ただ、自分らしく伝えたい

「紅!」
「何?」

紅が振り向けば、成樹は面白いくらいに静止したまま動かない。
そして、油切れの機械の様な動きで彼女から目を逸らした。
そんな彼を目の当たりにした紅は本日数度目の溜め息を漏らす。

「あのさ…言いたい事があるならさっさと言ってくれない?」














「あー……まぁ、ええわ」
「……………。それはそうと、成樹」

何か言いたそうに沈黙していた紅だったが、ふぅと息を付くとそう切り出す。
成樹は顔を上げて紅の言葉を待った。

「今日の帰りなんだけど…送ってもらえる?」
「?別にええけど…愛車はどうしたん?」
「車検。丁度今日に重なってさ…行きはバスもあるから問題ないんだけど、帰りが…な」

遅くまで続く練習に合わせてバスが運行されているはずもない。
彼女の心配も尤もだ。

「ええよ。乗っていき」
「さんきゅ。お前が車持ってて助かったよ」

そう言って彼女はにこりと微笑む。

「雪耶ー!ちょっと来てくれ!!」
「あ、はい!すぐ行きます!!じゃあ帰りよろしく」

ヒラヒラと手を振って紅はその場から走り去る。
彼女の背中を見送って、成樹は静かに溜め息を落とした。
伝えたい言葉がある。
自分のたった一人と思える彼女だけに。
今日こそは、と意気込む事一週間。
いい加減に覚悟を決めてしまえばいいのだが、肝心な時に留守してしまうような弱い自分の覚悟。

「今日の帰りに賭けるか…」

自分に言い聞かせるように呟き、成樹は気を引き締めるべく髪を掻き揚げる。













「なぁ、あの場面はどう見る?」
「あそこはFWが動くべきやな。MFが動くとスペースが出来るからそこのカバーが必要になるし」
「…だよな。っつーことは、この場面だと…?」
「ちょお待って。次の信号で見るわ」
「あ、ごめん」

紅は助手席でペンを片手にノートを開いていた。
監督から頼まれた作戦に関するものである。
紅の洞察力が素晴らしいと言う事を何処からか聞いた監督が、自ら彼女に言い出したのだ。
『参考にする程度だから肩の力を抜いて考えればいい』という言葉と共に。

「どれ?」

信号に引っかかったのか、成樹が運転席から紅のノートを覗き込む。
彼女は自分が邪魔にならないように身体を僅かに斜めに移動させるとそこを指差した。
そこに書かれたフォーメーションに隈なく目を通すと、彼は再び前方へと視線を戻す。
丁度よく、信号が青に変わった。

「紅はどない思う?」
「…成樹が動くのが一番だと思う。お前の行動力と状況判断ならスペースも任せられるから」
「……俺も同意見や。むしろ、俺しか出来んのちゃう?」

自惚れのように聞こえる言葉だが、彼だからこそ言える言葉でもある。
事実、彼以外にはこなせないと判断できるほど難しいフォーメーションだった。

「でもなぁ…お前一人に任せるものどうかと…」
「せやったら……」

同じ速度を維持していた所為か、再び車は信号で止まる。
ブレーキと共に紅の手の中にあったペンを持ち上げると、成樹はノートに書き記した。

「……ホントにこれでいいの?」
「百人力やろ?」
「…………じゃ、このまま出しますか」

暫くの間ノートを見つめた後、紅は頷いてそれを鞄の中に仕舞いこむ。

「…紅」
「その前に、一つだけいい?」
「?ええよ?」
「話があるなら車を止めてくれ。私はまだ死にたくないよ」

真剣な声でそんな事を言い放つ紅に、成樹は一瞬ハンドル操作を誤りそうになった。
とは言っても僅かに揺れるだけに留まったが。

「…だから言ったんだ…」
「す、すまんな。止めるわ」
「頼むからそうして」

紅の呆れた声色が届くと、成樹は苦笑しながらも車を道路の脇へと寄せた。
















「で、何?」

車が完全に止まると、紅は成樹の方を向いてそう問いかけた。
視線が絡むなり、逸らされるそれ。
紅が悲しげに眼を伏せたことに、窓の外を向いた成樹は気づいていなかった。

「話、やねんけど………」

そこまで言って、成樹は再び沈黙してしまう。
そんな彼に、紅は悲しげに笑んで口を開いた。

「もういいよ。わかってるから」
「…紅?」
「別れ話、でしょ?はっきり言われるの辛いから…言わなくていいよ」
「は?」
「うん。明日からはただの親友だね」

涙を絶えるような笑顔を見せて紅はそう言った。
展開の速さについて行けていない成樹は間抜けに口を開いたまま静止する。

「あ、送ってくれるのここまででいいよ。ここからだとすぐだし」

畳み掛けるようにそう言うと、紅は荷物を纏めてその手に抱える。

「や、あの…ちょっ…紅!?」
「今までごめんな。んで、ありがとう」

にこりと力なく笑い、そして紅はドアを開こうと手を伸ばす。
さすがの成樹も黙って見送るわけには行かない。
彼女の右手を掴み、自分の方へと引き寄せた。

「別れ話ちゃうねんって!!」
「だったら何?それだけ言い難いことなんでしょ?」
「だから…!結婚して欲しいって言うつもりやねん!!」

今までの躊躇いが嘘のように、成樹は勢いでそう言った。
紅が言葉を返さないので車内を沈黙が包む。

「…あの……紅?」
「やっと言ったな」

背中を向けていた紅が振り向く。
先ほどまでの寂しいや悲しいなどと言った負の表情は微塵も感じられなかった。
逆に、悪戯が成功した子供のような表情である。

「お前躊躇いすぎ。攻めの男じゃなかったのかよ?」

ニヤリと口の端を上げる紅に、成樹も漸く気づく。

「…まさか……」
「私の演技も捨てたもんじゃないっしょ?」

ニヤニヤと笑う紅。
その笑顔だけでも全てがわかってしまう。

「俺の動揺を返せ!」
「無理。って言うか元はと言えば成樹がはっきり言わない所為だし」
「せやかて…心臓止まるかと思ったやん!!」
「あのまま見送るようなら本気で別れるつもりだったんだけど…」
「え、縁起でもないこと言わんといてや…」

がっくりと肩を落とす成樹を見て、紅は満足げに頷く。
ドアにかけていた手を足の上に戻して彼の方に向き直った。

「間抜けなプロポーズありがとう」

紅は見惚れるような笑顔を見せた。
紡がれた言葉は成樹の肩をより一層落とさせるには十分だったが。

「あーもう!今のナシ!!」
「あれ?撤回?」
「ちゃうわ!!」

楽しげにクスクスと笑う紅にからかわれている事は明らかだが、成樹はタフだった。
ビシッと指先を紅に突き出して宣戦布告のような言葉を言い放つ。

「紅が赤面するくらいにカッコイイ言葉でプロポーズしたるから待っとれ!!」
「……お前なー…その言葉の方がよっぽど恥ずかしいぞ?」

その後、彼が満足するまでそれは続けられた。
紅がどう言う返事を返したのか…それは二人のみぞ知ることである。

05.06.28