Fooding
--- 餌付け
見回りという名の制裁から戻ってきた雲雀は、応接室の中を真っ直ぐに横切る。
そして、窓に背を向ける形で置かれているデスクの前の椅子に腰掛け、息をつく。
今日の獲物は骨のないものばかりだ。
もっと、咬み殺し甲斐のある奴はいないものだろうか―――そんな事を考える。
そうして足を組んだところで、雲雀はデスクの上のそれに気付いた。
応接室の広いデスクの上にちょこんと置かれた場違いも甚だしいそれ。
実に座りの良いそれが、白い長皿の上に三つ並べられている。
「あぁ、雲雀さん。お帰りなさい」
楽しかったですか?なんて、暢気に感想を聞いてくる彼女は、副委員長の片割れ。
給湯室の方から出てきた彼女は、手にお盆を持っていた。
二つの湯飲みと急須が一つ。
「楽しかったと思うの?」
「思いませんよ?一応、聞いてみただけですから」
そう言うと、紅はデスクの隅にそのお盆を置いた。
そして、急須を傾けて湯飲みにお茶を注いでいく。
緑茶なのか、澄んだ新緑色のそれが湯飲みの中で波打つ。
そして、一つを雲雀の方へと寄せた。
雲雀は視線を逸らし、クイッと顎でそれを指す。
「何、これ」
「おにぎりです」
わかりませんか?と問いかけてくる彼女に、雲雀はこれ見よがしに溜め息を吐き出した。
「見ればわかるよ」
「でしょうね。今日は調理実習だったんですよ」
「…へぇ…女子って学校で習わないとおにぎりも作れないの?」
「らしいですね。調理実習でおにぎりって言われた時には、開いた口が塞がりませんでした」
一体おにぎりの何を学習すると言うのだろうか。
炊き立ての白飯を使う時には火傷に注意?
それとも、綺麗な三角に握るコツ?
どれにせよ、学ぶと言うよりは自分で覚えても十分なものばかりだ。
家庭科教師の考えがわからない…と紅は肩を竦めた。
「もっと驚いたのは…おにぎりの作り方を聞きに来る子がいることですね」
前のホワイトボードの説明書きを読んでもわからない者に、どう説明すろというのか。
その時のことを思い出し、紅はどこか遠い目を見せた。
「…で、これが何でここにあるの?」
「何故か男子の中で取り合いになってしまったので、喧嘩を防ぐべく避難させていました」
「取り合い…?」
「…まぁ、わからなくはないですよ」
そう言って紅は溜め息を落とす。
「チョコレートやマシュマロ入りのおにぎりを食べたい人がいたら、見てみたいですよ」
「…………………」
最早、常識の範囲を超えている。
呆気に取られる雲雀、と言うものすごく貴重な光景を前に、紅は再び溜め息を一つ。
それから、三つ並んでいるうちの一つを持ち上げた。
少しの間形を見るようにそれを見下ろしてから、特に躊躇う様子もなくそれに齧り付く。
「良かったら食べませんか?と言うか、食べてください」
三つもいりませんから、と雲雀におにぎりの乗った皿を寄せる。
何か可愛らしい装飾がしてあるわけでもなく、形の良いお手本通りのおにぎりがそこに座っていた。
「紅は料理が出来るんだったね、確か」
「ええ。和洋折衷、一通りは。今更おにぎりを作らされても…逆に困りますね」
シンプルだからこそ奥が深い、と言ったらそうなのかもしれないけれど。
少なくとも、紅はおにぎりに奥の深さを感じない。
「ちなみに、今私が食べたのが中身なしの塩おにぎりだったので、残りは鮭と昆布です」
いたって普通の中身だと言うことがわかり、雲雀はのんびりとした速度でそれに手を伸ばした。
初めの頃こそ目の前で何かを食べる素振りを見せなかったが、最近では普通に口にするようになっている。
餌付けに成功した気分だな、と思ったのは紅だけの秘密だ。
