夜空に咲く、花のように
カランコロンと、下駄の音が遠くで聞こえている。
夏らしいなぁと少しだけ闇に染まる空を見上げた。
まだまだ夜が更けるには時間が掛かりそうだ。
電柱を背に、前を通っていく人々をぼんやりと眺める。
腕時計の背丈を競い合う針たちは、待ち合わせよりもまだ10分ほど前の時刻を指していた。
ザッと言う地を踏みしめる音。
待ち合わせと言った6時にはまだ5分ほど早い。
それが彼の性格の律儀さを現している気がして、紅はクスリと喉で笑う。
そして、俯けていた視線を持ち上げた。
「待たせたか?」
「ううん。大丈夫。早かったね」
5分前行動だよ、と笑えば、彼…一護もふっとその表情を緩めた。
それがまるで当然だとでも言っている風で、また彼女の笑いを誘う。
「今年は浴衣着なかったんだな」
「ん。この一年で結構成長したから…」
「あぁ、そういや…背、伸びたよな」
そう言って彼女の頭に手を乗せる一護。
自分との身長差を測っているような行動に、紅はむっと唇を尖らせる。
この一年でかなり伸びたはずの身長は、それでも彼には敵わない。
男女の差とでも言ってしまえば当たり前なのだが、彼女にとってはそれが負けた事のように感じてしまうのだ。
少しばかり悔しい…ような気がする。
「ま、この位の方が丁度いいな」
その一言で悔しさなんていう無駄な感情は、遥か彼方に飛んで行ってしまうのだけれど。
「…全く…扱い上手いなぁ…」
「は?」
「何でもない。こっちの話だよ」
気にしないで、と紅は笑って彼の腕を引いた。
自分の何気ない一言がこんなにも喜ばせているのだと、彼は気付いているだろうか。
道を行く浮ついた人々の波に乗って、二人も歩き出した。
「ね、一護」
「何だよ、まだ食うのか?」
「失礼ね。それだと私が食べてばっかりみたいじゃないの」
そう言いながら紅はむっとした表情を浮かべる。
しかし、そんな彼女の手にはまだ温かいベビーカステラの入った紙袋。
説得力が無い事に、彼女自身も恐らくは気付いているだろう。
少しばかり笑い出しそうに引きつった口元がそれを語っている。
「で、何だ?」
「射的発見」
今しがた摘んでいた、キャラクターの形ではなくごく普通の俵型のカステラを唇に運ぶ。
そしてその指を右の通りにある夜店に向けた。
そこには確かに『射的』と書かれた垂れ幕を掲げる夜店が一つ。
外れなし、と小さく書かれているが、外れの無い射的と言うのはどうなのだと言う疑問は残る。
「やりたいのか?」
「別に。ただ、一護って苦手そうだなーって思って」
「……………」
大変失礼なお言葉だ。
やりたいと袖を引いたならまだ可愛げもあるのだが、「苦手そうだよね」と話題にされるのはあんまりだろう。
仕返しとばかりに、一護は彼女の指が拾い上げてきたカステラを奪い取った。
「…結構甘いな」
「ん。でも、美味しいでしょ?」
首を傾げるオプションつきで、彼女は問いかける。
どうやらかなりお気に入りのようで、一護の返答も肯定であると疑っていない眼差しだ。
そんな彼女に自然と口元を緩め、頷き一つで彼女の望む答えを返してやる。
紅は嬉しそうに笑顔を浮かべ、紙袋の口を彼の方へと向けた。
「行くか」
「どこに?」
「射的」
紙袋からもう一つだけカステラを貰うと、一護がそう言い出した。
まさか彼がそう言うとは思って居なかったらしく、紅は少し驚いた様子を見せる。
「…失敗したら恥ずかしくない?」
「たかが夜店だろ?」
「まぁ、それはそうだけど…」
すでにそちらに足を向けているのだから、止める術も理由も無い。
一護がいいと言うのだからいいのだろう。
そう判断して、紅は人にぶつからないように足を早めた。
彼の隣に並べば、追いついたことを確認するようにその目が少しだけ彼女を捕らえた。
だが、それはすぐに前方へと戻され、その後には大した会話も無く先ほどは道を挟んで眺めた夜店へと到着する。
夜店の出ている道からは離れている所為か、人の気配は無い。
時折河川敷の上の道を通る車のライトが近づいてきてはテールランプの名残を残していった。
夜店の景品であるサングラスをかけ、紅は夜空を仰ぐ。
