってねーのに、満足なのか?」
彼の問いかけに、紅は目を瞬かせた。
それから、困ったように微笑む。
「満足に見えないのかな。私は…隣を歩けるだけで十分よ」
そう答えて、流川から視線を逸らす。
前を向いてしまった彼女は、彼の表情を見ていなかった。
納得していなくて、どこか拗ねたようなその表情を。
流川は片手を自転車から離し、その手で紅の腕を引く。
グイッと強めの力で引き寄せられた紅は、彼のすぐ隣まで移動させられてしまった。
紅は驚きを隠さずに、ぱちくりと目を見開く。
「隣っつーなら、ここを―――」
彼の言葉は、彼女の反応を見ようとした所で、言葉半ばに消え失せてしまった。
その理由は―――紅が、頬どころか耳まで赤くしていたから。
「…っわ、悪いっ」
条件反射のようにパッと手を離し、謝ってしまう。
「…だ、大丈夫…。急で、驚いただけだから…」
急に引っ張られたから驚いた、などというのは言い訳に過ぎない。
流川だけではなく、紅自身もそのことはよくわかっていた。
まるでつられる様に彼も頬を赤らめ、ふいっと視線を逸らす。
不自然に視線を逸らしながらも、二人の距離はそれ以上離れない。
「(びっくりした…あんなことをするなんて思わなかった…)」
「(…こんな反応するとは思わねーだろ、普通…)」
忙しない二人の脳内を置き去りにして、静かで穏やかな時が流れる。
Request [ 四周年企画|蓮様 ]
08.07.03