選ぶべきもの、選びたいもの

朝、昼、夜。
虚は出現の時間帯を定めてくれたりはしない。
寝ている時でも虚の気配を感じ取れば片を付けに行かなければならない。
多少負担にはなるけれど、紅にとってはそれが当たり前だった。
だから、彼女には何の問題もなかったのだ。
ただ彼―――…一護は、そうではなかったらしい。










「ふぅ…」

目の前で崩れ落ちた虚を見送り、紅はそう溜め息を吐き出した。
斬魄刀を始解する事すらなく、事なきを得た。
最近は破面の方も徐々に活発化してきているのか、一筋縄では行かない虚も多い。

「あっちは大丈夫かな…」

どちらかと言えば強いと感じた方に自分が来たのだから、恐らく問題はないだろう。
彼ならば大丈夫。
そう思っている筈なのに、酷く心がざわめいた。
悪い予感、とでも言うのだろうか。
落ち着かない気分で霊圧を探り、彼の居場所を突き止める。
それと同時に、紅の姿は忽然とその場から消えていた。













瞬歩により移動した紅は、彼女の視力でその姿を捉える事が出来る所まで辿り着いた。
すぐ近くに移動しなかったのは、自分の登場により一護を驚かせる事があってはならないから。
彼は良くも悪くも真っ直ぐで、集中すると周りが見えなくなってしまうのだと理解している。
だからこそ、本能的に彼の注意を引いてしまうような行動を避けるのだ。
まだ戦闘が終わっていない事は霊圧の震えや目で見える状況から分かる。
一旦は離れていた二つの影が、再びその真ん中の一点でぶつかり合う。
何度かその動きを見ていた紅だが、不自然さを拭えずにいた。
その原因を探るべく、近距離での瞬歩を行なう。
恐らく、この距離ならば一護も自分の出現に気付いているだろうから。

「紅!そいつをどこかへやってくれ!!」

表情まではっきりと見て取れる位置まで移動してきた紅に、一護がそう叫んだ。
そいつ、と彼が言った者を見る。
そこには、身体を赤く濡らした少年がいた。

「っ!!」

即座に彼の傍らに膝をつき、様子を探る。
すでに虫の息と言っても過言ではない彼が目を開く様子はない。
それどころか、小さな心音にあわせて夥しい量の血が体外へと溢れ出ているのだ。
危険と言う状態を通り越している事は、誰の目に見ても明らかだった。
助けてやってくれとは言わなかった彼もまた、それを事実と認めているのに他ならない。
せめて虚に食われてしまうことだけは避けようとしているのだろう。
力ない身体を抱き上げて彼の邪魔にならない位置へと移動させるべく、周囲へと目を向ける。
その流れで彼に視線を向けてしまった事が、そもそもの間違いだったのかもしれない。
彼が漸く片をつけた虚の向こうに、その存在を見てしまった。
一護ならば対応できる―――そう考えるよりも先に、身体が動いてしまう。
次の瞬間には、一護と虚との間に身体を滑り込ませ、そして―――

「紅!?」

あぁ、失敗した。
そう思った時には、すでに身体の殆どの動きを奪われていた。
辛うじて動いた片腕に抱いていた少年を、一護へと押し付ける。

「その子を!破面をこれ以上強くさせないで!」

搾り出すように強くそう言った所で、意識が暗転し始める。
咄嗟に、唯一動かす事の出来る唇を噛んだが、あまり効果は得られなかった。
破面の能力なのかは分からないが、驚くべき速度で霊力が奪われている。
死神の生命線と言っても過言ではないそれが底をつけば、その命すら危ぶまれるのだ。

「…くっ」

思わず眉を潜めた。
この状況を脱する事は可能といえば可能。
しかし、それにはかなりの霊力を消費せねばならない。
倒す事は―――恐らくは、可能だろう。

「紅!」
「早く!!」
「………っ!くそっ!!」

紅の表情を見た一護が腕に抱える少年と彼女とを交互に見る。
最早呼吸の止まった少年の前に用意された道は二つ。
虚に食われるか、尸魂界へと送られるか。
死神として優先すべきは後者であり、そして何より、目の前で紅を捕らえている虚は破面だ。
自分の姿を見ることが出来るくらいに霊力の高い少年を、その糧とさせるわけには行かない。
一護が取るべきだったのは、紅の実力を信じて虚を彼女に任せて距離を取り、急ぎ尸魂界へと送る事。
ルキアを相棒として培われた死神としての己は、そうすべきだと叫んでいた。

「…ンな事出来るかよ!!」

自身の考えを振り払うように、彼はそう声を上げた。
意識を虚へと向けていた彼女は驚いたように顔を上げ、彼をその目に映す。
視界に映る彼はすでに少年を少し遠い所へと運んだ後で、その両手には斬魄刀が握られている。

