The Star Festival
--- 七夕

―――そういや、七夕が近いんだったな。

少し前に兄が呟いた言葉を思い出した。

「七夕って何?」

料理をしている母親に向かって、カウンター越しにそうたずねる。
母はまな板に触れさせた状態で包丁を止め、愛娘を見た。

「七夕って言うのは、7月7日のことよ。織姫と彦星が出会える日なのよ」
「おりひめ?ひこぼし?」

疑問符を重ねる娘に、母は小さく微笑んだ。
そして、ソファーに座っている背中に声をかける。

「暁斗、紅に織姫と彦星の関係の本を出してあげて」
「ん?七夕の奴?」

サッカーの試合のビデオを見ていた彼は、それを一時停止して母を振り向く。
彼女が頷くと、リビングの隅に置かれている高さ1メートルほどの小さな本棚の前に膝を付いた。

「紅~こっち来い」

本棚の前に座り込んだ兄の元へと駆けていく紅を見送り、母は料理を再開する。
幼い妹を膝の上に乗せ、1ページ1ページ丁寧に説明している姿は、兄の鑑だ。















「ねぇ、翼」

そう声をかけてきた紅に、翼は顔を上げた。
その拍子にサッカーボールが飛んでいってしまったけれど、庭の中なのだから問題はない。

「何?」

彼女に問いかけつつ、少し前方に落ちたボールを拾いに行く。

「もうすぐ七夕なんだって。知ってた?」
「知ってたよ。7月7日でしょ?」

呆気なくも簡単に答えてしまった翼に、紅は僅かに口を尖らせた。
この年頃の子供と言えば、知った情報を誰かに伝えたくて仕方ない頃だ。
紅もその例には洩れず、昨日兄が聞かせてくれた内容を教えてあげようと思っていた。

「何膨れてんの?」
「翼、物知りで面白くない」
「暁斗に聞いたんだ?」

こう言うやり取りをしたのは、一度や二度のことではなかった。
慣れているといっても過言ではない翼は、あっさりと状況を理解した。

「うん」
「七夕って言ったら、あれでしょ?笹に短冊を吊るして…」
「…笹?短冊?」

首を傾げる紅に、翼はあれ?と思う。
どうやら、七夕は七夕でも、違うことを聞いているようだ。

「聞いてないの?」
「お兄ちゃんが話してくれたのは、天の川の話」
「天の川の話って何?」

そう問いかければ、紅の表情がパッと輝く。
あのね!と兄に聞いたことを話そうとした、その時。

「紅。翼くん。ジュースが出来たから、少し中で涼んだら?」

紅が話を始めてしまう直前に、庭に面したリビングの窓から、母親が声をかけた。
二人の視線がそちらを向く。

「話なら中でしなさいね、紅」
「はぁい。翼、いこ!」

そう言って紅が翼の手を引いてリビングの大きな窓へと向かう。
玄関に戻るよりもそこの方が近いのだ。

「ね、お母さん!翼にあの本見せてもいい?」
「いいわよ。手を洗ってからね」

そのままリビングを横切って洗面所へと翼を引っ張っていく紅。
二人を見送り、母はクスリと微笑み、リビングのテーブルの上に二人分のジュースと菓子を用意した。











二人で並んで本を覗き込んでいた。
ほほえましい光景だな、と思いつつ、一声かけてから夕食の買い物に向かう。
そんな母が帰ってきたとき、リビング内の光景は出かける前とは少し異なっていた。

「何をしているの?」

手つきよく鋏を使う翼に、そう問いかける。
彼は一旦作業の手を止めて彼女を振り向いた。

「紅が短冊を作るんだって」
「あら、笹の話をしてあげてくれたの?」
「ん」

頷く翼に、あらあら、と心中で苦笑する。
あっちの話をすると、絶対に笹を飾ると言い出すとわかっていたから、実は話さなかったのだが。

「あ、お母さん。お帰りなさい」
「ただいま。短冊を作っているの?」
「うん。お兄ちゃんが、笹を持って帰るって電話してくれたから」

ご機嫌にそう話をしてくる娘に、なるほど、と納得した。
妹が可愛くて仕方のない息子は、彼女を喜ばせる術をよくわかっている。

「良かったわね」

そう言って頭を撫でてあげれば、うん!という元気な声が返ってきた。






「ねぇ、翼は何を書くの?サッカーが上手くなりますように?」
「そんなの頼んでどうすんのさ。自分が練習すればいいだけでしょ」
「叶ったら嬉しくない?」
「自分の力で上手くなんなきゃ、意味はないよ」
「うー…じゃあ、剣道が上手くなりたいって駄目?」
「他力本願だね」

夕食の準備をしていれば、リビングの声は嫌でも耳に入ってくる。
二人の声に、母はクスクスと忍んだ笑い声を発する。

「じゃあさ、何て書くの?」
「………………………」
「………決まってないんだ」

沈黙する翼に、何となく理由を悟ったらしい。
紅はマジックを片手に、薄い桃色の短冊を見つめた。
自分で頑張ればどうにかなる願いではなく、でも叶えてほしい願いごと。
そんなの、難しくてわからない。

「難しいね」
「…大体、願い事を叶えてくれるなんて、非現実的なんだよ」

翼自身も思い浮かばないのだろう。
僅かに口を尖らせてそう呟く。
先ほどの自分の言葉の手前、自力ではどうにもならない願いごとを書かなければならないと言う義務感。
そもそも、自力ではどうにもならない願いなんて、と心中で悪態をついた。

「紅、知ってる?」
「なぁに、お母さん」
「七夕って、あまり晴れないの。時期が時期だからね…曇っていて星が見えていないことが多いのよ」

そう言ってあげると、紅は少しだけ悩むように手元を見つめる。
そして、マジックの蓋を外し、あまり整っていない字で何かを書き出した。

「出来た!」

紅が持ち上げた紙に書かれていた内容に、母は思わず微笑んだ。

―――はれてなくてもおりひめとひこぼしがあえますように。

星に天気は関係ないんだよと教えてあげるつもりはない。
ただ、優しい子に育ってくれたということが嬉しい。
横から紅の願い事を覗き込んだ翼は、はぁ、と溜め息を吐き出した。

「自分のことをお願いしないんだ?」
「うん。思いつかないから、これでいいよ」
「…じゃあ、俺もこうしとく」

そう言って紅からマジックを受け取って、薄い水色の紙に字を書き込んでいく。
彼が蓋を閉めるのと同時に、玄関のドアが開く音がして「ただいまー」という暁斗の声が聞こえた。
玄関に向かっていく二人を見送った母親は、テーブルの上に並べられた短冊を見る。
紅の願い事の隣に置かれているそれを読んで、クスリと微笑んだ。

「…本当に仲良しね」


―――紅のねがいがかないますように。

並んで吊るされた短冊が、ふわりと風に踊る。

Request [ 四周年企画|深様 ]
08.06.28