当たり前の日常を二人で

「紅」
「…っ。は、い?」
「今日の予定は?」
「午前に…雪耶の一人が軍の調整の確認を持ってくる予定に…ぃ!?」

袴の裾を政宗の刀が通り過ぎる。
答えている途中でも攻撃の手を休めてはくれない彼に、紅は少しばかり不満げな目を向けた。
そんな彼女の視線を心地よさ気に受け止め、自身の肩へと抜き身の刀を当てて笑う彼。

「油断大敵、だろ?」
「ええ、その通りですね」
「午後はどうするつもりだ?」
「午後は軍議だと仰ったのは政宗様のはずですが?」

そう答えながら、力強く地面を蹴る。
一瞬のうちに懐に入ったところで身体を反転させ、振り上げた政宗の腕の下を縫うようにして背中に移動。
そこから斜めに斬り上げるが、刀は彼の襷の裾を2センチほど落としただけだった。

「あー…そうだったな」
「そうだったなって…戦前の大事な軍議だと…」

そう呟いて、呆れた風に溜め息を吐き出す。
彼の気まぐれは今に始まった事ではないが、自分で大事だといっていたにも拘らず「そうだったな」とは。
流石に紅も苦笑を隠せそうになかった。

「さて、と。朝稽古はこれくらいにしておくか」
「はい。ありがとうございました」
「おう。しかし…身体を動かすのにいい時期になってきたな」

そう言って彼は刀を鞘に納めながら、修練場の戸から見える空を仰ぐ。
真っ青なそこにぽっかりと白い雲が浮かぶ、「いい天気」と形容するほかはない空だ。

「散歩でもすりゃ気持ちいいだろーなぁ…」
「午前は執務が溜まっていますよ、政宗様」

彼が何を言わんとしているのか、すぐに分かった。
一応はそう言ってみるものの、彼に対してその言葉が有効かどうかは微妙な所だ。

「硬い事言うなよ。今日は気分じゃねぇんだ」
「言いますよ。気分って…」
「………そう言えば…前に行った時は未完成だった甘味屋が完成したらしいな」

ピクリと紅の肩が揺れるのを、彼は見逃さなかった。
前に城下町に下りた時に、美味しいと噂の主人が新たに開く店なのだと自分に教えたのは彼女だ。
どこか楽しみにしていた様子だったから、いつかは連れて行ってやろうと思っていた。

「城内でも美味いって評判だな」
「………政宗様…」

やめておきましょうよ、と言う想いを乗せて彼の名を呼ぶ。
しかし、行ってみたいと望んでいる事に、自分自身が気付いていないはずはなかった。
それが分かっているのだろう。
彼はニッとその口角を持ち上げ、自信満々にこう続ける。

「行くだろ?」

語尾を持ち上げた所で、否定の言葉を紡がせるつもりなどないのに。
そう思いながらも、紅は頷いてしまう自分に苦笑を禁じえなかった。















「こんな格好をしていても無駄だと思いますけれど…」
「気にすんな」

事も無げに答える政宗に、紅ははぁ、と溜め息を吐き出す。
町民の格好をした所で、彼のその身に纏う空気を変えられるわけではない。
いくら身を覆う着衣を変えようとも、彼は自然と人の目を集める。

「また小十郎さんに黙ってきてしまった…」
「あいつが居ると小言が煩くて楽しめねぇだろうが」
「それは………否定できませんけれど」

後から怒られるんだろうなぁ、と肩を竦めてみる。
この際だ、来てしまったものは仕方がない。
こうなれば、後で怒られてもいいように、今のうちに楽しんでおく事にしよう。
そう思うと、彼女は道に並んだ店へと視線を向けた。
そんな彼女を見ていた政宗は、不意にその向かいの店に知った顔を見つける。

「紅、少し向こうに行って来る」
「あ、はい。では私も…」
「いや、ここに居ろ。すぐに戻る」

片腕を上げて彼女を止めると、そのまま向こうへと歩いていってしまう。
ここに居ろ、と言われた以上、密かについていくのは彼を信頼していないように思えてしまった。
ふぅ、と溜め息を吐き出してから、何かあればすぐに駆けつけようと思いなおして脇の店へと視線を動かす。

「あら、紅様じゃないですか。まーたお忍びですか」

そんな風に、店の店主から声を掛けられる。
ふくよかな女性は、微笑みつつ返事をする紅を手招きした。

「まったく…共も連れずに町に下りて…狙われたらどうするおつもりです?」
「そうなったら返り討ちですよ」
「紅様はお強いですからね。楽しんでいってくださいな。ほら、これなんかどうです?」

お安くしておきますよ?などと言いながら、様々な品を薦めて来る。
どの品も、皆女性らしさを引き立てるようなお洒落品ばかり。
自分には少し似合わないような気がして、紅は苦く笑いながら首を振った。

「友人への贈物は先日行なったばかりですし…今日は持ち合わせがありませんので」

ごめんなさい、と申し訳なさそうに眉尻を下げる。
お洒落の装いは自分にとっては殆ど必要のないものだ。
忙しく動く日々の中、女性らしさを磨く事よりも他にしなければならない事の方が多い。
自分でなければならないことも多く、女性らしく生きるよりも寧ろその生活があっていると思った。

「いえいえ、こちらは紅様にお似合いになると思って取り置きしていた品です。
折角お綺麗なんですから、もっと着飾ったらどうです?ほら、御髪によく映えますよ」
「いえ、あの…」

こう言う店の女性は押しが強いものだ。
結う事無く肩へと流していた黒髪に、鮮やかな髪飾りを差し込んで褒める。
彼女からすれば本心の褒め言葉なのだが、装飾に慣れない紅にとっては戸惑いの元。
どうやって断ろうか、と視線を巡らせた所で、自分の後ろに人が立ったのを気配で感じ取った。

