忘れたい記憶、でもそこに君が居るなら
「あ。何か落ちましたよ?」
「んー?あぁ、さんきゅ」
暁斗が若菜の脇と通った時に、若菜の足元にひらりと何かが舞い落ちた。
写真と思しき質感のそれを拾い上げつつ暁斗に向けて声を上げる。
彼の手に返そうとして、若菜は何気なくそれを引っ繰り返した。
「………雪耶と……誰?」
思わずその写真をじっと見つめてしまい、彼に手に返す事を忘れる。
そうしている間に、その遣り取りを見ていた選抜メンバーが彼の背後から同じくそれを覗き込んだ。
「右のは雪耶だよな」
「うっわ…可愛い!」
「へぇー…美少女だな」
「で、この左のは誰だよ?」
「近所の友達とかじゃねぇの?」
「こっちの子もかなり可愛いよな」
サッカーが恋人と言っても過言ではない彼らも、やはり可愛いものには目がないらしい。
ぞろぞろと集まってきた少年の間で写真が回った。
そんな様子に、暁斗は止める事もせず口角を持ち上げている。
「左の子って今美人なんスか?」
暁斗に一番近い位置を陣取っていた藤代が問いかける。
その質問に対し、彼は「んーそうだな…」と悩むような仕草を見せた。
「今も結構な美人だな。うん」
内心、腹がよじれんばかりに笑っていると言う事は彼しか知らない。
写真の中には、晴れ着に身を包み満面の笑顔を浮かべる幼くも可愛らしい紅。
そして、彼女の左側には無理やりに見えなくもない笑顔を浮かべたこちらも可愛らしい少女が写っていた。
玲の携帯がメロディを奏でたのは、その日の午前8時ジャスト。
メールの内容通り、彼女は半時間後には椎名家隣に位置する雪耶家の敷居を跨いでいた。
因みに、彼女の傍らには無理やり連れてこられた翼の姿がある。
「玲姉さん、翼いらっしゃいー!」
「お邪魔するわね、紅。ほら、翼も挨拶しなさいな」
「…お邪魔します」
無理やり、というところがお気に召さないようで、翼は不貞腐れた様子で答える。
そんな彼に紅はきょとんと首を傾げた。
「紅。暁斗と話があるから、翼と遊んでいてくれる?すぐに呼ぶわ」
「うん!翼、行こう!!」
玲の言葉通り、翼の手を引いて階段を駆け上がっていく。
そんな二人の小さな背中を見送り、玲はふふっと笑った。
翼、紅、共に満7歳を向かえた、初夏のとある日。
「翼、機嫌悪い?」
「紅の所為じゃないよ」
自分の部屋に転がっていたサッカーボールを抱きしめ、紅は前に座る翼に問いかける。
返って来たのは素っ気無い返答だったが、それでも彼女には満足だったようだ。
少なくとも、自分が怒らせたのでなければ問題ないと言う単純な思考らしい。
「はい!」
「はいって…何でボール渡すの?」
「サッカーしてる時は怒らないでしょ?」
そう言って紅は自身が抱えていたボールを翼に手渡す。
彼女がボールを持っているのは、彼と一緒に遊べるようにと暁斗が買い与えたからである。
外で使うにはまだまだ技術的に不安ばかりが残るので、今の段階ではあくまで室内専用ではあるが。
「ったく…」
溜め息と共に、彼は立ち上がってボールを軽く蹴り上げた。
まだ綺麗とは言えない拙い動作でリフティングを続ける翼。
そんな彼を見守りながら、紅は目を輝かせていた。
「やっぱり翼上手いね!」
「紅はまだ10回出来ないの?」
「んー…この間8回だったよ」
因みに彼女のリフティング最高回数は8回である。
その答えを聞いた翼はまた「はぁ」と大げさに溜め息を落とし、ボールを彼女の手に乗せた。
「見ててあげるからやってみれば?」
「うん!」
紅が勢いよく立ち上がると、翼はその辺に転がっていたクッションを抱えて座り込んだ。
一度の深呼吸の後、軽くボールを足の上に落とす。
翼に輪をかけて拙いながらも、順調にカウントは進んでいた。
7回、8回、9回……ラスト1回と言う、その時。
「紅ー!翼ー!降りてらっしゃい」
「!」
ビクリと紅の肩が揺れ、9回目をカウントしたボールは爪先にぶつかる。
ひゅんと弧を描き、それはベッドの上に落ちた。
「……………翼ぁ…」
「……運が悪かったね、今のは」
暫く我が物顔でベッドに居座るボールを眺めていた紅だが、すぐに半泣きで翼を振り向いた。
こればかりは彼にもどうしようもない。
このまま放っておけば、いつまででもボールを恨めしそうに睨みつけそうだ。
肩を竦め、まだ悔しそうな紅の手を引いて部屋を後にした。
リビングに下りるなり、翼はソファーに紅は隣の居間へと誘導される。
そして、居間とリビングの仕切りは完全に閉ざされ、翼だけがわけのわからないままリビングに残された。
襖の向こうからの声は聞こえている。
「これ何?」
「いいからいいから。ここに腕を通して」
「髪やるから顔上げてろよ。……ほーら、下げるなって。いがむぞ?」
「……暁斗兄、引っ張りすぎ…つり目になるって。………あ、きら姉さん!ちょ…苦し……ぐぇ」
何をされているんだ?と言う会話を聞きつつ、翼は首を傾げる。
