Recollection
--- 思い出

朝、小鳥のさえずりが聞こえてきて、紅はふと瞼を持ち上げる。
床を共にした政宗の姿はすでにそこにはない。
修行に出ているのだろう、と思いつつ、身体を起こした。
やや乱れた夜着を整え、障子の傍らへと歩き、それを押し開ける。
時間的にもまだ早いのか、眩しいほどの日差しではない。
少し高めの気温が、首元や腕と言った、露出している部分を包んだ。

「母上!」

上に着るための薄い着物を羽織ったところで、庭先から声が聞こえた。
そちらを向くのと同時に、腰にトンと大きくはない衝撃が走る。

「おはようございます、母上!」

元気の良い声が聞こえ、紅は穏やかに微笑んだ。

「おはよう。朝から頑張っているのね」

そう言って頭を撫でてやれば、はい!と言う元気な声が返ってきた。
その額には汗が浮かんでいて、前髪はしっとりと水気を含んでいる。
朝の鍛錬を頑張っている証拠だろう。

「ごめんね。手伝ってあげられればいいんだけど…」
「何を言ってるんですか」

ザリッと地面を踏む音がしたかと思えば、どこか呆れた様な声が聞こえてきた。
それと同時に、紅の腰辺りに抱きついていた少年が消える。
いや、消えたのではなく、ひょいと抱えあげられたのだ。

「あら、おはよう」
「おはようございます。鍛錬に付き合うなんて駄目ですよ。弟か妹に何かあったら、父上に何と言われるか」
「鍛錬程度でどうにかなるような柔な子じゃないわよ」
「駄目です」

きっぱりと切り捨てる青年に、紅は苦笑いを零した。
政宗によく似た、優しくも強い目をした青年。
そして、その腕に抱えられているまだ幼い少年。
どちらも、彼女が腹を痛めて生んだ愛息子達だ。
この二人の間にもう一人いるのだが、彼は隣村まで視察に行っている政宗に同行している。

「兄上、下ろしてください」
「ん?あぁ、そうだったな」

くいっと小さな力で着物を引かれ、彼は弟を地面へと下ろす。
まだ平衡感覚がしっかりしていないのか、少しばかり傾いたようだが、転んだりはしなかった。

「ほら、まだ鍛錬の途中だろう?父上の課題が終わっていないと、次を教えてもらえないぞ」
「はい!母上、また朝餉の時に!」
「頑張っていらっしゃい」

ひらひらと手を振って見送る。
実に素直に成長してくれていて、嬉しい限りだ。

「母上は中にお戻りください。風がお身体に障ります」
「そんなに気にしなくても大丈夫よ。予定は五ヶ月も先なんだから」
「父上に留守中の母上を頼まれていますから」

そう言って背中を押して促されてしまえば、歩かないわけには行かない。
紅は苦笑を含めた笑みを浮かべ、ゆっくり歩き出しながら彼を見た。
いつの間に草履を脱いだのかは知らないけれど、彼は部屋の中に入るまでついてくるつもりらしい。

「(それにしても…)」

そう思いつつ、彼の横顔を見る。
まだ自分よりも身長は低いけれど、成長期の彼のことだ。
すぐに追い抜いてしまうのだろう。
しかしながら、その見た目は本当に政宗と瓜二つだ。
違うことと言えば、眼帯をしていないことと、若さゆえの幼さが残っているところだろうか。
恐らく、政宗の青年時代は彼とよく似ていたのだろう、と思う。

「先ほど、小十郎から報告が届いていました」
「あら、じゃあ、もうすぐお帰りになるのね」
「はい。昼餉の頃までには城に帰るとのことです」

彼の言葉に、紅はそう、と頷いた。
その雰囲気がどこか柔らかくなっている。
いつも穏やかな空気を纏う母だが―――やはり父の帰りが嬉しいのだろう。
表情一つまでそれが感じ取れるようだった。
彼女を部屋の中まで見送り、彼は弟の元に戻るために足早に庭を歩く。