「待たせたな。……………どうした、珍しいもんをつけてるじゃねぇか」

一瞬自分の方を向いて目を瞬かせてから、政宗はその独眼を細めてそう言った。
困ったように笑みを浮かべた紅よりも先に反応したのは、店の女性だ。

「伊達様もご一緒でしたか。どうです、お似合いでしょう?」
「おう。何だ、気に入らないのか?」
「そう言うわけでは…。ただ、私には不要なものですし」

そう言って髪からそれを外そうとする。
だが、その手は政宗のそれによって取られた。
その行動に疑問を抱きつつ彼を見上げるが、その視線が絡む事はない。
代わりに、視界の端に映りこんだもう片方の彼の手は、懐から女性の方へと移動していく。

「貰っていく。またいいのがあったら取っておいてくれよ」
「政宗様!?」
「じゃあな。ほら、さっさと行くぞ。あんまりのんびりしてると小十郎に見つかっちまう」
「それはそうですけど…!」

そんな風に言葉を交わしながら、二人は町の中心部へと歩いていった。
その背中を見送った店の女性は、その微笑ましい姿に思わず笑みを零す。

「大事にされていますね、紅様」

店の奥から出てきた彼女の夫は、クスクスと笑う上機嫌な妻に首を傾げた。














あれから例の甘味屋へと足を運び、噂に違わぬ美味さに舌鼓を打ちつつ城への道を帰る二人。
不意に、政宗がピクリと何かに反応する。
隣を歩いていた紅だからこそ気付けたほどの、小さな変化だ。

「政宗様?」

そう問いかければ、政宗は「静かに」と人差し指を唇に当てる。
首を傾げつつも彼の言う通りにすれば、紅にも聞こえてきた。
げ、と表情を引きつらせた彼女の腕を引き、店と店の間にある狭い通路へと逃げる彼。
程なくして、忙しない足音が3つほど近づいてきた。

「見つかったのか!?」
「いえ、それがどの町人も口を揃えて見ていないと…」
「まったくあの二人は町人の心をしっかり捉えておられる…!」

本来ならば褒められるべき事なのだが、今はやや呆れた風にそう呟く彼。
言うまでもなく、紅と政宗の不在に気付いた小十郎だった。

「流石の二人も町を出る事はないだろう。南から隈なく探してくれ」

彼がそう指示を出せば、他の二人が足早にその場を去っていく。
彼らを見送ってから溜め息を一つ零した小十郎は、クルリと身体を反転させた。

「そこに居られるのでしょう、政宗様、紅様」

そんな彼の言葉に、二人は同時に肩を落とした。
見つかっていないとは思わなかったが、淡い期待を寄せてみたのだ。
しっかりと裏切られてしまったけれど。

「ったく…来るのが早ぇぜ、小十郎。もうすぐ帰る予定だったんだ」

流石と言うか何と言うか…頭を掻きながら悪びれた様子もなく出て行く彼を追い、紅もまた姿を見せた。
思った通りにそこに居た二人に、小十郎があからさまに溜め息を吐く。

「政宗様…執務が溜まっているのをご存知でしょう」
「まぁな。そう焦るなよ。帰ったら終わらせる」
「紅様も紅様です。お二人だけで出掛けるのは危ないと、あれほど…」
「はは…つい」

紅は政宗のように堂々とはしていられないらしく、少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべた。
自分も楽しかっただけに、出掛ける事自体を否定する事は出来ないけれど。

「つい、ではありません。刀も持たずに出かける事がどれほど危険かは十分分かっているでしょう!」
「や、一応短刀は持って…」
「短刀で長刀の相手をなさるおつもりか!?」

徐々に声が荒くなってくる彼に、紅は心中で苦笑を浮かべた。
それから、心配をかけたことに対する謝罪を述べようと口を開く。
だが、彼女の声が発せられる前に、政宗の手が口を覆ってしまった。

「頭ごなしに責めてやるなよ。ほら、紅からお前に土産だ」
「土産…?」
「おう。普段忙しくしてるお前に疲れを癒してもらおうっつー事で態々買いに来たんだぜ?」

受け取れよ、と包みを彼に手渡す。
まさか彼女から自分への土産があるとは思わなかったのか、彼は暫しそれを見下ろしたまま言葉を失った。
そんな彼を前に、紅は政宗の着物の袖を引く。

「いつの間に私からのお土産になったんですか」
「別にどっちでも変わんねぇだろ。見ろ、感動してんだからいいじゃねぇか」
「でも、御代を払ったのは政宗様でしょう?」
「土産を言い出したのはお前」

ぼそぼそと二人で声を潜めて言い合う。
紅は、自分からの土産になってしまえば、代金を払った政宗に申し訳ないと思えてならないのだ。
それに対して、政宗はそんな事は全く気にしていない。

「気になるなら、執務を手伝え。それでチャラだ」

そう言って紅の頭を撫でると、話は終わったとばかりに小十郎の方へと歩いていく政宗。
まさか初めからそのつもりだったんだろうか―――そんな風に考えながらも、紅は彼に続く。

「ごほんっ。………とにかく、今回は目を瞑りますが…次からは町に降りる時は誰かを連れてください」
「…努力します」

何とも頼りない返事ではあるけれど、とりあえずそれだけでも満足出来たらしい。
帰るぞ、と言う政宗の声に従い、二人は同時に足を踏み出した。





「紅!相手しろ!」
「政宗様!執務です!」
「…今日は気分じゃねぇんだよ」
「気分くらいご自分で何とかなさってください」
「無茶言うな」
「………。(この場合は小十郎さんを応援しないと駄目かな…)」

Request [ 三周年企画|浅葱様 ]
07.07.02