「一護!?彼の魂魄の確保を優先して!!」

何をしているのだ、とそう声を上げた。
しかし、彼の目がそれに揺らぐ事はない。

「お前を助けてからだ」
「黙って聞いていれば馬鹿なことを…。貴様らはどちらも生き残る事など出来ん。無論、あの餓鬼も同じだ」

今まで沈黙していた破面が低く笑う。
その姿はまだ虚と呼んでも差し障りはなく、ただの虚と考えるには少しばかり面倒な能力を備えている。

「この死神の霊力は実に心地よい。濃厚で…身体の隅々まで行き届くようだ」

仮面から覗く目をニィと細め、破面はそう呟いた。
呟くと言えるほどに小さな声だったけれど、その場所にいる二人の耳へと届くには十分なそれ。
そこで初めて、一護は紅が抵抗と言う抵抗をしない理由を悟った。
しないのではなく、出来ないのだ。

「テメェ…!」

ギリ、と握り締めた斬魄刀を唸らせる。
触手のように背中から伸びた腕のいくつかが完全に彼女を捕らえ、この一瞬にもその霊力を貪っている。
考えただけで反吐が出そうだ。

「その手を離せ」
「嫌だと…そう言えば?」

愉快そうに弧を描く口元は仮面には隠れていない。
割れたそれの隙間から見えた口元は、次の瞬間には絶叫を響かせる形へとそれを変貌させていた。
紅の身体に纏わりつく圧迫感が消えたのは、それとほぼ同時。
ある意味の支えを失ったその身体は、自分が思っていた以上に重いものに感じられた。
傾ぐそれのバランスを取る事もできなかったが、空を落ちる前に腰に回された腕が新しく身体を支えてくれる。

「一、護…」
「この程度の奴に卍解を使うなんてな…」

破面の身体が目の端で崩れていく。
それはすでに二つの塊に分断されていて、すでに致命傷を受けていたのだと納得させるには十分だ。

「大丈夫か?」
「…霊力が底を尽きそうなこと以外は問題ないわ」
「それが一番問題だろうが」

苦笑を浮かべた一護は紅を支えなおすと、そのまま空を蹴る。
そして、先ほど自分が運んだ少年の元へと移動し、一旦彼女を離した。
紅はその場に腰を下ろし、そのまま一言も話す事無く魂葬を終え、空を見上げる彼を見つめる。
先ほど霊力回復措置を取っておいたから、それも徐々に回復してきているようだ。

「強くなったね、一護」

不意に、紅は小さくそう告げた。
別に届かなくても構わないと思っていたからこそ、風に攫われそうな音量で。

「ああ。でも、まだだ」
「でも、あの程度に卍解を使っていたら…破面の成体には勝てないよ」
「お前なぁ…捕まってやばかった奴の台詞じゃねぇよ、それ」

そう言って僅かに笑った一護に対し、紅は軽く肩を竦めた。
それから彼の居ない方へと姿勢を向けなおす。

「………破道の六十三、雷吼炮」

さほど大きくはない落ち着いた声がそう詠唱した。
同時に、彼女の手から強大な衝撃波が放たれる。
その進行方向にいれば、ただではすまなかっただろう。
目を見開いたまま制止する一護に、彼女はクスリと微笑んだ。

「これでも零を率いる隊長よ?霊力が底を尽きそうだと言っても…この程度は余裕」
「………そーかよ」
「うん。だから、これからは私の腕も信用して欲しいな」
「…悪かった」

勝手な事をしたな、と苦く笑う。
紅は漸く身体が動くようになったことを確認して立ち上がった。
それから、彼の前へと移動してその頬についた傷を撫でる。

「嬉しかったよ。死神としての役目よりも優先してくれた事…嬉しかった」

ありがとう。
言葉と共に向けられた笑みから逃げるように、一護は彼女から視線を逸らす。
その頬に残っていた傷が発していたピリピリとした小さな痛みが消えたのは、それと殆ど同じ頃だった。






蓋を開けてみれば、何の事はない。
さほど問題はなく済む筈だった虚の始末に、予想以上の気力と体力と…それから霊力を使ってしまった。
けれど、二人はそれを悔やんでおらず、またこれからも悔やむ事はないだろう。

「うわ…見て、一護」
「ん?」
「徹夜」

そう言って彼女が指した方向には、顔を覗かせ始めた太陽がある。
今日は平日だったな…なんて、どこか人事のように考えた。

「綺麗だね」
「…そうだな」

朝焼けが照らす彼女の横顔を眺めた一護は、彼女が隣にある事に安堵する。

強くなろう。
どちらかを優先しなければと思う必要もないほどに、強く。

まるで誓いを立てるように、そう朝日を見つめ続けた。

Request [ 三周年企画|蒲公英様 ]
07.07.03