僕は君を抱きしめた
今回は随分短い旅だったな…。
そんな事を思いながら、コウは我が屋敷の門を潜る。
ゾルディック家の試しの門までは行かないものの、自分の身長よりも遥かに高い。
違う所と言えば、その門が一定量以上の念で開くと言う事だろう。
「お帰りなさいませ、コウ様」
主の帰宅に一斉に頭を下げる使用人一同。
全員を一瞥した後、コウはふわりと微笑んだ。
「ただいま。部屋の用意は出来てる?」
「はい。ご連絡の後すぐに。いつでもご案内できますが…如何なさいますか?」
「案内の必要はないわ。ねぇ?」
メイド頭を務めるシュレイヤが代表してコウと言葉を交わす。
彼女の申し出を聞き、コウはゆるりとその首を振った。
そして、隣に立つ人物に同意を求める。
「あぁ。いつもの部屋だろう?」
「はい。お二階のいつもの部屋をご用意させていただきました。本も全て書庫の物と入れ替えておきました」
「ありがとう。さすがだな」
感心するようにシュレイヤに微笑みかけたクロロを見て、コウは口角を持ち上げる。
「でしょ?私の自慢の皆だからね」
「ザキに逢わせてくれないか?」
事の始まりは三日前。
突然クロロがこんな事を言い出したのだ。
「…ザキなら話した通りだけど…」
驚きに目を開きながらコウが答える。
彼女の答えは彼の望む物ではなかった。
「それくらいはわかってる。ザキの墓参りをさせてくれと言ってるんだ」
「あぁ、そう言う事ね」
クロロの言葉でコウも納得が言ったらしく、何度か頷いた末に是の答えを彼に返す。
そうして、いつもより早めの里帰りが決定したのだった。
コウはクロロと共に、彼のために用意された部屋へと入った。
クロロのために用意された…と言うよりはすでにクロロ専用の部屋となっている。
この屋敷に招かれるのはごく少数の人間のみ。
多すぎる部屋数を持つこの屋敷内で専用の部屋が出来上がるのも無理はない。
もっとも、クロロの場合は専用にしても問題ない程に頻繁に訪れるからなのだが。
「…コウ?」
部屋に入るなり本棚から本を抜き取ってそれを読み出したクロロ。
不意に、彼の隣に腰を降ろしていたコウがぼんやりと部屋の中を見つめているのに気づいた。
声をかけてきた彼に、コウはハッとした様に一度肩を揺らし、彼の方を向く。
「何?」
「いや…。眠いなら寝たらどうだ?」
「んー…」
コウが疲れているのも無理はない。
ここまでの二日間の道のり、彼女は殆ど休みなしに飛行船を操縦していたのだ。
自動操縦にすれば言いと言うクロロの申し出に対し、コウは
『最近操縦してなかったから勘を取り戻したいの』
と言って譲らなかった。
元々一週間寝ていなくても問題ない程度に鍛えてあるのだが、久しぶりの操縦は思ったよりも疲れたようだ。
自分の部屋に戻って寝ればいいものを…。
そう思いながらも、彼女が自分の隣から離れようとしない事は素直に嬉かった。
しかし、このままコウを無理やりに起こしているのも忍びない。
「コウ」
「何……うわっ!」
今度は視線を向けずに彼の声に答えたコウ。
そんな彼女の視界は行き成り揺れる。
主人の奇声に驚いて首を持ち上げるルシアを始めとする三匹だが、害がない判断すると再び睡眠を貪りだした。
コウの視界には天井が映り、そして見慣れたクロロがいつもとは違ったアングルで見下ろしていた。
後頭部は柔らかい…だがしっかりと筋肉を感じる彼の太腿。
要するに、コウは彼に膝枕されていた。
「…どうしたの?」
今更こんな事を恥ずかしがるような乙女な心は、生憎持ち合わせていない。
冷静にクロロを見上げ、コウは問う。
クロロは右手をゆっくりと彼女の額から鼻筋の方へと滑らせた。