「うーん…何も見えん」
「アホか、お前は」
ポスンと、河川敷の土手の芝生に横たわった彼女の額に一護の手が降って来る。
彼をその目に捕らえようとするも、サングラス越しでは世界は闇。
「サングラス越しに見えるわけねぇだろ」
苦笑と取れる声に、紅は漸くそれを額の上まで持ち上げた。
見下ろす彼はやはり少し呆れたような苦笑を浮かべている。
「花火は見えると思うんだよね」
「折角の花火をガラス越しに見るのかよ?」
彼女がそれを楽しみにしていた事は知っている。
敢えてそう言ってきた一護に、紅は悩むように眉間に皺を寄せた。
サングラス越しの花火と言うのも一度見てみたい。
けれども、やっぱり一年に一度のイベントなのだから肉眼で見たい。
相反する思いが彼女の中でぐるぐると蠢いていた。
凄くくだらない事に真剣に悩む彼女に、一護は軽く噴出してしまう。
「笑う事ないじゃん」
「…悪ぃな。あんまり真剣に悩んでるからよ…」
つい笑ってしまった、と彼は紅の頭を撫でる。
そして、頭の上にちょこんと乗っかっているサングラスを取り上げた。
「おー。ほんとに闇だな」
決してそれをかけることなく、目の前に持ってきてそのガラス越しの景色を見る。
景色と言っても映るものと言えば、全てを飲み込んでしまいそうな闇だけ。
「何も見えないでしょ?」
「ま、当たり前だけどな」
そう言って彼はサングラスを折りたたむと、自身のTシャツの襟元に引っ掛けた。
その行動を見ながらも、紅が返せとねだる事は無い。
帰りには返してくれるだろうと言う暗黙の了解だ。
「…一護ってさ。今日だけで数年分の運を使い果たしたんじゃない?」
「…お前はかなり失礼だよな」
的を射ない言葉であったが、彼にはしっかり通じていたようだ。
彼女が言っているのは、先ほどの射的の結果の事。
お金を払って、銃を構えて1発。
見事に打ち落としたのは、このサングラスを受け取るための引換券だった。
残りの3発は全滅だったと、ここで記しておこう。
「ところで―――」
夜空を鮮やかに彩る花火に続き、ドォンと言う腹に響く低音が紅の言葉を遮る。
腕に付けた時計を見れば、丁度花火大会が始められる時間を指していた。
次々に打ち上げられるそれが、言葉を奪う。
「…“ところで”何だよ?」
少しだけ、音に負けないようにと声を大きくして彼が問いかけた。
紅は視線を夜空に向けたまま、口を開く。
「忘れた!」
「…だろうな」
「何でそこで呆れるの?」
「いつも何かに惹かれるとその前に言いかけてた事忘れるだろ」
もう慣れてる、と彼は呟いたのだが、恐らくそれは花火の音に掻き消されただろう。
紅は心外だと声を上げる。
「人を鶏みたいに言わないでよ。ちゃんと…」
「覚えてんのか?」
「………覚えてないけど!」
最後は拗ねたように語尾を強くして、紅はその赤い頬を隠すように顔を背ける。
そのままでは次々に浮かぶ花火を見ることが出来ないので、背けた顔はすぐに戻されるのだが。
そんな彼女の行動に笑っていた一護だが、不意に打ち上げられたそれに笑うのをやめる。
そして、きらきらと水が流れ落ちるように上から下に落ちるそれを見て言う。
「…綺麗だな」
「そうだね」
寝転がっていた状態から起き上がり、後ろに手を付く形で空を仰ぐ。
丁度、彼女が好きな形の花火が打ち上げられた。
それが終わるや否や、紅の視界に影が落ちる。
「………花火に惑わされた?」
「さぁな」
重ねられたそれが離れて、まるで何事も無かったかのように空を見上げる一護。
そんな彼を横目に、紅はクスクスと笑ってそう言った。
ぽすんと彼の肩に頭を乗せて、苦しくない姿勢で今しがた打ち上げられた赤い花を見つめる。
「来年も一緒に見ようね」
自身の声の後、すぐに打ち上げられたそれの所為で彼の声は掻き消される。
でも、それが肯定の意を示すものであったと言う事は、聞こえなくてもわかっていた。
たとえ形として残らなくても、人の心に残る。
そんな人間になりたいと思った。
そう――夜空に咲く、花のように。
Request [ 二周年企画|緋龍様 ]
06.06.29