風通しの良い縁側で繕い物をしていた紅は、ふと顔を上げた。
隣で刀の手入れをしていた長男が彼女の方を向く。

「母上?」
「政宗様がお帰りになったようね」

そう答えると、丁度繕い終わった部分で玉結びを作り、残った糸をプツリと噛み切る。
突っ張ってしまっていないかどうかを確認し、綺麗な仕上がりに満足げに頷いた。
丁寧に畳んで、他のものと一緒にしておくと、紅はぐっと身体を伸ばす。
そして、それらを抱えて立ち上がったところで、向こうの方から近づいてくる軽やかな足音に気付く。

「母上、兄上!ただいま帰りました!!」

末の弟よりはいくらか大きくなった身体で抱きつかれてしまえば、体勢を崩すのも無理はない。
思わずよろけた彼女を支えたのは、そう体格の変わらない長男だ。
軽く背中を支えた後は、持っていた着物の類を受け取ってくれる。
女性には優しく、と育てた結果だろう。

「ありがとう」
「いえ。荷物を抱えている母上に飛びついたら危ないだろう?」

こら、と怒っている声ではなく、優しい声でそう諌める。
今帰ってきたばかりの弟は、ごめんなさい、と小さく告げてから素直に離れた。
そうしているうちに、二人分の足音が近づいてくる。
先ほどのように急いだ足音ではなく、ゆっくりと落ち着いたそれ。
紅は息子たちに向けていた視線を上げ、姿勢を正した。

「お帰りなさい、政宗様。視察は如何でしたか?」
「あぁ、今帰った。――――お前ら、氷景が土産を持って帰ってきてるぞ」

何かを言おうとした政宗は、それではなく別のことを告げた。
紅はそこを追求することなく、それに気付いた長男もまた、何も言わずに弟たちを引っ張って歩き出した。

「小十郎。あいつらの相手をしてやってくれ」
「はい」

短く答えた小十郎は、紅と政宗に軽く頭を下げてからその場を後にする。
息子たちを追っていくその背中が見えなくなったところで、彼女は彼に向き直った。

「あいつらに聞かせる必要のある話じゃねぇからな」
「お茶でも用意しましょうか?」
「あぁ―――いや、用意させろ」

自分から動こうとした彼女に、用意させろと言う政宗。
彼女はクスリと笑ってから、侍女を呼んでお茶の用意を頼む。
そして、二人で縁側に並べた座布団の上に腰を下ろした。

「体調はどうだ?」
「すこぶる快調です。あの子達も色々と手伝ってくれますし。暁斗の時は大変でしたけれど」
「そうか。…あいつらもでかくなったな」

ちゃんと母親を手伝う年齢に成長しているのだと思うと、何とも言えない感情がこみ上げる。
それだけの時が流れた、と言うことなのだろう。
最初に自分の子供を腕に抱いた時の感動は、今も忘れていない。
何も言えないほどに嬉しくて、言葉の代わりに涙を流した。
懐かしいな、と十年以上も前のことを思い出す。

「次は娘がいいな」
「でも、結構元気なので…また男の子かもしれませんよ?」

クスクスと笑うと、そうか、と言う声が聞こえた。

「そう言えば、元親が近々来るって言ってたな」
「あぁ、私の方も悠希から聞いていますよ。来月の半ば頃になるそうです。末の子を見せたいらしいですよ」
「あいつらも大概だな…6人か?」
「えっと…末の子で、7人目ですね」

紅の答えに肩を竦めて口笛を吹く政宗。
しかし、そこに呆れた様子はない。

「女の子だと、暁斗が可愛がるでしょうね。面倒見の良い子ですから」
「…だろうな。小十郎辺りも泣いて喜ぶかもしれねぇぜ?」

彼はそう言うと、紅の手を引いてその頬に唇を落とす。
そのまま彼の肩に凭れる様にして、彼女はそっと瞼を伏せた。
いつでも鮮明に思い出せる子育ては、楽なことばかりではなかった。
けれど、それも今となってはいい思い出。
半年足らずで出会うであろうこの子は、どんな思い出をくれるのか―――少し先の未来を思い、小さく微笑んだ。

Request [ 四周年企画|実良様 ]
08.06.27