撫でるように瞼を閉じさせると、彼は静かに答える。
「寝ろ。無理に起きている必要はない」
「…ん。ありがとう」
明るい日の光を遮るように左手で彼女の目を覆ったまま、クロロは空いた手で本の続きを読み出した。
「―――…寝たか…」
パタン…と本を閉じると、クロロはコウの瞼を覆っていた手を退ける。
長い睫毛がかすかに揺れたが、起きる気配はなく静かに寝息を立てていた。
起こさないように彼女の身体を抱き上げ、クロロは先程まで二人が座っていたソファーに寝かせる。
頭の下にクッションを挟みこんで、コウが寝苦しくない高さに合わせた。
椅子の背に引っ掛けてあったコートを彼女にかけると、それのポケットから小さな箱を取り出す。
中身を取り上げると彼女の左手を取り、そのピアニストのような指にそれを嵌める。
コウの眼と同じ青く光るそれは、彼女の左の薬指に音もなく鎮座した。
額にかかった銀糸を払い、その場に唇を落す。
白いファーに口元を埋めるように身じろいだ彼女の髪を梳くと、クロロは立ち上がった。
「コウを頼むぞ」
そう言ってルシアたちの頭を撫でてやり、彼は静かに部屋を後にする。
「ん…」
瞼が覚醒に揺れ、やがて青い眼がゆっくりとその姿を現した。
一番に視界に飛び込んできたものは白。
言うまでもなくクロロのコートの白いファーだった。
「……あぁ、なるほど…。だからね…」
笑みを含ませそう言うと、コウはゆっくりと上半身を起こす。
何だか慣れた空気に包まれているような錯覚を起こしていたのだが…。
彼のコートに包まれていたなら、それも頷けると言うものである。
そんな事を考えていると、不意に部屋のドアノブが揺れた。
顔を覗かせたのはこの部屋の主。
「起きたのか」
「うん。寝かせてくれてありがとう」
「いや…。それより今すぐに出れるか?」
コウからコートを受け取るとクロロは彼女にそう問う。
一度首を傾げたコウだが、やがて頷く。
「じゃあ、行こう」
微笑みと共に手を差し出すクロロ。
その手を取って、コウはソファーから立ち上がった。
彼に取ってもらった手は右手。
コウは未だに自分の左手に静かに光るそれに気づかない。
連れられるままに、コウはクロロと共にザキの墓の前にやってきた。
白い墓標の前に置かれた小さな花束を見て、彼女は微笑みを浮かべる。
そして、その前に膝をついてクロロを見上げた。
「ありがとう」
彼は何かを言う事もなく笑みを返す。
暫くの間沈黙していたクロロだったが、やがて苦笑と共に声を上げた。
「いい加減に気づいてくれないか?」
彼の声に続くように、風が「何に?」と問おうとしたコウの髪を乱した。
それを押さえ込んだ左手に、彼女は漸く違和感を受ける。
やがて風が治まるとコウは左手に視線を落とした。
細いシルバーの上に日の光を受けて青く輝く宝石の付いた指輪。
誂えたように彼女の指に映えていた。
「クロロ…これ…」
「待たせてすまなかったな。さっきザキにも報告したんだ」
そう言って一度ザキの墓標に視線を向けた後、彼は再びコウの方を向く。
「結婚しよう」
紡がれた言葉に、コウはクロロの首に腕を回した。
優しく…しかし決して離さない様に強く、彼の腕がコウの背を抱く。
「…答えは?」
コウの耳元でクロロが問う。
彼女は微笑んで口を開いた。
「もちろん…“はい”でしょ?」
息がかかりそうな至近距離で微笑み合う二人。
そして、どちらともなく唇を重ねた。
二人を祝福するように風が吹き、ザキの墓標に添えられた花が花びらを散らせた。
「幸せにするよ、コウ」
「あら、それは違うわよ」
「?」
「“幸せになろう”でしょ?二人で、ね」
「…あぁ、そうだったな」
05.07.03