誤魔化すように微笑む君

「紅~。あれ以来彼から連絡あった?」

悠希が楽しげに紅にそう問うた。
途端に大小様々な音が響く。
音の原因を作り出した主は悠希を見つめ返して固まっていた。
僅かに赤らんだ頬がその全てを語っているとも知らずに。















「腕の調子はどない?」

忍足は表情を柔らかく、紅にそう問いかけた。

「ありがとう、大丈夫よ」
「さよか。ま、無理せん程度に打とか」
「そうね…お相手よろしくお願いします」

紅は笑っていた。
元々笑顔を失った、と言うほど酷かったわけではない。
しかし、どこか暗い表情だった。
それがなくなっている。
あの時流した涙は決して無駄ではなかったのだと、忍足は心の中で安堵の息を漏らす。





怪我をした日の翌日、紅は親友に半ば脅される形で忍足と連絡を取った。
感謝の言葉を綴った本文に自分のアドレスを添えて。

「氷帝は今休み時間だからすぐに返事来るわよ」

と言った悠希の言葉は殆ど信じていなかった紅だったが…。
携帯は思った以上に早くその着信音を奏でた。
メールの受信音ではなく、着信音を。





「急に呼び出してすまんかったな」

前髪を掻き揚げながら忍足はそう言った。
紅は彼の言葉に、思考に旅立っていた頭を引き戻す。
僅かな笑みを浮かべて首を振った。

「私もちゃんと会ってお礼を言うつもりだったから」
「別にええって。礼はもう聞き飽きたわ」
「……そっか。じゃあ、これで終わりね」

そう言ってベンチから立ち上がると、紅は彼の前に立った。
先ほどまで隣に座っていた忍足は今彼女の正面に座っている。
身長差があるとはいえ立っている者と座っている者では自然とその差が逆転する。
見下ろす形で、紅はただ一度だけ頭を下げた。

「本当にありがとう。怪我の応急手当の事もそうだけど…」

自らの奥深くに沈めこんでしまうはずだった。
少年が助かったのだから、と言う大義名分で蓋をして。
初対面の人の前でそれを吐き出すなど…彼女からすれば考えられない事だった。

「何よりあなたの言葉が嬉しかった」

紅はそう言って微笑んだ。
自分の精一杯の感謝の想いを言葉に乗せて。

「どういたしまして」

忍足も笑顔で答える。
そして、彼は次の言葉を続けた。

「…なぁ、右腕でもテニス出来るんやんな?」
「うん。まぁ、左よりはちょっと下手だけど…」
「OK。それ治ったらテニス付き合うてや。約束やで」

未だ包帯の取れない彼女の腕を指し、忍足は次に自分のテニスバッグを指した。
ニッと口の端を持ち上げる彼の笑みに釣られるように、紅も笑む。

「恩人の約束なら嫌とは言えないわね」















「一つええか…?」
「何?」
「何で利き腕ちゃう方で俺より上手いねん!!」

肩で息をする忍足は声を上げる。その言葉に紅は肩を竦めてストローからスポーツ飲料を喉に通した。

「経験?」
「そんな一言で片付けられたら悔しすぎやわ…」

倒れこむようにベンチに腰を降ろす彼を見て紅は苦笑を浮かべた。
ここのところ、休日があう度に忍足は紅を呼び出す。
まぁ、その名目は言うまでもなくテニスなのだが。
何球か打てば相手の技量は十分に理解できる。
彼が紅の実力に唸るのも無理はなかった。

「なぁー…紅」

間延びした声と共に、忍足が紅を呼んだ。
彼女は顔だけを彼の方に向けて、それを答えとする。

「付き合うてくれへん?」
「どこに?」

間髪いれずに答える紅に、忍足はがっくりと肩を落とす。
もっとも、今の言い方ではそれも仕方のないことかもしれないが。

「…お約束な答えおおきに…」
「…?どういたしまして?」

首を傾げながらそう言った紅に、彼は苦笑を浮かべる他なかった。
彼女にわかるように説明するのは簡単だ。
しかし、彼は別の行動を取った。
ベンチに立てかけてあったラケットを持ち上げると、紅の方を振り向く。

「紅。勝負してや」
「…何を賭けて?」
「……後で言うわ」

何か含んだ笑みを見せる彼に、紅は溜め息をつきながら頷いた。
忍足と面識を持ってからすでに三ヶ月ほど経っている。
彼の性格と言うものもある程度は掴める様になっていた。
それ以上は何も問い詰めず、紅は忍足とは反対側のコートに入る。

「一球勝負や」
「OK。私が勝ったら奢って貰うわ」
「ええで」

先程の穏やかな空気を感じさせないほど、凛としたそれが二人を包む。
コート内に打球音だけが響いた。
















「あれ以来一度も負けなしね」

紅は空を見上げて呟く。
隣の忍足の表情は悔しそうだ。

「手加減してくれてもええやん」
「してほしいの?」
「…まさか」

そんな紅の調子にも慣れた事、と忍足は笑う。

「急に『YESやなくてもええから答えだけは聞かせて』だもんね。こっちは何の事かサッパリ」
「あれはすまんかったって。俺かて頭から抜け落ちてたんやから」
「…まぁね」
「せやけど…中々痺れる告白やったやろ?」
「………おかげ様で」

紅はふいっと顔を逸らしてしまう。
彼女の耳が僅かに赤みを帯びていることに彼が気づかないはずもなかった。
自分のすぐ隣に座る彼女の髪を持ち上げ、それに唇を落とした後に耳元で囁く。

「好きやで、紅」
「………うん」





『YESやなくてもええから答えだけは聞かせて』
『…何の答え?』
『あ、そうか。忘れとったわ』

彼は照れくさそうに首の髪を後方へと払う仕草を見せた後、紅を見て告げた。

『あんな、バッチリ惚れてん』
『………』
『紅の涙が綺麗やったから。人のために怪我して、自分の気持ちに素直に泣ける子に惚れてん』
『忍足…』
『…俺と付き合ってくれませんか?』


忍足の一勝が紅からのささやかなプレゼントだと言う事を、彼女は一生語らないだろう。
その時点で彼女の答えが決まっていたと言う事も。

05.06.30