何もしてい無いと言うのは結構暇なもので、気がつけばテーブルの上に乗っていたテレビのリモコンを手に取っていた。
面白くもない番組を流しつつ、耳は依然として居間の方へと集中させる。
無意味な時間の終止符が打たれたのは、それから半時間ほど経ってからの事だった。
「さ、今度は翼の番よ」
にっこりと笑う玲に対して、冴え渡る翼の第六感。
寧ろ、全身にいきわたっている細胞の一つまでもが逃げろと訴えているような気がしないでもない。
幼いながらも素晴らしい運動神経を生かして即座に玄関へと走る彼。
だが、憾むべきは彼女との年齢差だろうか。
リビングを出る前―――ソファーから立ち上がった時点で捕獲された。
そして、大した抵抗もさせてもらえないままに居間へと引きずり込まれる。
「放せよ、玲!って言うか紅は?」
「紅なら先に出てるわ」
そう言って玲が指したのは、居間にあるもう一つの襖。
因みに、そこはリビングを出た廊下へと繋がっている。
「玲、待たせたな」
「そんなに待ってないわよ。さ、始めましょうか?」
その辺を歩いている男の頬を染め上げるには十分の笑顔。
しかし、今の翼には恐ろしい以外の何物でもなかった。
「翼!」
「…何」
「諦めろ!」
「………あぁ、それしか道は無いみたいだね…」
若干7歳、椎名翼。
幼馴染の兄(暁斗)と自身のはとこ(玲)のおかげで、その歳にしては有り得ないほどに物分りがよろしかった。
彼の諦めを皮切りに、その柔らかな髪の毛に櫛が通される。
クーラーボックスを運んできていた紅は、練習が始まっていないことに首を傾げた。
そして、メンバーが一箇所に集まって何かを眺めている事に対しても。
「何やってるの?」
紅の声に、一番反応したのは暁斗だ。
彼はニッと口角を持ち上げて笑い、来い来いと手招きする。
首を傾けつつ、紅は彼の元に向かった。
「俺の秘蔵写真」
まるで語尾に音符でも飛ばしそうなほどに上機嫌で、彼は紅に写真を手渡す。
そこに写っていたのは、幼い頃の自分。
怒る前に呆れが来るのは、長い付き合いで慣れてしまっているからだろうか。
「もー…兄さんも皆も練習せずに何やってるんだか…」
「いやー…秘蔵中の秘蔵が見つかっちまってな。こうなったのは…成り行き?」
「秘蔵中の秘蔵?」
何だそれは、とでも言いたげな視線を向ける紅。
暁斗はそれに答えるように、今は桜上水メンバーが手にしていた写真を受け取りに行く。
それをしっかりと手に握り、彼は彼女の元まで戻った。
「これ」
「………あぁ、七五三記念の写真…」
あの日の出来事は紅の脳内にもしっかりと残っていたようだ。
それを見下ろす目はどこか遠い。
「なぁなぁ!これって雪耶だよな。隣は?今でも美人だって聞いたんだけどさ」
皆の疑問を代表したのは、一番初めにこの写真を手にした若菜。
紅の幼い頃の写真の数々に沸いていたメンバーも一斉に静まり返った。
皆、紅の答えを待っている。
「………兄さん…」
「ははは!悪いな」
ここまで素晴らしく謝っているように思えない謝罪は暁斗ならではだろう。
紅は深々と溜め息をつき、どうやってこの場をしのぐか…と考えた。
「えっと…近所の……うん。幼馴染なんだけど…」
「あれ?幼馴染って事は…椎名の幼馴染でもあるの?」
「あー……うん、まぁ」
「で、名前は?」
「……………佐倉…あ、でも!小学校の時に引っ越してるから今の住所はわからないの!」
そう言って無理やりメンバーを納得させ、紅は声を上げて練習に向かわせる。
玲が留守の時には紅が彼女に言われた通りに指示を出すというのは、すでにお決まりとなっていた。
それに異議を唱える者もなく、各々グラウンドへと歩き出す。
残念だな、などと呟く彼らの背中を見送って、紅は人知れず安堵の息を漏らすのだった。
「―――って事がありました」
家の都合で選抜練習を休んでいた翼への報告は翌日だった。
全てを聞いた彼は、額を手で覆って深々と溜め息を一つ。
震える肩が示しているものは何か。
「…本当に、心から感謝するよ、紅」
一つずつ区切られた事により、彼の心からの言葉なのだと言うことがわかる。
紅は反応に困り、ただ曖昧な笑みを返した。
「ばれれば笑いものにされる事間違いないからね…それにしても………」
すくっと立ち上がった翼は、そのまま紅の部屋を出て行く。
彼が彼女の部屋の向かいの扉に消えるなり、そこから怒鳴り声が聞こえてきた。
言うまでもなく、紅の向かいは暁斗の部屋だ。
「全部渡せ」から始まり、最後には「燃やせ」まで恐ろしい事を吐いている。
可愛らしく着飾った紅と、無理やり女の子の格好に着飾られた翼のツーショット。
それは翼によって力ずくで奪い取られ、庭先で燃やされた。
暁斗の持つネガの存在に気付くのは、ここから更に数年後の事である。
Request [ 二周年企画| くるみ様 ]
06.07.04