無言でおにぎりを小さくしていく彼を横目に、紅は自分の分の湯飲みをもってソファーの方へと歩く。
革張りのそこに深く腰掛け、お茶が飲みたくなって途中で放り出していた作業を再開する。
―――相変わらず、風紀委員の予算はプラスも多いがマイナスも多いな…。
今月の頭に風紀委員のメンバーが破壊した体育倉庫の修理費を前に、こめかみを押さえた。
カタン、と皿を置く音が聞こえ、紅は視線を動かす。
律儀にもお盆の上に置かれた皿は空。
お粗末さまでした、と心の中で呟いてから、思い出したように彼を見た。
「どうでしたか?」
「普通に」
美味しかったとは言わないし、不味かったとも言わない。
しかし、反応からして前者であることに間違いはなさそうだ。
彼の返事を聞き、紅はそれなら、と続ける。
「他のメンバーにも持って行ってあげようかな」
今の時間帯は、恐らく校内の見回りに出ているはずだ。
交代で外に出ている者も居るだろうけれど、機を見計らえば上手く顔を合わせられるだろう。
「一体いくつ作ったの?」
「いや、それが…大量に炊いてあって、使い切れなかったので…とりあえず、残りを全部握ってきました」
一、 二…と指折り数を思い浮かべる紅。
指の往復回数からして、その数は風紀委員のメンバーに分け与えても十分だろう。
どこをどう間違えば、そんなに大量の白飯を炊くことが出来るのか。
あの教師が教員免許を取れたことが不思議でならない。
「その分だと、家庭科の成績はトップクラスだろうね」
「嫌だ、雲雀さん。たかだか中学生の家庭科でトップが取れないようでは、女性として恥ずべき事ですよ」
軽く肩を竦めながらそう言うと、紅は空になった湯飲みをお盆に置く。
雲雀の湯飲みの中身が残っていることを確認してから、それを給湯室へと運んでいった。
暫くして白い皿だけを持って帰ってきた彼女は、そのまま応接室を出て行く。
家庭科室で保管してもらっていたそれのラップを外し、その量に苦笑を浮かべた。
最早、間違いと言うレベルの話ではないな、と思う。
さて、運ぼうかと思ったところで、家庭科室のドアがガラッと音を立てた。
「あ、紅!やっと見つけた!」
「ツナ。どうかしたの?」
「どうもこうもないよ!紅のおにぎりの争奪戦が始まって…気がついたら本人が居ないじゃないか!」
「当然でしょ。私は暇じゃないもの」
呆気なくもそう答える彼女に、ツナは長い溜め息を吐き出した。
「それで、ツナは何でこんな所に居るの?」
「紅を探してくるように言われたんだよ。仲が良いからって…」
「あら、それはご愁傷様。でも残念ね」
そう言って、紅は空になった後、綺麗に洗っておいた皿を持ち上げる。
それを見れば、その中身がどうなったかなど、一目瞭然だ。
目に見えて肩を落とした彼に、紅は苦笑いを返す。
「ごめんね。雲雀さんにあげちゃったから。見つからなかったって言っておいて」
紅はそう言ってから、おにぎりの山を持って家庭科室を後にする。
廊下に出てから、あ、と呟いた。
「よく考えたら、これをあげればよかったのか」
しっかりとした重量を伝えてくるそれ。
少しくらい分けてあげても、十分に事足りるだろう。
しかし…今更戻るのもなぁ、と思い、結局そのまま歩き出した。
一方、家庭科室に残されたツナ。
紅のおにぎりを受け取れなかったことよりも、別のことにショックを隠せない。
「雲雀さんって誰かの料理を食べるんだ…」
誰かからのもらい物など、一切受け取らないような印象がある。
それだけに、彼が大人しくおにぎりを食べている光景が想像できない。
ツナが金縛りから解放されたのは、暫くしてからだった。
Request [ 四周年企画|時水無 神奈様 ]
08.07.02